VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

スパゲッティの惨劇(23)-1 何気ない日常を細密に描く中に真実が

スパゲッティの惨劇(23)」からのつづき・・・

editted by ぼそっと池井多
 
goodじいさん
今ぼそっとさんは立派な「精神科医」ですよ。

何故?
「聞いて、何等かの答え」がだせているからです。

何時間でも相手の言葉を聞く事が出来る人は貴重なものです。

精神科医」の回答でも
其れが正解であるかどうかなんて
分かりはしないでしょう。

ぼそっとさんの語り掛ける言葉は
相談者を包んでいければ正解だと思います。
判断するのは相談者ですからね。

僕はそう思っています。


[ goodじいさん ] 2017/5/26(金) 午前 8:22
 
 
ぼそっと池井多
goodじいさんさま コメントをどうもありがとうございます。

なるほど、そういう考え方が可能ですね。

森の中から野原に出たような感じです。
 
[ ぼそっと池井多 ]  
 
2017/5/26(金) 午前 10:13
 
 
痴陶人
goodじいさんさんも仰言っているように、
私もこのシリーズを大変興味深く、
そしてこれまでの記事とはまた違った感動をもって
拝読しております。

まずは、ぼそっとさんが
このような特異で繊細な世界を
外国語で会話されていることが大きな驚きで、
外国語が苦手な私は大きな羨望を抱いてしまいます。

そして驚くべきことは、
マリアテレサさんとの会話が
単に成立しているというだけではなく、
お二人の深く研ぎ澄まされた感性が、
人間や社会や心や病を鋭く省察され、
その相克がある種の高みにまで
昇華されているということです。

それはまるで、
文学上の男女の手紙のやり取りのような、
あるいは、
作家とその恋人の往復書簡のような
清潔感のある清々しい感動を読む者に与えてくれます。

私は何かを語り尽くした感があった。
もちろん塞翁先生にも語ることのなかった何かを。
いや、それは止められていたのではない。
引き出されていなかったのだ。

確かにここでのやり取りは、
ぼそっとさんが仰言るとおり、
今までこのブログで語られてきたのと
どこか違う何かがあります。

もしかしたらそれは、
ぼそっとさんがこのブログでやっていることを
外国語でやられたからなのではないかと私は思うのです。

外国語の客観性と、
日本語の微妙なレトリックを排すること、

また、阿坐部村内部からの発信ではなく、
ぼそっとさん個人が、異国の人間に
一人の人間として自分を理解してもらいたいという思いが、
その何かを成し遂げさせたような気がするのです。

そして、その相手が、
聡明な女性であったことも幸いしているかもしれません。

マリアテレサさんは、
巫女の役割を果たしていると同時に、
ユングのいうアニマとして作用しているのかもしれません。

真に知的で聡明な女性との心の交流こそが、
お母様には望めない一番のこと
ですものね。

マリアテレサさんとのやりとりは、
いずれもっと広いメディアで取り上げられるといいですね。

私は、彼女との出会いで、
もしかしたら今後、
それこそ何かが起こるような予感さえしています。


[ 痴陶人 ] 2017/5/27(土) 午後 11:14 
 
ぼそっと池井多
 
痴陶人さま コメントをどうもありがとうございます。

まことにご明察のとおりです。

阿坐部村の外の日本人、一般市民の方々に、
私の状況を説明するだけでもひと工夫を要しましたが、
まったく別の文化圏の方となると、
私自身が自分の状況を
さらに一般化するプロセスを踏まなければならないのだ、
ということを現在進行形で痛感しております。
 
[ ぼそっと池井多 ]   
2017/5/28(日) 午前 1:08
 
 
痴陶人
犬塚勉という画家をご存知でしょうか。

私も昨夜の
テレビ東京美の巨人たち
ではじめて知ったのですが、
小学校の図工の教師を生業とする傍ら、
風景画を描いて、山岳に写生に行き、
38歳で帰らぬ人となった画家です。

昨晩、取り上げられた作品『梅雨の晴れ間』は
「雑木林の手前に草地が広がり、
ヒメジョオンが風に揺れる、
何の変哲もない風景画」でした。


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犬塚勉『梅雨の晴れ間』1986年
 (c) 永井画廊

これを描いた時の犬塚は、完成間近、奥さんに
「もしかしたら、大変な真実を発見したかもしれない」
と語りました。

何の変哲もない風景というのは、
日頃ぼそっとさんが仰言る、「日常」ですね。

犬塚の場合、子供の低い視線で草木を見つめるわけですが、
そういう日常を細密に描くことで、
そこに何かしらの真実を描ける

と思ったらしいのです。

それは風景の中から見えてくる作者の精神世界でもあります。

私はこの番組を見ながら、ぼそっとさんを思い出しました。

「スパゲッティの惨劇」での
マリアテレサさんとの会話の中で描かれた
ぼそっとさんの世界です。

装飾を排し、草木を細密に描くことで、
そこを通った人の姿が見えてきたり、
その人に対する作者の感情までが表れる、
それが犬塚のいう真実なのかもしれませんが、
今回のぼそっとさんの個人史にもこれと同じことが言えます。

