ひきこもり歴、断続的に三十余年<中篇>」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
ひきこもり新聞 紙版 2017年3月号所収
特集「中高年のひきこもり」
当事者手記「ひきこもり歴、断続的に三十余年」
~家族と精神医療に打ちのめされて~
後篇
精神医療に囚われる
(前回「中篇」に述べたように、)精神科医療機関に付属している治療共同体を足掛かりとして、私は何度か社会復帰を試みるのだが、他ならぬ治療共同体の中に「そうはさせまい」とする力が内在し、果たされないまま17年が過ぎていった。医療は、ひきこもりから救ってくれるどころか、さらなるひきこもりへ追いやるものとして私には機能した。
内閣府によるひきこもりの実態調査で四〇歳以上が対象から外された理由が、「四十歳以上は厚生労働省の管轄なので」と担当参事官から答弁されたことは、私のような中高年のひきこもりに少なからぬ衝撃をもたらした。
「厚労省の管轄」ということは、要するに「医療の対象」ということである。医療によってさらにひきこもりへ追いやられた私にとっては、ひきこもりが医療に丸投げされてしまうことに大きな危惧を抱かざるをえない。
「ならば、さっさと通う病院を変えればいいじゃないか」
と一般人は思うかもしれないが、すでに家族、親族という第一の故郷から放逐された私にとっては、かれこれ17年も通ってきた治療共同体は第二の故郷のようなものであり、また生活保護などの社会保障を受ける際に医師の協力が不可欠なので、そう簡単に変えられないのが実状である。
こうして就労や社会復帰への努力はことごとく潰えてきたわけだが、考えてみれば、給料をもらう仕事に就き、結婚して家庭を持ち、子どもを生み育てるということが、最終的にひきこもりからの「回復」や「脱出」といえるかどうかは全く疑わしい。
私自身は、年齢を重ねるにつれて、しだいに「回復」や「脱出」を望まなくなってきている気がする。何度も試み、人生に打ちのめされ、そのうちに力も尽きて、諦めが先立つようになった。
これから先はせめてQOH(*1)を高めて、静かにひきこもっていたいとも思う。
*1.QOH(Quality Of Hikikomori)
ひきこもりの質。
同じひきこもっていても、
質のよい時間とわるい時間がある。
孤独死対策
私の世代のひきこもりが集まると、必ずといってよいほど出る話題は「腐って発見されるのは是か非か」である。
私の場合は、ひきこもりといっても親と暮らしているわけではないから、80-50問題(*2)もないのだが、そのかわり独居老人と孤独死の予備軍であるという問題がある。
*2.80-50問題
ひきこもりの高齢化により、
親が80代、子が50代となり
生じる問題群のこと。
じじつ、同じ年代の仲間が「死後何日で見つかった」といった話が伝わってくることも多くなった。縊死のように、はっきりと自殺と断定できるものもあれば、餓死や過剰服薬のように、
「本人はまだ生きたかったのではないか」
と首をかしげるケースもある。あまりにひきこもりが度を過ぎてしまうと、体力の衰えもあるので、コンビニに食べ物を買いに行くこともできなくなる。コンビニまでクルマで行かなくてはならない地方だと、なおさら切実である。
すると、どうしても
「自分が発見される時」
が脳裏をかすめるのである。
私は長年、無職、精神科通い、生活保護と、世間から侮蔑を浴びる存在として生きてきたので、いまさらプライドもへったくれもないのだが、それでも
「腐乱死体では見つかりたくない」
という最後のプライドのかけらがあった。
しかし、そのためにはどうしたら良いだろう。死後処理をやってくれる会社やNPOはいくつか存在するが、生前契約金は生活保護の身には払えないほど高い。福祉事務所の担当ケースワーカーが、生活実態の調査のために年2回やってくることになっているが、それでも間遠だし、じっさいは年1回ほどだから、来てくれた時にはすでにこちらが腐っているかもしれない。
では、もっと頻繁に来てもらうのがよいかというと、そうでもない。受給者にとってお役人が見回りにくるのは、ずいぶんといやなものなのである。向こうも
「いやな仕事だな、こんな汚い部屋、来たくないよ」
と思って来ているだろうし、ひきこもりであるこちらも
「いやだな」
と思いながら毎回お役人を部屋へ入れている。
これ以上、回数を増やすのは御免である。
どう人生を全うするか
ある日、仲間が言った。
「もう、いいじゃない、死後何日だって、腐ってたって。そのとき自分は、もう死んじゃってるんだから、尊厳も何もないよ。私たち本人も、恥ずかしいだの何だの思わないよ。始末する人には悪いけど、こっちもできることは全部やったんだし」
「そうか…」と納得しつつある自分がいる。これを納得してしまったら、何か一線を越えてしまうような抵抗がある一方では、越えれば楽になるような気もする。
私は宗教を持たない。だから、死んだら無になると思っている。死後の自分が天上から腐った自分の遺体を片づける人たちを見下ろしている、といった空想はない。
「しかし、大家さんや行政の人に迷惑かけるのは悪いなあ。仲間同士のネットワークを用いて、何かあった時に早めに発見しあえるシステムを整えていくことはできないだろうか」
などと考えている。
> ぼそっと池井多

