VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

スパゲッティの惨劇(31)阪神淡路大震災とザスト首切りメールの衝撃

スパゲッティの惨劇(30)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
この「スパゲッティの惨劇」シリーズは、
もともと私の成育歴における心的外傷を言語化するものとして始めたが、
最近はマリアテレサとの書簡集になってしまっていた。
 
書簡集は、べつの
というシリーズへのれん分けしたので、
本シリーズはふたたび私の外傷体験の分析に
筆を立ち戻らせてみたい。
 
 
 
 
 
 
1995年、阪神淡路大震災のとき、
関東に住んでいた私は
まったく直接に被災していないにもかかわらず
震災が心的外傷(トラウマ)になってしまった。
 
関西で、じっさいに被災された方々からすると、
「よう、言うわい」
「なんとまあ、ぜいたくな」
とでも言いたくなるというか、
鼻でせせら笑いたくなるところであろうが、
恥ずかしながら、それが事実なのだから、仕方がない。
 
あのころ、震災が起こってから、
こわくて、街へ出られないような心理状態がしばらく続いた。
 
いちおう、私もそのころは社会的に
曲がりなりにも少し働いてもいたものだから、
 
「30を越えた、いい齢をした男が
こわくて外にも出られない」
 
などという心理状態であることは人にはいえず、
表向きにはひた隠ししていたが、
じつは内心、毎日ガタガタと震えていたものである。
 
当時、私が住んでいた東京郊外の団地は、
もちろん阪神淡路大震災の影響では
微動だにしなかった(と思う)。
 
なのに、なぜ、そこまで
あの地震が外傷体験になってしまったのか。
 
それは、私の人生の流れというコンテクストから
語らせていただかなくてはならないのである。
 
また、時が経ったから
そういうコンテクスト全体が見えるということもある。
 
 
 
 
 
 
以前から何度か書かせていただいているように、
私は大学を卒業するときに、
どうしてもそのまま社会へ入っていけないという
尋常ならざる魂の抵抗にあい、
日本社会では生きていけなくなった。
それで、いわば死ぬためにアフリカへ行った。(*1)
 
 
そのプロセスを言葉にしていこうという試みが
本ブログの
海外ひきこもりだった私」
というシリーズであるはずである。
 
「ひきこもり新聞」などというものに関わり始めてから、
私のこの体験と、似たような来歴を持つ人が、
けっこう見つかるようになってきた。
 
だから、やはり二十代の私のみっともない遍歴は、
ちゃんと言葉にしてみる価値があるらしい
とはわかっているのだが、
あちこちへ逸れ、なかなか進まない。
 
とくに16歳のおしゃまな美少女に
「お父さん」
などと呼ばれてしまうと、
なぜだかわからないが始終デレデレとして、
たちまち日々のエネルギーが
彼女との交信にばかり費やされるようになっていき、
自分の過去の分析はなおさら筆が進まなくなっている。
 
なので、海外へ出ていったプロセスはひとまず飛び越えて、
そのあとのことを書いてみようと思う。
 
結局、私は
アフリカで死ねないで、(あるいは「死なないで」)
やがて日本に帰ってきたのだった。
 
そのころ、すでに日本ではバブルがはじけ、
昭和ですらなくなっていた。
 
ところが、私はある意味でほっとしていたのである。
 
今まで、アフリカで死のう、死のうと思って放浪をつづけていて、
じっさいに死にそうになることが何度もあった。
 
疫病、戦争、強盗、飢餓などなど
じっさいに死にそうになることが何度もあった。
 
当たり前だ。
 
死のうと思ってアフリカへ行ったのだから、
しょっちゅうそういう目に遭うということは、
それだけ私のお目が高かったというわけである。
 
目的地選定がまちがっていなかったということである。
 
しかし、日本へ帰ってくることになって、
成田空港に帰還の第一歩をしるしてからというもの
私はなにやら安心して全身の力が抜けてしまった。
 
ここは文明国だ。
安全だ。
命の危険はない。
 
内戦の銃弾が飛びかっているようなことはない。
食べ物がなくなることもない。
水の確保に躍起となることもない。
 
街は、みな
おそらくミリ単位まで正確に計測され、
精緻な計画性によって建造され、
蛇口をひねった水はしっかりと殺菌されている。
 
よほどこちらから死のうとしなければ、
死が向こうからやってくることはないのだ。
 
今まで放浪中のアフリカのように、
いつ死ぬか、いつ死ぬか、という緊張感とともに
日々を過ごしていなくていいのだ。……
 
 
 
