VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

貧困と人づきあい(36)「生活保護は恥を知れ」という支援者<続篇>

貧困と人づきあい(35)生活保護は恥を知れ」という支援者<後篇>」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多
 
2回に分けて掲載させていただいた
 
生活保護を知れ』という支援者」問題
 
に関しては、
さまざまな角度から考えることができる。
 
いくつかのコメントをいただいたので、
それをご紹介していきたい。
 
なお、いつものように文中の改行は引用者による。
 
まず、干葉裕之介さん(仮名)は、
 
安易にそのような発言をすることによって、
支援者の方々や、
自分がこれまで汗水流して働いた税金が
生活保護に使われることに何の違和感も感じなかった人たちから
「そんな考え方をしているならば…」
見放されますよ。
 
とおっしゃるわけだが、
そこに対してのgoodじいさんさんのコメントである。
 
見放されても良いんじゃない?!
答えは其処にある。


今、現在生きている事に価値が有り、
自己が存在している事に価値が有り、
重要だと思う。

生活保護受給者として認知され、
その権利を行使されて行く事は、
至極当たり前の事であろう。

生存権を行使しているのであるから胸を張っていれば良い。

記事の様に「人」はそれなりにである。
人其々の人生観、価値感等々を非難しても何も生まれはしない。
他者の非難、中傷は、その様な考え方もあるのだと認める事だ。

[ goodじいさん ] 2017/4/25(火) 午前 8:44 
 
goodじいさんさま コメントをどうもありがとうございます。

まさにおっしゃるとおりです。
私一人なら、
なにも「支援してくれ」と頼んだわけではありませんし、
見放されて万々歳です。

そこで干葉裕之介さんは、
「これはお前一人の問題じゃない。
お前が代表していることになる、
多くの同胞がみんな見放されることになるぞ」
と脅かしてこられたわけです。


[ ぼそっと池井多 ]  2017/4/25(火) 午前 11:32
 
 
 
 
 
hit*****さんはこう見ておられる。
 
支援する側が支援される側の倫理性を問い、
支援者側が望むような倫理性を持たないなら、
支援はしないと脅したくなる

というのは、
人の性(さが)としてなかなか逃れられないものだとも感じます。

私自身支援を必要とし、
公の支援を受けているにもかかわらず、
自分を犠牲にしてまで支援したくない
と思う母親との縁を切ったからです。

なんでも人のせいにして他者を非難しまくり、
自分こそ孤独な悲劇のヒロインだと騒ぎ立てる彼女の悪癖は
半世紀以上続いていますし、
改善する見込みはないと思ってしまうのです。

何をもって、倫理性の欠如による自業自得と決め、
支援しなくてもよい対象とするのかは、
自分が支援する側になってもされる側になっても、
本当に悩ましく頭の痛い問題です・・・


[ hit***** ] 2017/4/24(月) 午後 3:48
 
 
「なんでも人のせいにして他者を非難しまくり、
自分こそ孤独な悲劇のヒロインだと騒ぎ立てる」お母さまとは
なんとも私と似たような母親を
持たれてしまったようで
まことにお気の毒である。
 
冒頭の
 
支援する側が支援される側の倫理性を問い、
支援者側が望むような倫理性を持たないなら、
支援はしないと脅したくなる
 
というのは、hit***** による、
この一件のじつに端的なまとめである。
 
このヴァリエーションは多い、
 
いつも書かせていただいているように
私が通院する医療機関における精神療法の
 
治療者-患者関係
 
もそうであるし、
教育現場の関係、親子関係なども、
多くがこの構造が変形したものである。
 
今回の例についていえば、
干葉裕之介さんの
「あなたの発言はひきこもり全体の発言だ」
というような、
まるで江戸時代の百姓五人組制度のような無茶な論法によって
私もまた、彼によって
「支援される側」に組み入れられそうになった。
 
そのうえで
「支援される側の倫理」の欠如を責めてこようというわけである。
 
だが、ここで留意しなければならないことは、
それは彼、干葉さんの目から見た時の欠如にすぎず、
たとえ五人組制度のような論理の捻転をほどこしたとしても
私の側に倫理がないわけではない、という点である。
 
私には、私の倫理がある。
いわば、憲法や法律などに明文化されていることに基づく倫理である。
 
いっぽう、干葉さんには、干葉さんの倫理がある。
 
憲法にはどう書かれているか知らないが、
そんなことはさておいて、とにかくこうだ」
 
という、いわば慣習法に基づく倫理だと思われる。
 
だから干葉裕之介さんは、
 
確かに憲法で認められた立派な権利です。
ですが、それを堂々と口に出すものではありません。
しっかり恥じて権利を行使するべきです。
 
などと、
表と裏、本音と建て前を使い分けるかのようなことを冒頭に言い、
論理の二重構造に正当性をあたえようとするのである。
 
しかし、憲法で定められた権利を
「堂々と口に出す」ことを禁じられたら、
それはいったい権利といえるのであろうか。
 
もし、上山さんがスレッドごと削除などしなかったら、
私の
 
干葉さんにとって
当然の権利』と『権利』のちがいは何ですか
 
という究極の問いに対する干葉さんの答えは、
おそらくこの二重構造の解説になっていたことだろう。
 
じつに興味深い。
ぜひ聞きたかったものである。
 
 
 