「 医療は、ひきこもりから救ってくれるどころか、さらなるひきこもりへ追いやるものとして私には機能した。」
それこそ、あなたが、塞翁 勉 医師に着せている濡れ衣ではないか。
[ 流(ナガレ) 全次郎 ]
2017/12/30(土) 午後 8:39
返信するYさんは孤独死の際カナダ領事館に連絡するとカナダの大学病院が引き取り、Yさんの献体を実習解剖することになっていると聞いてますが、日本ではそんなことは出来ないのでしょうか。
ちなみに私の場合Pが焼却後ピン川に散骨する予定ですが・・。
2017/12/30(土) 午後 11:15
返信する流(ナガレ) 全次郎さま コメントをどうもありがとうございます。

> それこそ、あなたが、塞翁 勉 医師に着せている濡れ衣ではないか。
その可能性はないですね。
本ブログをもう一度、
はじめからよくお読みください。
2017/12/30(土) 午後 11:31
返信する迷えるオッサンさま コメントをどうもありがとうございます。

> 日本ではそんなことは出来ないのでしょうか。
できるにちがいありませんね。
そう言われてみれば、
最近、大学病院への献体申し込みが急増しているという記事を、ある女性誌で読みました。
けっこう皆、同じことを考えているかもしれません。
妙手を教えていただき、
どうもありがとうございました。
2017/12/30(土) 午後 11:33
返信する> ぼそっと池井多

患者を引き籠もりにすることによって精神科医が得るのは汚名だけです。
精神科医が、わざわざ、そんなことをするとは思えません。
[ 流(ナガレ) 全次郎 ]
2017/12/31(日) 午前 8:22
返信する> ぼそっと池井多

「 本ブログを、もう一度、はじめからよくお読みください。」
人の言い分は、いい加減な認識と記憶とに基づいていて、それには、必ず嘘が含まれています。
ですから、私は、あなたも、塞翁先生も、どちらも信用しないのです。
あなたの情報源は信用できるのですか?
[ 流(ナガレ) 全次郎 ]
2017/12/31(日) 午前 8:48
返信する流全次郎さま コメントをどうもありがとうございます。

> 精神科医が、わざわざ、そんなことをするとは思えません。
「わざわざ」したのではないかもしれません。
しかし、精神科医としての技量が十分ではない、
もしくは、塞翁療法というものが臨床的に妥当性を欠いているために、
そうなってしまった、
ということを申し上げているのです。
つまり、故意ではなく過失であり、
医療過誤、医療被害である、と。
> ですから、私は、あなたも、塞翁先生も、どちらも信用しないのです。
あなたの、すべてを疑う姿勢は良いものだと思います。
> あなたの情報源は信用できるのですか?
できるものだけを採用しています。
まず私自身の体験は、信用できます。
判断するにあたって行使する、私の主観も、
私にとってはとうぜん信用できるものです。
あとは、録音資料などの客観的証拠があるものは信用できます。
それ以外の伝聞情報に関しても、
周辺の状況からして信じるのが妥当であると判断されるものを採用しています。
2017/12/31(日) 午前 11:00
返信する> ぼそっと池井多

あなたと 塞翁 勉 医師 との問題は、患者と医師との関係ではなく、2人の個人の関係から生じているように思います。
だとしたら、それは、医療過誤 • 医療被害ではありません。
[ 流(ナガレ) 全次郎 ]
2017/12/31(日) 午後 1:58
返信する流全次郎さま それはまったく間違いです。

私は毎回、塞翁先生に会うために
医療費を支払っています。
私は生活保護受給者なので、
私自身の財布から払うことは稀ですが、
私が自立支援制度などの申請をすることによって
公費から払われているので、
私が医療費を払っているのと同じ関係です。
私は塞翁先生に医療を受けているのです。
もし、あなたのいうように、
私と塞翁先生の関係がたんなる個人の関係ならば、
なぜ毎回、私だけが彼に金を払わなければならないのでしょうか。
2017/12/31(日) 午後 2:52
返信する> ぼそっと池井多