当時、言葉に出して、そう思っていたわけではないが、
意識の奥底にあったものを今、言葉にすれば、
そういうふうに思っていた。
 
それを「バカげた考えだ」と嗤うことはかんたんである。
 
「日本だって、いくらでも死は向こうからやってくるじゃないか」
「日本だって、いくらでも危ない建物があるじゃないか」
 
そんなツッコミは、いくらでも入れられるだろう。
 
しかし、それまでの私は、
いつ死ぬかわからないという、
緊張を持続させる毎日であったために
たかだか日本に帰ってきたことが、
絶対安全な「死なない国」へ帰ってきたという幻想を
ふくらませていたのである。
 
無意識的に、他の日本在住の人以上に、
とても大きな安心を抱いていた。
 
ここに無視できない個人的なコンテクストがある。
 
 
ところが、阪神淡路大震災が起こり、
テレビ画面には
橋脚から横倒しになった高速道路が映っていた。

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「ここも安全じゃないのか!
 
ここは安全だと思ってたどりついていたのに、
ここは安全じゃないのか!」
 
 
衝撃が私を突き刺した。
 
それで心的外傷体験になってしまったのである。
 
 
 
 
 
 
同じことが岡村美玖のメール(*2)にもいえる。
 
*2.「岡村美玖のメール」参照。
 
一般企業ならば、まだわかる。
 
熾烈な経済原理によって成り立っている
一般市民社会の企業の中ならば、
それまで18年も勤めてきた会社を
メール一本でクビになる、
などということは
おそらくザラにあるのだろう。
 
しかし、私は医療機関にかよっていたのである。
 
一般社会で傷ついた人たちが、
心を癒しにくる場である。
 
そこは、心のケアをおこなうところであって、
まさか人に心の傷をあたえるところではない。
 
私は、経済原理の外側で生きがいを見つけ、
治療共同体の中でこじんまりと、
あれこれの諍いはあっても、
基本的に平和に暮らしていたのである。
 
そこへ、いくら治療者の娘の姉貴分だからといって、
いきなり外部から入ってきた者が、
問答無用でリンクを切り(*3)、
メール一本でクビにするなんて……。
 
 
 
そして、いくらこちらが精神科の患者にすぎず、
向こうが精神科の患者になったことはなく、
治療者・経営者の側に身を置く者で、
さらに関西大学という
彼らの中ではいちばんの高学歴だからって……。
 
ありえない。
 
ありえない。
 
だから私はショックだったのだ。
 
いわば、ふつうに野外でボールが飛んできても
「あ、痛い」くらいで済んで、
それほどの怪我にはならないが、
風呂に入って皮膚が柔らかくなったところへ
ボールが飛んできたら、
たちまち内出血・骨折などの怪我になり、
あとあとまで後遺症を残すようなものである。
 
それで心的外傷体験になってしまったのである。
 
「たかがリンク一つ」
「たかがメール一本」
という言い方はできるかもしれない。
 
しかし、全体の流れから考えれば、
それが「たかが」では済まされなくなるのである。
 
しかも、その説明と謝罪を求めているのに、
治療者である塞翁先生も、
その配下に従属する宦官患者たちも、
今に到るまで、いっさいの説明を拒んでいる。
 
みんな、事件をうやむやにし、
なかったことにしようとしている。
 
それが心的外傷を上塗りしているというわけである。
 
 
 
 
 
 
心的外傷は、
たとえば性器の挿入ならば、「性器の挿入」という、
その事件だけを取り出すのではなく、
やはり、その事件が起こった
流れ(コンテクスト)から解釈しなければならない。
 
それだけ人の心というものは有機体であり、
精神医学は人の心を対象とする科学だからである。
 
 
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    顔アイコン

    高学歴ね~
    それが云えるのは官僚を多く輩出している東大くらいのもんだろう。
    後は、4年間どれだけ人格、人間としての幅を広げる事が出来るかであろう。その場が日本と云う地域だけではなく、世界に広がればより良い。
    特筆されるべき事の一つに「聞く事」が出来て、適切だと思われる言葉が言えると云う事であろう。自己を語らず聞けるかどうか・・それを、ぼそっとさんは実践しているのであるからやはり治療者の一人であろうと思う。何も持ち上げている訳ではなく事実を感じた儘に書いているだけである。 削除

    goodじいさん ]

     

