VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

しゃべれない男たちの叫び(19)家父長制と財布

しゃべれない男たちの叫び(18)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多 

 

痴陶人
余所の国の人がら見れば、
父権的に見えるが、実は母権的
というぼそっとさんのいう二重構造の象徴的なことは、
日本のほとんどの家族の財布の紐を
母親が握っているというこでしょうか。

亭主関白に見える家ですらそうで、
ブンブンと五月蝿(うるさ)いけれど、
結局女王蜂と働き蜂の関係にあるというのが、
多くの日本家庭の実態でした。

それが、女王蜂も働きに出るようになって、
女王蜂もブンブンいい始め、
でも、財布の紐はまだ母親が握っているというのが、
現在の日本のような気がします。  


[ 痴陶人 ] 2017/7/16(日) 午後 4:59 
 
ぼそっと池井多
 
痴陶人さま コメントをどうもありがとうございます。
 
そういう「深みのある理解」が、
まだ日本に関しては国際的になされておらず、
ひたすら家父長制の社会ということで、
世界のフェミニストに批判されているきらいがあると思います。
 
型に当てはめた、平面的なフェミニスト理解では、
日本社会の真のすがたは浮かび上がりませんし、
そこから現実的な解決策も導き出されない以上、
当の女性たちも幸せにならないと思います。  
 
[ ぼそっと池井多 ]  2017/7/16(日) 午後 6:20 
 
 
豚猫大好きぶーにゃん :
こんにちは。

うーん、私の場合は
まさに父親があなた様の母親と同じ行為をやり続け、
母親はひたすら父親のイエスマンでした。
(女性だからイエスウーマンか?)

親戚も皆父親とされる人が暴虐をふるい、
女性たちは泣かされてきました。

私はあなた様が提起されておられる問題を解決に導く方法として、
「脱・主流秩序」を提案します。

「主流秩序」という言葉は、
私の師匠(と私が勝手に思っているだけですが)の
「イダヒロユキ(伊田広行)」氏が批判対象とすべきとしてる概念で、
つまり「金や暴力を使って社会でのし上がるといったことはやめにして、
この世の社会的弱者に寄り添う生き方をしようぜ」
ということを主張されています。

それでは。暑いので熱中症にはお気をつけて。  


[ 豚猫大好きぶーにゃん ] 2017/7/16(日) 午後 6:55 
 
ぼそっと池井多
豚猫大好きぶーにゃんさま コメントをどうもありがとうございます。
 
男たちが暴虐をふるい、
女性たちが泣かされてきたご家系なのですね。
そういう家系があることは、
私も間接的に存じ上げております。
親類縁者、みなそのような家風だったというわけでしょうか。
 
ふしぎなことは、
そういう傾向は
「家系ごと」に決まるものでもないだろうと思うのですが、
私の親類縁者には、
男性が暴虐をふるい、女性が泣かされていた家族が皆無で、
どこも女性優位でした。
 
田舎などだと、一族はみんな同じ村に住んでいますから、
家風が似てくることもあるでしょうが、
都市部に散在している核家族ですら、
親族のあいだでは家風が共通していたのです。
 
これはいったい何だろうと思います。 
 
[ ぼそっと池井多 ]  2017/7/16(日) 午後 11:32
 
 
痴陶人

ケイうちは小さな町工場ですので、
 サラリーマンの家庭とちがって、
 事業収入と家計収入が
 ほとんど区別がつかない状態なのです。

 ですから、たとえばサラリーマンの家庭みたいに
 元妻に

 「ほら、これが今月分の生活費だよ。
 これで今月はなんとかやりくりしてください」

 というふうに
 10万円なり何なりをわたすということができない。

 私がお金を握っていたので、
 すべての経済的決断は私がやっていました。
(*1)
 
ここが、昨日お話しした、
日本の女性が、一見家父長制の中で虐待されているように見えながら、
実質的には優遇されていることの証でしょうね。

フィリピン人の元奥さんは、
日本の他の家庭のように、
財布の紐を預けてくれないケイさんに、
「自分がフィリピン人だから、そのように扱われている」
という不満を抱いたことでしょう。

しかし、これは、ケイさんの職業が
町工場経営という自営業だったからでした。

私の家も商家でしたからよくわかるのですが、
日銭は入ってきますが、仕入れの支払いや何かで、
生活費は、後回しになるのです。

ここで考えておかなければならないのは、
家庭内の虐待は、
必ず経済的、実質的権力の元にあるということです。

権力者に逆らうと、食べていけない、
この大前提があってこそ虐待が可能になる
ということです。

日本の女性が、封建的家父長制の犠牲者と見えることは、
実は、財布の紐を握っている母親の子供への虐待をカムフラージュすることになる
素晴らしい制度であるということです。

ぼそっとさんやタダさんのお母様は、
正しくそのカムフラージュの下での虐待を行っています。

私が、三島由紀夫の狂気の源泉を祖母夏子ではなく、
母権の二重構造として、母倭文重に見る
のはここです。

ただ、妻に財布を預けるという日本の家庭の制度が、
日本を先進国の仲間入りにさせた
最たる功績だったとも思うわけです。

つまり、権力の二重構造であると同時に、
権力の分散、分立として作用した。

稼いだ金を、全て妻に預けることで、
父権の横暴を自ら抑止したことで、
日本は発展できたと思うわけです。

そして、この制度は、間違いなく「武士道」からきています。

男たるもの、お金のことで口を挟むのははしたないという、
無産階級の貴族的思想ですね。

だから、日本女性が、虐げられているという見方は大変浅い。

そして、もう一度いいますが、
日本の母親による虐待が見えないことも、
この問題と通底するということです。


[ 痴陶人 ] 2017/7/17(月) 20:28
 
ぼそっと池井多
 
女性に財布をあずけるということが、
男性優位社会ゆえの現象でないことは
まことにおっしゃるとおりだと思います。
 
たとえばアラブ社会では、
買い物は男の仕事です。
 
それは、
 
「女性は頭がわるいから、
要らないものをたくさん買ってしまったり、
市場で値段の比較や、価格の交渉などができない」
 
という女性蔑視的な思考から来ている慣習に見えます。 
 
たしかに、女性が家父長制の犠牲者であるという思考が、
女性になにがしかの、
被害者特典ともいうべきポイントをあげていて、
そのポイントによって
子ども(とくに男性の子ども=息子)を虐待していることの責任の
追及をまぬがれている、
といった空気はあるかもしれませんね。
 
1980年代までは、主に
 
虐待される子どもがわるい
 
といったことになっていました。
 
それがひっくりかえってきた1990年代に、
それでは今度は、
 
虐待する母親がわるい
 
となるかと私は思って期待したのですが、
どういうわけか社会はそこを素通りして、
 
母親に虐待をさせる社会がわるい
 
という風潮になっていきました。
 
こうして虐待する女性の責任は、
虐待された男性の責任に比して、
問われる時間が短いまま、
時代が流れていこうとしています。
 
そこで燃え残った不活性ガスのようなものが
あちこちに残っていることでしょう。
 
このあたりの責任の感覚も対等でなければ、
まわりまわってセックスの在り方なども対等にならないわけであり、
性暴力の対策も「厳罰化」しかない時代が続くのです。
 
責任が何たるかわかっている、
近代的自我を確立している女性だってたくさんいるのです。
というか、
そういう女性がいまや大多数であることでしょう。
 
女性の責任を問わないことは、
女性を一人前の人間として見なしていない、ということであり、
けっきょくは女性に対して失礼な
女性蔑視の態度であることに、
多くの人が気づいていません。
 
 
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