「 ZUST通信 」の編集長であり、ZUSTの運営の現場の責任者であったあなたと 理事長の 塞翁 勉 氏 との関係は、患者と医師との関係ではなかったはずです。
部下と上司との関係に近かったのでしょうか?
[ 流(ナガレ) 全次郎 ]
2017/12/31(日) 午後 4:55
返信する流全次郎さま いいえ、それはちがいます。

もし上司と部下の関係ならば、
部下は部下であることによって
なんらかの報酬を得るはずです。
一般的には、たとえば「給与」というのが、
わかりやすい報酬の形でしょう。
ところが、私のザストでの作業には
いっさい給与は出ませんでした。
それどころか、ザストへ作業に出ていくたびに
私はクリニックに医療費を払っていたのです。
そのことは、私のザストでの作業が
塞翁療法における「作業療法」という位置づけであったことを示しています。
私はザストに就職したために、
阿坐部村に通っているのではありません。
私は患者としてさいおうクリニックにつながったから
阿坐部村に通っているのです。
しかも毎回、医療費を払っているのです。
私と塞翁先生のとの関係は、
「治療者と患者」以外の何ものでもありません。
2017/12/31(日) 午後 5:11
返信する流全次郎さま たとえばあなたが

ザスト劇団の演劇に出演するのは、
塞翁先生という上司に命じられた「仕事」だから
部下として出演するのですか。
そんなことはないはずです。
あなたは俳優を職業とする者ではないし、
ギャラを1円も受け取っていないでしょう。
あなたが出演するのは、
クリニックにおける集団療法の延長、すなわち
「作業療法」の一種だと
どこかで考えているからに他ならないと思います。
それと同じです。
2017/12/31(日) 午後 5:24
返信する> ぼそっと池井多

作業療法の場合、精神科医と患者とは、上司と部下との関係にはならないのではありませんか?
それに対して、塞翁 医師 とあなたとの間には、上司と部下とのような関係があったのではありませんか?
現在、塞翁 医師 と 押上 氏 • ボーズ曽我 氏 との間にも、精神科医と患者との関係とは別に、上司と部下との関係があるのではありませんか?
[ 流(ナガレ) 全次郎 ]
2018/1/1(月) 午前 0:18
返信する> ぼそっと池井多

因みに、私は、塞翁 医師 の部下にはなりたくありません。
塞翁先生の部下になってしまうと、先生に、患者として言いたいことが言えなくなってしまいますし、また、先生に、部下として能力を評価されたくもないからです。
今、先生と私との間にある、精神科医と患者としての関係を維持できなくなると思うからです。
病が完治して、精神科医としての 塞翁 勉 氏を必要としなくなった後なら、別ですが。
[ 流(ナガレ) 全次郎 ]
2018/1/1(月) 午前 0:40
返信する> ぼそっと池井多

もし、ZUSTの仕事が単なる作業療法なら、止めさせられても腹が立たなかったのではありませんか?
あなたが腹を立てておられるのは、あなたにとって、ZUSTの仕事が、単なる作業療法以上のものだったからではありませんか?
もし、例えば、劇団ZUSTの女性の団員の要請( 苦情 )に応じて、塞翁 医師 が、私に、劇団を辞めるように指示しても、私は、素直に応じるだけです。腹も立ちません。単なる作業療法ですから。
[ 流(ナガレ) 全次郎 ]
2018/1/1(月) 午前 1:03
返信する流全次郎さま 3件のコメントをどうもありがとうございます。

1月5日以降に、新しい記事を立ててリコメントさせていただきます。
2018/1/1(月) 午後 0:18
返信する> ぼそっと池井多

「 もし、上司と部下との関係ならば、部下は、部下であることによって、なんらかの報酬を得るはずです。」
例えば、学校の運動部( クラブ活動 )の場合、選手は、報酬を受け取りませんが、監督の部下です。
[ 流(ナガレ) 全次郎 ]
2018/1/1(月) 午後 8:46
返信する流(ナガレ) 全次郎さま

いいですか。
私は塞翁先生に医療費を払っているのですよ。
塞翁先生も医療費を取って、やっていることです。
2018/1/1(月) 午後 10:46
返信する> ぼそっと池井多

あなたと 塞翁 医師 との間には、患者と医師との関係とは別に、部下と上司とのような関係もあったのではないでしょうか?
ZUSTの仕事をしなければ、今、あなたと 塞翁 医師 との間にある問題は、生じなかったのでしょうか?
[ 流(ナガレ) 全次郎 ]
2018/1/2(火) 午前 10:58