VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

スパゲッティの惨劇(46)子のひきこもりは親が秘めた願望~「異教徒の家」における存在する不在の父

スパゲッティの惨劇(45)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多

 

 
ひきこもり新聞 紙版 2017年11月号所収
 
特集「ひきこもりと家族
 
当事者手記「子のひきこもりは親が秘めた願望
 
~存在する不在の父~
 
 
編者註:再掲に際しては校正をほどこした。
ゆえに、ひきこもり新聞に掲載された版より、
こちらの方が筆者の意図を忠実に反映している。
 
 
 
 
原風景としての父の背中
 
思い返せば、ふしぎなことだった。
日本の教育ママは、たいてい「東京大学へ行け」と子にいうものである。ところが、私の母はちがった。幼時から母は、こう言い聞かせたものだった。
 
「よく聞きなさい。お前はお父さまのようになってはいけませんよ。学歴はない、収入は低い、地位もない。こんな人になったら、もうオシマイよ。だからね、お前は一橋大学へ行きなさい」
 
父はいつも黙って背を向け、このやりとりを聞いていた。幼い私は、母のいう大学がいったいどういう学び舎か想像もつかなかったが、ひたすら父が不憫でならなかった。
 
「お父さま、何か言いたいことはないの」
 
という問いのまなざしを、父の背中へ投げていた。
父は振り向かなかった。
 
父方の祖先は、茨城県にあった小藩の鉄砲指南役だったらしいが、父自身は生まれも育ちも東京の下町、足立区千住である。庶民的な五人兄弟姉妹の中で、父は末っ子であった。伯父たちもテキ屋、くじ売り、寄席の営業など、いかにも下町らしい生業(なりわい)についていた。大学を出た者などいない。工業高校を出た父が、おそらく一族で最も高学歴だったものと思われる。
 
いっぽう母は、大企業の満洲支社長の娘として生まれ、三歳の時に内地へ帰ってきた。日米開戦の二年前である。いわゆる満洲からの悲惨な引き揚げは体験していない。母の母方をさかのぼっていくと、明治時代は外交官が多かった。私の祖母も、明治の女にしてはめずらしくミッション・スクールの出であった。
 
裕福な家の娘として、母はプライドが高く、傲慢に育ったのだと思う。私たち家族に対しても、たえて自分の非を認めることがなかった。
 
母は、東京女子大を卒業した。私が生まれる前のことを、母は体系的に語ることはなかった。しかし、私が幼い頃に母が切れ切れに発していた言葉を思い出し、ジグソーパズルのようにつなぎあわせると、どうやら母は一橋大学に通う男子学生と交際していたようである。そして、その学生は、彼女を妻として選ばなかった。プライドの高い母にとっては、それは受け容れがたい事件であった。
 
 
 
存在する不在の父
 
母は、大学を出るとすぐに自分よりかなり学歴の低い男と結婚した。私の父である。
自分で結婚しておいて、母は何かにつけて陰湿に父の低学歴をなじった。それも本人に言うのではない。本人が背中で聞いているところで、息子の私に言うのである。幼い私は、父が怒らないのがもどかしかった。私が父の代わりに怒ってあげるわけにもいかない。何かが鬱屈し、私の内に膨張していった。
 
父は人間的にはとても善良だったが、何事につけ意志薄弱で、柳の枝のように生きており、「奮起して何かをやる」ということがなかった。母に対しても、いつも卑屈にへりくだっていた。弱い父。かわいそうな父。同じ人間なのに、なぜ男は虐げられなければいけないのか。幼時から私は疑問に思っていたが、しかしこの疑問は、学校の友だちに話しても共有されなかった。
 
強き父、男尊女卑を絵に描いたようなドラマやアニメばかりが流行し、あたかもそれが日本社会を語るスタンダードのように扱われていた。そのような中で、女尊男卑の我が家は、息をひそめて暮らす異教徒の家のようであった。
 
 
 
母のあてつけ
 
一橋大学に入るべし」という奇妙なミッションが課せられた私には、小学校三年生から中学受験勉強が始まった。ちょっとでも手を抜くと、母はたちまち私を叩いて叫んだ。
 
「怠けたら、お母さん、死んでやるからね!」
 
日常的に突きつけられる母の「死んでやる」という脅迫が、私を強迫性障害へ追いやっていったことは、以前(*1)に詳しく書かせていただいたとおりである。
 
 
 
結局、母は家庭生活を通じて、父や私が一度も会ったこともない一橋の男に、こういうメッセージを発信していたのに他ならない。
「ほら、見なさい。わたしはこんな教育のない男と結婚するはめになったじゃないの。
あなたのせいよ。あなたがわたしをふったからいけないのよ。罰として、ほら、こうしてくれる!」
私が夜中の二時にくらう打擲(ちょうちゃく)は、このような母の「あてつけ」から発していた。ひごろから母は、自分が判断した失敗を、なんだかんだと言って他人のせいにする女性であった。
 
