VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

鬱である人・鬱でない人(32)年賀状の憂鬱

鬱である人・鬱でない人(31)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多

 

 

いったいどうしてだか、
昨日あたりから年賀状なるものがたくさん来るようになり、
困っている。
 
年末のうちに、私から年賀状なるものは、
誰にも一通も出していないはずなのだが、
それでも来るのである。
 
これはありがたい。……
というか、
「これはありがたい」
と感謝しなければならない立場に
私は追いやられている。
 
私の目の前にある、
音も出さずモノも言わぬ年賀状が、
私を窮地へ追いやっているのである
 
 
 
 
 
 
年賀状の返事を書くことほど
鬱の人間にとって苦しい正月行事はない。
 
というか、
他の正月行事は、すべて省略しても人にバレないが、
年賀状の返事書きは、相手がいることだから、
やらないとバレるのである。
 
 
しかたなく、いただいた年賀状をしげしげと眺めてみる。
 
そこには「何も書いてない」と私は感じる。
 
 
あけましておめでとうございます。
 
あけまして?
 
年が明けたことなど、
あなたに教えてもらわなくても
知っておるわい。
 
おめでとうございます。
 
おめでたいのか?
 
時計の針が0時を超えて、
日づけが12月31日から1月1日になっただけなのに、
なぜ、みんな、
「めでたい! めでたい!」
と喜んでいるのかが理解できないのである。
 
昔の日本では、正月が来るたびに
人はみんな一つ年をとったから、
正月にはちょうど誕生日の意味合いがあって
「正月はめでたい」
ものであったかもしれない。
 
しかし今の世の中では、
みな、各自の誕生日に年をとる。
 
誕生日のめでたさは、誕生日が持っているのである。
となると、
なぜに年が明けるとめでたいのか。……
 
 
ふつふつと沸き起こる疑問を棚上げして、
さらに年賀状の先を読み進めてみる。
 
ご無沙汰しております。
昨年はお会いできませんでしたが、いかがおすごしですか。
今年はお会いできるといいな^o^
 
けっ!
 
「昨年はお会いできませんでした」
というのは、お互いに
「昨年はお会いする機会を作らなかったから、
お会いしなかった」
のにすぎないのである。
 
今年だって、お互いが積極的に
「お会いする機会を作る」
ことをしなければ、
「今年もお会いすることはないでしょう」。
 
なぜ、どうせ毎年お会いしないのに、
正月になると毎回、
「今年こそは会いましょう! 会いましょう!」
と、心にもないエールを交換し合うのかがわからない。
 
正しくは、こう書くべきである。
 
とくに用事もないし、興味もないので、
昨年はあなたとお会いする機会を作りませんでした。

今もありません。

よっぽど緊急の用事など生じないかぎりは
今年もあなたとお会いすることはないでしょう。
 
しかし、考えてみれば、
「会いません」ということを
わざわざ年の初めに通告する意味もないだろう。
 
したがって、年賀状を書く意味はないのである。
 
 
 
 
 
 
他の年賀状を読んでみる。
 
お元気ですか。
うちの子どもはこんなに大きくなりました。
 
そして、私が見ず知らずの
「よその子ども」の写真が大画面で印刷してある。
 
お元気ですか
だと?
 
元気じゃねえよ。
 
うつだよ、うつ。
 
私は塞翁療法の失敗のおかげで慢性うつ病になったのだ。
 
そんなことを年の初めに訊いて、どうする。
 
だれだ、この子は。
 
知らねえな。
 
名前も知らない。
 
知らない子が大きくなったところを見せられても、
こちらは感動も何もないわさ。
 
そもそも、ほんとうに「大きくなった」のかも知らない。
 
もともと大きかったんじゃないの?
 
子どもの発育からもたらされる個人的な感動を
子どもを持っていない、
また、その子どもを知らない私に
むりやり共有させようとしたって、
無理があるのよ。
 
それよりあなた自身のことを書きなさいよ。
 
あなたは昨年、どうだったの。
 
不倫の一つでも、楽しんだんじゃないの。
 
 
……。
……。
 
 
ともかく、人から来る年賀状には何も書いてないと感じる。
 
 
考えてみれば不思議なことである。
 
私は、こうしてせっせと
一円の足しにもならないブログの記事を書くことは、
おそらく「ふつうの人」に比べたら
ぜんぜん面倒ではないのである。
 
しかし、「年賀状の返事を書く」というのは、
まるで砂を噛むような作業に感じる。
おそらく「ふつうの人」に比べたら
はるかに面倒に感じてしまうのである。
 
こういう特性が鬱というのだろうか。
 
同じ言葉を書く作業なのに、
なぜブログは面倒でなく、
なぜ年賀状は面倒なのか。
 
たどりついた私の答えはこうであった。
 
 
 
