VOSOT ぼそっとプロジェクト

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スパゲッティの惨劇(45)ひきこもりは人生最大の革命~「強迫を治す」積年の宿題を果たせた暗闇の歳月

スパゲッティの惨劇(44)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多 

 

 
ひきこもり新聞 紙版 2017年9月号所収
 
特集「ひきこもりの可能性
 
当事者手記「ひきこもりは人生最大の革命
 
~積年の宿題を果たせた暗闇の歳月~
 
 
働いていた偽りの自分
 
「面白い体験をしてきたじゃないか。
ぜひ書いて、世に出したらいい」
と背中を押してくれる人があったとき、私は三十になりかけていた。海外ひきこもりから帰ってきたころである。
 
書いてみたところ、あるノンフィクション賞の次点をいただいてしまい、それがきっかけでたちまち「国際ジャーナリスト」などと柄にもない肩書きをつけられ、仕事らしきことをするようになった。海外へ取材に出かけ、記事や本を書き、講演らしきことを行なうのである。おそらくこれを「就労」「ひきこもりからの回復」と呼ぶ人がいるだろう。ところが、私の内部では日増しに、一つの亀裂が広がっていった。
 
たしかに私は、まるで憑(つ)かれたように言葉を書く。しかしそれは、この稿がそうであるように、私の奥深くに埋まっている心の傷から流れ出る膿(うみ)である。何か言わないではいられないから書く。傷が、言葉で掘り起こされる必要があるのだ。
 
ところが、そのころ書いていた記事はどうであろう。「私に関係ない」とまでは言わないが、私の魂に差し迫っているわけでもない遠い国の出来事を、さも重大事件であるかのように書く仕事は、私の肌には合わない苦役であった。社会を客観的な言葉にしていくジャーナリストとなるには、私はあまりにも病んでいたのである。
 
 
二つの病い
 
病んでいたのは、二つの精神疾患であった。一つは、今もときどき遊びにくるうつ病で、しぶしぶ交際中である。もう一つは、三十七歳までの私の日々をほぼ支配していた強迫性障害であった。
 
不潔強迫、確認強迫、理由強迫。
いろいろな形で症状に出ていたが、突き詰めていくと、どの症状も同じ根につながっていた。根とは「母の死」を連想させる不吉な観念である。それに行き当たるたび、私は頭を前後に激しく振って、お祓いのような儀式を遂行し、観念を否定しなければ気が済まなかった。人工的に軽い脳震盪(のうしんとう)を起こすことで、意識がすうっと遠のき、不吉な観念が消えたことになるのである。強迫は、私が一人だけで信じている迷妄な新興宗教であった。
 
人前でそんなことをやっていると、「頭がおかしいと思われる」。いや、「おかしい人であるとバレてしまう」。だから、ふだんの社会生活では、そんな症状などまったくないかのように、けんめいに正常な人を演じていた。しかし、周囲に人がいなくなると、飢えた人がなりふり構わず食べ物にかぶりつくように、たちまち強迫行動を始めるのである。「面倒くさい。バカバカしい」と思っていても、やめられない。
 
そんなことをやっていたので、毎日、健常な人の八倍のエネルギーを使って生きていた。八倍という数字は、何かで測ったわけではないが、リアルな実感である。十倍まではいかないが、かなり大変だったというわけだ。
 
強迫はどこから来ているのか。
解明したいと思いながらも、日常に流され、突き詰める時間を持てないままに、歳月ばかりが過ぎていった。
 
人と会う。すると、必ずといってよいほど、仕事や約束や新たな案件が飛びこんでくる。すると、どうしても、そちらに手をつけてしまう。「仕事だからしょうがない」と自分に言い訳しながら、じつは己れと向き合うことから逃げているのである。仕事のほうが、軽くて楽。結果として、いつまで経っても、強迫の解明という肝心な宿題に手がつかないのであった。
 
 
どん底の気づき
 
亀裂は日増しに大きくなっていった。外から見れば、私は旺盛にあちこち飛び回り、活動的に仕事をする男であった。ところが内部は、あと一つ些細なきっかけさえあれば、すぐに崩落するほどボロボロになっていたのである。
 