    2017/6/23(金) 午前 8:14

     返信する
  •       

    goodじいさんさま コメントをどうもありがとうございます。

    >ぼそっとさんは実践しているのであるからやはり治療者の一人であろうと思う。何も持ち上げている訳ではなく事実を感じた儘に書いているだけである

    身に余るお言葉、
    まことにどうもありがとうございます。

    もしそれが本当ならば、
    それがわからないで、
    まっさきに私を治療共同体から追い出す
    「彼ら」の頭の悪さも相当なもの
    ということになります。 削除

    チームぼそっと

     

    2017/6/23(金) 午前 9:09

     返信する
  •       

    顔アイコン

    彼等は「出来る人」を追い出す事を目的としているので何等不思議では無い。
    組織としてのレールが出来れば後は切れる人、出来る人は無用の長物であろう。
    組織が自分の思うとおりにならないからに他ならない。 権力を持っている者に抗うのは大変なエネルギーを要する。
    精神的にも、勿論肉体的にもである。
    此処は、体験者は語るですかね。 削除

    goodじいさん ]

     

    2017/6/23(金) 午前 10:06

     返信する
  •       

    goodじいさんさま 

    なるほど、おっしゃるとおりなのでしょう。

    「できる人は追い出す」ような、
    「えぐい」ことをやっている治療者や、
    その娘や側近たちを、
    神のようにたてまつっている患者たちをみると、
    やるせない気持ちになります。

    彼ら下級患者たちは、
    もともと私が仲間と思っていた人たちでした。

    彼ら下級患者たちは、
    塞翁先生や真子社長、岡村部長にたいして
    私が正当な怒りを持つことすら、
    私が犯している悪事のように考えています。

    そうすることによって、
    催眠にかけられた彼らの世界観に
    ヒビが入らないように、
    自分の身を防衛しているのでしょう。

    しかし、一連の構造の
    犠牲となっている私からしたら、
    これはたまったものではない。

    そこで抵抗を試みるわけですが、
    goodじいさんさんがおっしゃるように、
    そこで精神的にも、肉体的にも
    よけいな仕事をこなさなくてはなりません。 削除

    チームぼそっと

     

    2017/6/23(金) 午前 10:35

     返信する
  •       

    顔アイコン

    だからテレサさんの様な方必要がとなるのです。(^^) 削除

    goodじいさん ]

     

    2017/6/23(金) 午前 10:56

     返信する
  •       

    どうも。横コメントですみません。
    goodじいさんさんに同調しますね。
    その組織がどういう人材を欲しいかによるのでは?コミニュケーション力重視、創造力重視など、職種によって変化します。学歴神話のあったのはバブル期以前で、今や、個々のポテンシャル重視でしょう。自己の能力を、チームや職場での協調性を保ちつつも発揮できる人が求められてるような気がします。つまらない組織を相手にしているのは勿体無い。自分の能力を発揮できる場所へ! 削除

    roz***** ]

     

    2017/6/24(土) 午前 10:47

     返信する
  •       

    roz*****さま コメントをどうもありがとうございます。

    過分なる言葉、まことにいたみいり、
    光栄にぞんじます。

    「その組織がどういう人材を欲しいかによるのでは?」
    その他、おっしゃることは逐一、
    そのとおりであると思います。

    しかしながら、お言葉を返すようで恐縮ですが、
    そもそも私はさいおうクリニックに
    精神科の患者として治療に行ったのでした。

    企業に応募して就職したわけではありません。

    なのに、18年ものあいだ、
    治療されないばかりか
    ほかの患者の治療のダシに使われるだけで、
    どんどん自己評価は下がり
    私の症状であるうつもひどくなりました。

    ほんらいなら医療過誤債務不履行で訴えたいところですが、
    証拠が残っていないため、
    それもかないません。

    (下コメントへつづく) 削除

    チームぼそっと

     

    2017/6/24(土) 午後 0:43

     返信する
  •       

    (上コメントからのつづき)

    「この組織にはお前のような患者は必要ない」
    という向こうのストーリーにのっかって、
    自分から出ていくようなことがあれば、
    私の18年は何だったのだろうか、
    という悔いが残ります。

    私の「泣き寝入り」は、
    向こうの思う壺だと思うのです。

    さいおうクリニックの歴史をふりかえれば、
    被害者は私だけではありません。
    多くの患者が、私と同じ立場へおいやられ、
    これまで自殺しています。

    私は、現在の不遇を無駄にしたくない、
    今後のために何かに役立てたいのです。

    横コメント大歓迎です。
    今後ともどうぞよろしくお願いします。 削除

    チームぼそっと

     

    2017/6/24(土) 午後 0:45

     
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