 
 
合格発表の夜に聞かされた言葉
 
だから私にとって一橋合格は、「母のために受かってあげた」プレゼントであった。私にとっては、人生の宿題を果たしたのに等しかった。とうぜん母からは褒められ、感謝されるものと思っていた。ところが、合格発表を持ち帰ったその夜に、祝いの席で母はこう口を開いた。
 
「さあ、明日からお前、英語を勉強しなさい。あそこは英語のレベルすごいんだから、お前なんかついていけないわよ。これからはせいぜい勉強して、一流企業に入りなさい。怠けたらだめよ。お父さんみたいになっちゃうから」
 
キャンパスは、財界人や法曹界、政治家をめざす小粒なリアリストの秀才たちであふれていた。当時は女性も少ない。大学が始まってすぐに、私はまったく肌に合わない大学へまぎれこんでしまったと思った。
 
中学や高校であれば、グレてオートバイでも乗り回すところだが、大学となると、それもサマにならない。そこで私は授業をさぼって国外へ流出し、せめて海外放浪を繰り返すことでグレていた。
 
やがて就職活動の時期を迎えた。人気企業に内定もいただいた。しかし、そこで私は動けなくなってしまったのだった。そのくだりは、『ひきこもり放浪記』に書かせていただいたとおりである。
 
こうして私は仕事につくことなく、もっと長期的な海外放浪へ逃げ、「そとこもり」と「うちこもり」の時期を経て、今も50代にして現役のひきこもりとして、生活保護を受けて生き延びている。
 
 
 
必死で切り拓いた道
 
人は、これを逃げの人生と嗤うであろうか。しかし本人からすれば、これは必死で拓いた血路だったのである。
 
自殺もしない。母親のあやつり人形にもならない。どちらでもない第三の道。その隘路(あいろ)を、身体じゅう傷だらけになりながら切り開いていくと、しだいに広がってきた豊饒なる平野が「ひきこもり」であったというわけだ。
 
もし、あのまま人気企業に勤めていたら、私は結果的に、こう言って母の虐待を追認するはめになっていた。
「お母さま、どうもありがとう。幼いころから、『死んでやる、死んでやる』と精神的に虐待してくれたおかげで、ボクは立派な社会人になりました。今日あるのはお母さまのおかげです」
と。
 
児童相談所に虐待を通報しなかっただけでも、放棄してしまった権利は多すぎるというのに、そのうえ表彰状まで送るような真似をしないですむように、私の無意識は、私自身よりもはるかに先を見越して、就活なんぞに乗り出した私を呼び戻し、人生を誤らぬよう寝たきりのうつにしてくれたのだった。
 
高給をもらっても、その金額を私が「報酬」と感じないかぎりは、エリート会社員の人生は精神的な死でしかない。母の望んだ人生になっていくことは、母の虐待を賞讃し、己れの魂をくびき殺すことであった。逆に自分を生き、人生を己れの手に取り戻したいならば、母が鼻を高くするような人生は、それ以上は生きてはならなかった。そうした複雑な高次方程式を解いて出した答えが、「ひきこもり」という今の私の生存形態なのである。
 
 
 
ひきこもりの先にある自由と希望
 
私の「ひきこもり」は、けっして語られなかった父の願いの実現でもある。「お父さんみたいになっちゃだめよ」と母が喚いていたとき、父が背中から発信していた無言のメッセージを、幼い私は受信し、体内に蓄積し、丹念に発酵させていった。それが大人になった私の人生を通じて、現実の形になったものが「ひきこもり」である。
 
母が望んだ通りの大学を出ても、収入も地位もなく、国民の皆さんが汗水たらして働いた税金から支払われる生活保護で糊口をしのぐという、小企業の平社員だった父よりもはるかに「低い」生き方に、父の無言のメッセージが鋳出(コイン・アウト)されているのだ。
 
これによって、父がずっと心に押し殺していたであろう、妻に対する怒りや屈辱、反論できない無念さを、私は自らの人生を素材として造形してみせた。それと同時に、
「夫を踏みにじり、子の主体を剥奪し、人間性を壊してしまえば、どんな英才教育を施そうともこのような結末になるのだよ」
という高邁な教えを、私は母に授業料も取らないで教えてあげたのである。母に対しては、なんと親孝行な息子であろうか。
 
母の手前、口では「お前、そんなふうじゃだめだ」と息子に言っていた父は、今こっそりと息子の成れの果てを楽しみ、
「俺の言えないことを、よくぞ身をもって示してくれた」
と感謝の念を私に覚えているのにちがいない。父に対しても、私は親孝行な息子なのである。
 