やがて一九九五年。阪神淡路大震災地下鉄サリン事件、恩師の死、婚約者の浮気という四連発のパンチを受けて、私は人生のリングに沈み、三回目の本格的なうつ病を発症した。怖くて外出ができず、電話にも出られず、社会から完全に隔絶した。二十代の「そとこもり」とはちがい、今度は「うちこもり」であった。
 
カーテンを閉め切った。
窓の外の光から、社会の動いている様子が伝わってきて、ぞっとしたからである。やがて、カーテンの薄明りも気になったので、今度は昼間から雨戸を閉め、洞窟のように真っ暗な部屋でひきこもるようになった。トイレに起きあがるのもかったるく、一日中を布団の中で過ごした。
 
 
「もう、どうでもいい…」
 
出かけないから、あまり腹も減らない。しかし、立ち上がるとふらつくので、体力が衰えているのがわかった。それでも行動する気にならない。このまま衰弱死するなら、それでもいい。ホームレスになって路上へ投げ出されようと、死体となって腐って発見されようと、もうすべてはどうでもよくなってきた。
 
ひげそり、風呂、食事。当たり前のようにやっていたことは、一つ一つ「これって、やる意味あるのか」と考えてしまう。「ない」という答えとなるので、省略されていく。その延長として、それをやる意味を考えることを、きわめて深い所で自らに禁じてきた行動へ、思考のメスがおよんだ。強迫である。
「なぜ自分は、こんな面倒くさい儀式を毎回やっているのか」
 
 
セルフ精神分析
 
参考になったのがフロイトであった。精神分析がほとんど精神医療で実践されなくなった今、ある人はフロイトを馬鹿にし、ある人は敬遠して、皆あまり繙(ひもと)こうとはしない。
 
フロイトは難解である」というイメージを持つ人も多い。しかし、どんな書物でもそうだが、難解だと思うのはたいてい入口である。著者の思考パターンや物の言い方に慣れてくると、フロイトが言いたいことが急速にわかってきた。
 
ひきこもっているから、世間のことなどどうでもいい。社会のニュースも知人の消息もどうでもいい。どうでもいいとなれば、一つのことに集中もできるというものである。
 
 
よみがえってきた母の言葉
 
フロイトの考え方を自分にインストールすると、よみがえってきたのが、母がいつも言っていた、こんな言葉であった。
 
「言うこと聞かないんだったら、お母さん、死んでやるからね」
 
母の思うとおりにならないと、つまり、私が私を生きようとすると、母はすぐ「死んでやる」といった。母の「死んでやる」は、幼い私の日常生活の一部になっていた。
 
私の場合、殴ったり蹴ったりという肉体的虐待よりも、もっと深く私を傷つけ苛んでいたのが、この「死んでやる」という脅迫による精神的虐待であった。
 
たとえば
「言うこと聞かないんだったら、お前を殺してやる」
というのであったなら、まだしも私には対処の仕方があっただろう。殺されないようにするために、自分の足で走って逃げる、という発想が可能である。ところが、
「言うこと聞かないんだったら、死んでやる」
となると、母は殺す対象を自らの手中に握っているので、私としては、殺されないようにすることができない。
 
殺人を阻止するには、母の陰湿な脅迫に屈服し、私が自分を生きることを抑えるほかなかったのである。敵は加害者でありながら、まんまと人質を兼ねることによって、被害者の特権をも謳歌していたのであった。
 
 
掘り起こされた「ほんとうの願望」
 
子どもにとって「母」とは、食べ物ばかりでなく安心感の供給源でもある。安心感は、精神的な存在の基盤である。だから、子どもがデフォルトで「ぜったいにお母さんには死んでほしくない」と思うのは、ほとんど法則といってよいほど確かである。私の母は、この法則を熟知していた。そのうえで、それを武器に私をあやつり、支配するための道具として最大限に利用したのである。
 