すべてこれまで聞いていた話だったはずなのに、
またもっと詳しく聞いていたはずなのに、
今回の自分史の方が何故か
真実を含んで読む者に感じ取らせる深度を
持っているように思われました。

実際私には、これまでわからなかったことが、
理解できた記述がいくつもありました。

そこにはブラッシュアップされたというか、
行間から、書かなかったことも漂ってくるような
洗練された文体が確立されています。

彼女とのやりとりで、私はぼそっとさんが、
犬塚のいう「何か」を見つけられたような気がしています。

これは同じ時期に「何か」という言葉を聞いたせいで
私が陥った誤謬なのでしょうか。
いいえ、違うと思います。
言葉にするのは難しいのですが、
二人の何かは、恐らく同じだと思われます。

それは真実の手触り、手応えといった類いのものだと思われます。

これを手にする人は限られた人です。
私もその天使の後ろ髪に一度だけ触れましたが、
取り逃がしてしまい、
今は汚れちまった悲しみだけが残っています。

そういう、ぼそっとさんに訪れた僥倖を
私は読んでいて羨ましく感じとっています。

ぼそっとさんの書くものが一皮剥けたといいますか、
文学になったといいますか、
ぼそっとさんが真の表現者になったといいますか。


[ 痴陶人 ] 2017/5/28(日) 午前 9:22
 
ぼそっと池井多
 
痴陶人さま

何度も同じことを
いろいろな他者にわかってもらえるように
苦心惨憺して書いているうちに、
痴陶人さんのいう「ブラッシュアップ」というのが、
たしかに自然におこなわれてくる感じがいたします。 

犬塚勉という画家は、私は知りませんが、
痴陶人さんの解説をきいていて、
私が想起したのはプルーストでした。

何の変哲もない日常を細密に描いていくことで、
そこに真の芸術を見出そうという姿勢というか、
私の師匠、鈴澤教授の言葉でいえば「哲学」というか。

しかし、マリアテレサという聞き手が
存在することが引き出される私の言葉の数々ではありますが、
それをこのように編集したものを読んだくださる
痴陶人さん他、たくさんの読み手、
あるいは第二の聞き手が存在するおかげで、
さらにブラッシュアップされていくのだと思います。
 
つまり、マリアテレサという聞き手に語っている私を、
さらに聞いてくださる第二の聞き手のみなさま、
すなわち、このブログの読者のみなさまのおかげです。  

「女優が、人に見られることでどんどんきれいになっていく」
などとよく言いますが、
それと似ているのかもしれません。
 
  
[ ぼそっと池井多 ]
   
2017/5/28(日) 午前 11:26
 
 
迷えるオッサン
こんなことを言っては大変失礼ですが
この手紙(*1)はぼそっとさんへのラブレターですね。
読んでて感動しました。ナイス☆ 

 [ 迷えるオッサン] 2017/5/28(日) 午後 2:11
 
 
ぼそっと池井多
迷えるオッサンさま コメントをどうもありがとうございます。

えっw(゜o゜*)w そう思われますか。

どうしましょう。

しかし、私は無職、精神科患者、生活保護
ということをぜんぶ彼女に言っていますから、
うら若き聡明な女子大生が、
そんなわけないと思いますが。
 
  
[ ぼそっと池井多 ]
   
2017/5/28(日) 午後 6:43
 
 
goodじいさん
痴陶人氏の仰る、
ぼそっとさんの表現が文学になった
との評価は的を得ていると思います。

誰にでも理解しやすく
理論を展開出来る事は
将に文学に行き着くのではと思います。
(恋愛書簡 同意!)

読み手の心の中に
静かに浸み込んで来る文は
学説、理論の比ではないでしょう。

迷えるおっさんさんの「ラブレター」
良い得て妙ですね。

研ぎ澄まされた言葉のやり取りは、
互いに求めていたものが
其処に有るかのごとく展開されているので
感動そのものです。

僭越ながら感じた儘に。
  

[ goodじいさん ] 2017/5/30(火) 午前 8:42
 
 
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