VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

治療者と患者(146)主体ある者は去れ

治療者と患者(145) 」からのつづき・・・

by 痴陶人 × ぼそっと池井多
 
痴陶人
親に虐待されるから、精神を病む。
精神を病むから、強迫神経症や鬱になる。
また、学校や会社で苛められるから、精神を病む。
精神を病むから、ひきこもる。
精神を病んでいたり、ひきこもっているから働けない。
働けないから、収入を得られない。
収入を得られないから、生活保護を受けざるを得ない。
しかし、
生活保護を受けたり、貧困者であると、
社会から蔑まれたり、貧困ビジネスのターゲットとされる。
いったん精神を病むと、その負のスパイラルから抜け出せない。

こういう当たり前といえば当たり前の
因果関係を日本のみならず、世界中でも言う人が誰もいなかった。

強迫神経症や鬱は、精神疾患として、
精神科医だけが扱う問題であり、
ひきこもりは社会学者が扱う問題、
貧困は、経済学者が扱う問題として
分断して語られ、取り沙汰されてきました。

しかし、精神を病み、ひきこもって、貧困を強いられている人間の
尊厳の復権と、社会的復帰を考えると、
包括的な解決が必要であるということです。

こういうアプローチをぼそっと池井多は、
世界に先駆けて始められた。

私は、塞翁王国から放逐されてからのぼそっとさんの営みを、
負のスパイスに陥った者の救世主として見ています。

私は何のために生まれてきたのだろう。
我々に訪れるこの普遍的な疑問を、
ぼそっとさんは、今、虫けらたちの尊厳の証明として、
一身に引き受けられているような気がしてならないのです。

私は、ぼそっとさんが、
お母様に虐待され、塞翁先生からその再演として利用され、
さらに放逐されたことを、
ぼそっとさんにとっても、
我々虫けらたちにとっても良かったのだと思いたい。

今、ぼそっとさんには、
虫けらの蜂起のために生まれてきた
といってのけることができる期が熟してきたのだと思うのです。

先日、塞翁先生が言われたとされる、
「池井多では駄目だ」
という発言に対し、
ぼそっとさんは、その理由を

「私が主体を持っているからだ」

と堂々と述べられました。

病からの蘇生を「主体の奪還」と日々叫ばれているぼそっとさんが、
これをいわれたことは、非常に重大です。

私は、
「ぼそっとさんは、塞翁王国から放逐されてから、生き始めた」
と感じていましたが、
「私は主体を持っている」
とぼそっとさんが語られたことを非常に大切に思っているのです。

主体の奪還を病の快癒とするなら、
未だ鬱症状は残っているのかもしれませんが、
ある種の回復へ向かわれてはいるような気がするからです。

話は飛びますが、
日本文化は、鎖国文化です。
一子相伝の秘伝で熟成されます。

家庭の中、治療共同体、あらゆるところに村社会を築き、
閉鎖の中で生き残ろうとする。

しかし、こういう方法論は、外圧に弱い。
外から圧力が掛かると、いとも簡単に、鎖は千切れる。

塞翁王国からの放逐後、
ぼそっとさんがひきこもりの若者と連繋されたこと、
マリアテレサさんとの出会いがあったことなどは、
日本社会に外圧を導く呼び水となる可能性があります。

また、原田監督辺りが、取り上げて映画にしてくれたり、
マリアテレサさんとのやり取りを、メディアで取り上げてくれたりすると、
それらは外圧となり、
村社会の常識が、一挙に崩壊する可能性があります。

私が「何かが起こる予感」と申し上げたのはこれで、
負のスパイスに陥っている虫けらの私の期待でもあります。


[ 痴陶人 ] 2017/6/4(日) 午後 7:58
 
ぼそっと池井多
 
持ち上げすぎで、冷や汗が噴出する箇所もありますが、
ありがたく拝受しておきます。
 
塞翁先生が、
 
主体をもっている患者は要らない
 
私の道具とならない患者は要らない
 
と言っているのに等しい(*1)のは、
まさにそのとおりだと思います。
 
*1:塞翁先生は、治療共同体における
私の言論を封じこめるために
ザスト通信はこの原稿を必要としていません
という理由で、拙稿の機関誌への掲載を拒否してきた。
 
塞翁先生は、
患者の病を治したいのではなく、
患者を病に落としこみたいのでしょう。
 
それによって後に残される
娘が生きていく財源が確保されるからです。
 
 
 
・・・「治療者と患者(147)」へつづく
 

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