 
 
 
「御恩と奉公」という日本的概念から
この一件を考察されているのが、
豚猫大好きぶーにゃんさんである。
 
まさに、「権利と義務」を鎌倉時代の「御恩と奉公」とはき違えている典型ですよね…(-_-;)

>最後のほうは脅迫めいてきてもいる。

>「安易にそのような発言をすることによって」
>「見放されますよ」

これ、わが国でなされる説教の常套パターンですよね。
私もよく父親から言われますわ…
「こんなことやってると周りから相手にされなくなるぞ」
「どうなっても知らんぞ」とか…

とにかく、こういう手合いに対しては、
「それ、『御恩と奉公』とちゃいますか?権利と義務はそういうものとは別物ですよ」
と言い返せばいいと思います。


[ 豚猫大好きぶーにゃん ] 2017/4/25(火) 午後 10:35 
 
「御恩と奉公」という日本的概念から放たれる
このような視点は、
豚猫さん自身のこのようなブログ記事(*2)を
照らし合わせるとわかりやすい。
 
2017.4.11より抜粋
改行、太字、色字などは引用者による。
 
 
この「権利」観の源流は、
鎌倉時代の「御恩と奉公」にあると思う。

(……中略……)

この「御恩と奉公」に近代の「権利と義務」が入り込み、
「権利を行使したかったら義務を果たしやがれ」
と言われるようになっていったと思うんだなあ。

しかしそれは違うと思う。
近代の「権利」は、自らが進んで行使しなければならない性質をもつ。
以前綴った「障害基礎年金」において、
申請主義のことを綴ったかと思う。
自らの手で申請しないと、
たとえ心身に障がいを抱えていても
障害基礎年金を受け取れないのである。

この辺でふと思ったのだが、
「権利を行使したかったら義務を果たせ」
という考えは、
もう一つ権利について誤った見方を促してしまうように感じる。

それは、
「義務をきちんと果たしていれば、権利はおのずとついてくる」
という考えである。
言い換えると
「奉公をきちんとこなしていれば、御国は御恩をほどこしてくださる」
ということ。

これは危険だと思う。
なぜなら、「自分で考え、権利を行使する」ということを忘れさせるからだ。

その代表が、サラリーマンが納税する際に実施される「源泉徴収・年末調整」だろう。
これは、「自らの手で税金を納める」原則を半ば放棄させる所業だからだ。
 
 
 
 
 
ちなみに、誤解のないように申し添えておくと、
生活保護受給者は、
国民の三大義務を放棄しているわけではない。
 
「教育」の義務に関しては、はたしている。
中学校を卒業している。
 
「勤労」に関しては、
「就労への努力」「疾病の療養」など
勤労へむかう過渡的段階にあることによって
「勤労の義務」は果たしていると解釈される。
 
ここに私のいう「経済外労働」を
いかに組み入れていくかということが、
今後の先進国の課題となっていくであろう。
 
「納税」に関しては、
買い物をしたときにそこからちゃんと消費税をとられているから
やはり納税の義務を果たしているのである。
 
所得税をはらっていないのは、
所得がないから課税されないというだけであって、
税金をはらっていないわけではない。
 
生活保護受給者は、
(不正受給者はいざ知らず)
ちゃんと教育・勤労・納税という三大義務をはたしているからこそ
憲法で保証された「最低限度の生活」をもとめる権利が行使できている、
という点を、念のためおさえておきたいと思う。
 
 
 
 
 
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    顔アイコン

    「倫理観」ではなく「嫉み」からくるものであろう。
    現実的な条件を満たさなければ生活保護受給者にはなれない。其の為のチェック機能として各自治体の福祉課があるのだから。 何も問題視する事はない。最低限のライフネットとして機能していればそれでいいのだ。 削除

    goodじいさん ]

     

    2017/4/27(木) 午前 9:17

     返信する
  •          

    goodじいさんさま コメントをどうもありがとうございます。

    >「倫理観」ではなく「嫉み」からくるものであろう。

    なるほど、それは鋭いですね。

    私もいろいろな人を嫉みますが、じつは嫉みがほとんどの人間行動を決定していたりしますからね。 削除

    チームぼそっと

     

    2017/4/27(木) 午前 10:06

     

 

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