そのため私は、母が死なないようにするためには、何でもやった。自分をも殺した。命じられれば人をも殺しただろう。
 
しかし、このように虐待してくる母に、私はほんとうに死んでほしくなかったのだろうか。
人は誰でも、自分の人生を苛む者が「世界からいなくなればいい」と願うのが自然である、とフロイトは教えている。とすれば、「母に死んでほしくない」と必死だった私は、じつは「母に死んでほしかった」のではないだろうか。私にとって、日常生活の各所から現れる「母の死」を連想させる強迫概念は、私自身のこうした願望の否認から来ているのではないか。……
 
このような結論に達した私は、洞窟のようなひきこもり空間で、自分の真の願望を確認するために、ある手続きを踏んだ。字数の関係から、今回は詳しくその内容を書けないが、この手続きを境に、生活のあちこちを縛っていた強迫症状はまるで嘘のように頽落(たいらく)していったのである。三十六年間、悩んできた強迫症状がすべて消えるのに、三日とかからなかった。こうして人生は、八倍生きやすくなった。
 
 
人生は新しいチャプターへ
 
この手記を、ここでハッピーエンドに終わらせることも可能だろう。しかし現実の人生は、一つの問題が解決すれば、次の問題がやってくるものである。「八倍生きやすくなった」というのは、「人生に悩みや問題がなくなった」ということと同義ではない。
 
強迫症状が治った私は、長年悩まされてきた精神疾患は、私の病ではなく、母子関係と家族の構造から来る家族の病であったことがわかったため、家族療法を専門とする精神科医につながった。しかし、そこから先には、また別の茨の道が待ち構えていた。現在も格闘中である。それも、また別の機会に書かせていただけたら、と思う。
 
いずれにせよ、一九九五年から一九九九年までの四年間、三十代にしてひきこもったからこそ、私は人生を新しいチャプターへ進めることができた。あのひきこもり期間は、人生最大の革命であった。それだけは、今ふりかえっても自信を持って言えるのである。
 
 
 
 
  •       

    読書会のKです。

    私はひきこもり新聞でこの記事を目にした時のことが忘れられません。

    私は理由あって今まで、ひきこもりに関心を持ち、当事者、経験者の方々と関わってきました。
    今では、身内よりもずっと身近な方々です。
    ひきこもり関連の書物も10数年、彼らと共に読み続けてきて、ある意味至福の時を過ごしてきました。

    そんな私ですが、ぼそっとさんの記事にはほんとに魂をわしづかみにされた思いになりました。

    今朝、またこの文章と何度目かの出会いをしましたが、その思いは変わりませんでした。

    どのセンテンス、段落からも、様々な思いが伝わり、それが私の魂を揺さぶります。

    ご自分の言葉を『心の傷から流れ出る膿』と表現されていますが、私には過酷な経験から絞り出された珠玉のエッセンスにみえます。
    経験の意味を解き、血のにじむ思いで戦ってこられたから、言葉が本来の力を発揮したと思います。

    感動を詳しく伝えられないのが残念ですが、ひきこもりを人生最大の革命、とくくってくださったのもうれしい限りでした。

    この記事を本年の最後に掲載してくださったことに感謝いたします 削除

    rum*com*001 ]

     

    2017/12/31(日) 午前 9:58

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  •       

    読書会のKさま コメントをどうもありがとうございます。

    これは大変ありがたい、
    過分なお言葉をいただき、
    まことに恐縮です。

    私は、所属する患者村の機関誌『ザスト通信』に
    このような文章を投稿し続けてきたのですが、
    そこでは私の書く言葉に価値をみいだす者がおらず、
    それどころかいつも私の投稿だけ載せない、
    という異常事態が続いており、
    私の言葉は日の目を見ないまま
    社会の片隅に朽ち果てていくかに思われました。

    今年は思いがけず、ひきこもり新聞という
    患者村の外に発表の場を持てたことで、
    やがてKさん、Hさんたちの素晴らしい読書会にも取り上げていただく栄誉を受け、
    私といたしましても感謝の念に堪えません。

    ありがとうございました。 削除

    チームぼそっと

     

    2017/12/31(日) 午前 11:13

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