VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

治療者と患者(157)晩節を汚す

治療者と患者(156)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多
 
私がむかし父親像を投影していた
大学の主任教授、鈴澤先生はしきりと
 
晩節を汚(けが)すまじ
 
ということを言っていた。
 
何を指して「晩節を汚す」というのか、
聞いている私は、まだ若く、
よくわからなかった。
 
サルトリアンであった鈴澤先生は、
へたをすれば吉本隆明のような人すらも
「晩節を汚した」範疇に入れかねない勢いだったから、
それを人間行動の指標として仰ぎ見ていた私は
いよいよ、わからなくなったものである。
 
たしかに、そういう視点からすると、
晩年になっても文化大革命の思想的支持者として
毛沢東主義のビラを街頭で配っていたというサルトル
「晩節を汚」さなかったことになるのだろう。
 
しかし、そういう生き方しか
鈴澤先生の御眼鏡にかなう
「晩節を汚さない」老い方とならないというのなら、
私にはひじょうに違和感があるのであった。
 
 
ちょうど川の上流から転がっていく石が、
下流へ行くほど角が取れ、丸みを帯びてくるように、
齢をとれば、片意地を張って唱えていたイデオロギー
理論の角が取れて、
あるいは先鋭的だった知性の角が取れて、
そのかわり、人間らしい真実があらわれてくるということは、
いっしゅの円熟や晩成と考えられるのではないか。
 
そういうことを「晩節を汚す」などといっていては、
いけないような気がしたのである。
 
だから、鈴澤先生が矍鑠(かくしゃく)とした背筋で、
 
「あいつは晩節を汚した」
「こいつも晩節を汚した」
 
という話を始めると、
かたわらで聞いている私は震え上がると同時に、
内心、はげしい拒絶反応をおぼえていたものだ。
 
 
 
 
 
 
ところが今、鈴澤先生の言っていた
「晩節を汚す」
という言葉の重みを再認識している。
 
塞翁先生の、この十年ほどの変化を見ているからである。
 
約二十年前、1990年代に私は、
塞翁先生は
 
「あの王様は裸だ」
 
と行列の外から指摘する、勇気ある少年に思えた。
 
たとえば、それまで「エビデンス」が出ないため
日本に存在しないことになっていた児童虐待
 
「ある」
 
と社会へ摘出して見せたのも、
塞翁先生だと思う。
 
近親姦についても、そうである。
 
しかし、それから二十年。
いまの塞翁先生は、
 
「あの王様は裸だ」
 
と外から指摘する少年ではなく、
自らが行列のど真ん中を裸のまま歩いている、
「裸の王様」その人になり果ててしまっている。
 
よく知りもしないくせに
エビデンスを出せ」(*1)
などとわめきちらすイヌサキのような番犬患者を
たくさん周囲にはべらせながら、
あたかも豪奢な衣服を着ているかのように
裸のまま歩いている王様になり果てているのである。
 
 
 
若いころの「知性の角」が取れてきて
「人間らしい真実があらわれてきた」のではなく、
言っていることとやっていることがつながらない。
 
やっていることを、弥縫策のように
場当たり的な言葉にしている印象がある。
 
そして、それを
などとうそぶいて見せる。
 
これも一つの老い方なのだろうか。
 
ここで私の脳裡に、
かつて鈴澤先生が言っていた
 
「晩節を汚すまじ」
 
という言葉がよみがえるのである。
 
かつて一世を風靡(ふうび)し、
社会の頂点に昇ってしまった人ほど、
どのように老いていくかはむずかしい課題であるだろう。
 
塞翁先生は、まさにどのように老い、
活動の終期をむかえるか、
多くの人が注目していたと思うのだが。
 
塞翁先生のここ数年の変化で、
もっとも鍵を握っているのが
娘の真子社長であると私はにらんでいるが、
娘にせっつかれて、
患者の治療転移を
意地きたないまでに金に換えようとする人になってしまった
塞翁先生は、やはり
「晩節を汚す」
と表現するしかないように思うのである。
 
 
 
・・・「治療者と患者(158) 」へつづく
All Right Reserved (C)VOSOT 2013-2020