私のしたことは、まったく異常ではない。
「父の背中を見て子は育つ」という。
健康的な家庭に育ち、寡黙だった父の教えを守って立派に家を継ぐような市民的な息子と、しょせん私がやったことは構造的に同じである。
 
子どもは、声なき声を親から聞き取る。その結果、人生を賭けたボランティアとしてそれを体現する。ひきこもりもその一つである。
 
だが、これは暗い末路などではない。地底を掘っていけば、輝ける鉱脈に行き当たり、さらに掘っていけば、やがて地球の裏側から陽光が差すであろう。親たちも、子どもがひきこもってくれたおかげで、封印してきた己れの声に気づくことができる。それは、今まで見たこともない自由の大地へ走り出る、新しい希望を告げる声であることだろう。
 
 
  •      

    > ぼそっと池井多

    あなたを落伍者にすることが、あなたのお父さんの、ご自分の妻に対する復讐だったのか? 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2018/1/2(火) 午前 10:31

     返信する
  •      

    顔アイコン

    はじめまして。
    某所で知って、ひ老会に参加してみたいと思っているのですが、どのようにすればよいでしょうか。
    facebookのアカウントはもっていません。
    詳細など知りたいのですが、当方の連絡先などはここに投稿しても大丈夫でしょうか? 削除

    [ IS ]

     

    2018/1/2(火) 午前 10:45

     返信する
  •      

    流(ナガレ) 全次郎さま コメントをどうもありがとうございます。

    > あなたを落伍者にすることが、あなたのお父さんの、ご自分の妻に対する復讐だったのか?

    そんなことは本記事には書いてありません。

    私が、父の秘めた声を具現した、ということが書いてあるはずです。

    そもそも父は私のことを、はたして「落伍者」と思っているかは疑問です。
    妻(私の母)の手前、そういう前提で仕方なく語っているかもしれませんが。


    塞翁療法の医療被害に関するリコメントは、
    1月5日以降に新たな記事を立ててお答えします。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/1/2(火) 午後 1:48

     返信する
  •      

    ISさま ご連絡をどうもありがとうございます。

    それでは、このコメント欄、「投稿」ボタンの下の「内緒」にチェックを入れたうえで、あなたのメールアドレスを書いて投稿していただけませんか。

    そうすれば、他の読者の方にはあなたの投稿は見えません。

    そこへお書きいただいたアドレスに私からメールを差し上げます。それでやりとりしましょう。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/1/2(火) 午後 1:51

     返信する
  •      

     

    顔アイコン

    > チームぼそっとさん
    返信ありがとうございます。
    私の環境では内緒というチェックボックスが表示されないのですが、何か別の方法はありますでしょうか。
    ひやかしなどではありませんので、ぼそっとさんのほうで非公開にでもできれば、ここにアドレスをそのまま投稿してもいいのですが。 削除

    [ IS ]

     

    2018/1/2(火) 午後 2:16

     返信する
  •      

    2018/1/2(火) 午後 2:16 内緒の方、ご連絡をどうもありがとうございます。

    諒解しました。

    のちのちの混乱を避けるために、
    冒頭に「非公開希望」と書いたうえで、
    そうしていただければ、
    私の方としてはそのように扱わせていただきます。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/1/2(火) 午後 3:48

     返信する
  • 顔アイコン

    私もぼそっとさんが落伍者になったとは思いません。
    試行錯誤の結果到達したひきこもりの境地はとてつもなく自由・豊穣で深遠な素晴らしい世界だったように思えてなりません。
    そんな姿を知ったお父様の心境はおそらくぼそっとさんの類推することと同じように思えますが、お母様の気持ちはどうなのでしょう?まさか流さんの言うような落伍者と見てはいないと思いますがきいてみたいものだと思いました。 削除

    迷えるオッサン

     

    2018/1/2(火) 午後 4:34

     返信する
  •      

    迷えるオッサンさま コメントをどうもありがとうございます。

    あらためて迷えるオッサンさんは
    深くご理解いただいていることを感じ、
    感謝の念をおぼえます。

    なぜならば、おっしゃるところの
    「お母様の気持ちはどうなのでしょう?」
    というのは、
    まさに私自身も知りたい究極の問いであるからです。

    母と私、双方が生きている間に、
    もし一つだけ
    私から母に質問することが許されているならば、

    「母よ、あなたは、本心では、
    いったいどう思っているのか」

    ということを、私は訊くでしょう。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/1/2(火) 午後 4:49

     返信する
  •      

    昨日あたりに、母親の学歴と小中学生の子供の学力に相関があるような報道があり、暗澹たる気持ちになりました。この報道を見て、何人の子供がまた犠牲になるのかと 削除

    aon*_*85 ]

     

    2018/8/30(木) 午後 8:38

 

 

All Right Reserved (C)VOSOT 2013-2020