ブログはほんとうのことが書けるが、
年賀状はほんとうのことが書けないから。
 
 
 
 
 
  •        

    顔アイコン

    ブログは日記だから何でも自由に書けるが、賀状は相手に読んでもらう手紙だから自分勝手なことは書けないのでしょう。
    私は年賀状は一通も出していませんが、ブログの年頭挨拶には毎年「新年明けましておめでとうございます」と記しています。「新年が明けるのが何が目出度いのか」とはぼそっとさんにも言われましたが、私のような年齢になると病気その他で毎年ろくなことなくせめて年の変わることで気分一新したい気持ちがあります。それを他人様にも押し付けるのは大きなお世話と言えばそうでしょうが・人間似たようなもんじゃないかというのが結論ですが、ぼそっとさんのように違う人間もいるんですよね。失礼おば・・。 削除

    迷えるオッサン

     

    2018/1/2(火) 午後 5:05

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  •        

    迷えるオッサンさま ご再訪ありがとうございます。

    オッサンさんぐらいのお歳になり、
    なおかつ、
    オッサンさんのような健康事情をかかえておられるとなると、
    一年、また一年と、年を越していくことに
    大きな意味があることでしょう。

    「また新しい年を迎えることができた」
    という、若い世代にとっては造作もないことに
    大きな意味をお感じになるでしょう。

    したがって、オッサンさんや、
    同じ世代の方々が、万感をこめて
    「あけましておめでとうございます。」
    という挨拶を出すのは、
    それなりに気持ちのこもったものであることは、
    私のようなひねくれ者にも理解できます。

    私も、もし
    オッサンさんの齢まで生き残っていたら、
    たぶん同じように考えるだろうと思います。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/1/2(火) 午後 5:15

     返信する
  •        

    顔アイコン

    こんばんは~

    本年もよろしく…とは言いたくないですね。
    私自身も年賀状、そして年末年始の「あけましておめでとう」騒ぎにはうんざりしております。

    >時計の針が0時を超えて、
    >日づけが12月31日から1月1日になっただけなのに、
    >なぜ、みんな、
    >「めでたい! めでたい!」
    >と喜んでいるのかが理解できないのである。

    まったくその通りだと思います。
    一日一日が過ぎるだけなのにね。
    こんなことを父親に話したら、
    「そりゃ年末締めの仕事が多いんだから年末年始に特別な意識を持つのは当たり前だろう」
    と言われました…
    まあ私自身3年半前までは半ばHIKIKOMORIでしたからね…

    最後に、一首の短歌を紹介します。

    門松は 冥土の旅の 一里塚
    めでたくもあり めでたくもなし

    一休さん」こと「一休宗純」が詠んだものだそうです。
    「死」に近づいていることは間違いないですからね…
    それではまた。 削除

    豚猫大好きぶーにゃん ]

     

    2018/1/2(火) 午後 6:43

     返信する
  •        

    豚猫大好きぶーにゃんさま コメントをどうもありがとうございます。

    > 門松は 冥土の旅の 一里塚
    めでたくもあり めでたくもなし

    この狂歌は、
    正月が皆の誕生日だったからこそ
    詠まれた歌ですね。

    べつに誕生日でなくても、
    人は生きていれば
    死に近づいているわけですけども。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/1/2(火) 午後 8:56

     返信する
  •        

    こんばんは☆

    そういえば、べつに早くもないのにおはようございますって
    いつもいってますよね(笑)
    正月は国民のお祭りみたいなだから、たまに心が一つに
    なろうとするところがいいような・・
    年賀状はもうメンドイですね、時代遅れかもです 削除

    ジュピター *☆*

     

    2018/1/2(火) 午後 11:44

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  •        

    ジュピター *☆*さま コメントをどうもありがとうございます。

    なるほど! そういえば、
    「おはようございます」
    もそうですね。

    私はひきこもりで、ふだん人と会うことはなく、
    とりわけ朝や午前中に人と会うことはないので、

    「おはようございます」

    を言わなくなって何十年。

    そのため、そういう発想はありませんでした。
    ご教示ありがとうございます。

    問題は、異端な人々は
    「国民と心が一つになる」
    ということがなかなかない、ということなのです。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/1/3(水) 午前 10:45

 

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