VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

治療者と患者(243)-2 財源となる患者層 <非公開>

「治療者と患者(243)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
私はさいおうクリニックにおける
DNC(デイナイトケア)医療を否定しているわけではない。
 
DNC医療は、「治療」機能よりも、
実質的に「居場所」機能で成り立っている。
 
「居場所」機能であれば、
当事者が自分たちでやっている当事者活動や、
その延長にある福祉作業所などでできるものである。
 
しかし、作業中に
発作を起こして倒れるような患者がいるといけないから、
その意味でDNC医療があってよいと思う。
 
さいおうクリニックのDNC医療に関しても、
リカモリ制度などという
マルチ商法まがいの養成講座が導入されるより
以前の状態はよいものであった。
 
とうぜん、私自身がザスト事務局として
活躍していた当時である。
 
いまリカモリ制度を牛耳っている
岡村美玖ワイエフエフ事業部長が、
まだ他のNPOにいて、
私たちの治療共同体に入ってくる前である。
 
いまのように治療者が監視していないから、
あのころのザストには活気があった。
いろいろな当事者グループが林立し、
百花斉放の趣きがあった。
 
それぞれの当事者が、それぞれの居場所を確保できた。
 
私が編集長をつとめていたザスト通信もそうである。
 
いろいろな意見が飛びかい、
かなり面白かった。
 
「当事者文化」ともいうべきものが開花していた。
 
2013年以降、ワイエフエフ進駐があり、
近親姦」患者を第一とする方針にあらためられ、
それに異論をとなえた私が、2015年に追放されてからは、
阿坐部村はがんじがらめに治療者から絞めつけられ、
かつての「当事者文化」の豊かさは死に絶えた。
 
 
私はDNC医療を否定していないといったが、
理想的には2013年以前に阿坐部村を戻すということである。
 
まず、リカモリ制度の撤廃。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
むしろ、リカモリ制度などという帽子をかぶせずに、
DNCだけやっていればよかったのである。
 
 
 
DNCというシステムがなくなってしまったら、
精神科の入院患者がふえ、
国家財政にあたえる負担はもっと大きいものになるだろう。
 
生活保護で生きている私から言えた義理ではないが。)
 
私が強く異議を唱えているのは、
塞翁先生がDNCで味をしめて、
さらに図に乗ったかのように始めたリカモリ制度である。
 
生活保護を受けている貧困層であるはずの患者たちも、
年60万円払って通っている。
 
週4回など頻繁に通院する患者のほとんどは、
生活保護や自立支援制度など
医療費を公費で負担してもらっている貧困層か、
富裕な夫をもつ妻の立場にある者である。
 
すなわち、自分の手で苦労して金を稼ぎ、
 
「はたして、この金は払う価値があるのか」
 
と自分の頭で考えられる患者は、
頻繁に通院する患者にならない。
 
 
しかし、DNCとい医療形態は、
私も否定していない。
 
 
だいたい流全次郎は、そこまで私を敵に祭り上げることで
 
何を得るのだろう。
 
 
 
里香森制度へ金を払う患者がふえたところで、
 
流全次郎は何も得ない。
 
 
 
塞翁先生は、採算の取れないクリニックは
 
できるだけ早く閉じてしまい、
 
あとは保険適用外の里香森制度だけの
 
麻布村にしてしまいたいと思っている。
 
 
 
しかし、クリニックを閉めるとなると、
 
また2015年の兵員騒動のように、
 
大混乱が予想される。
 
 
 
そこを居場所にしている患者たちが
 
兵員した塞翁先生を恨むだろうと思われる。
 
 
 
そこで、塞翁先生は、自分以外のものに
 
責任を転嫁することを考えているのだろう。
 
 
 
たとえば、私。
 
 
 
私がクリニックを兵員にもちこんだ、
 
というストーリーへ持っていこうと、
 
日々のさいおうミーティングでも、
 
直接間接に話を垂れていると思われる。
 
 
 
さいおうミーティングは、実質的に塞翁先生の独壇場であり、
 
「おかしいな」と思っている患者も、
 
延々と塞翁先生の話だけを聞かなくてはならない。
 
 
 
そのうちに、自分が何を「おかしいな」と思っていたか忘れてしまって、
 
塞翁先生の話だけが記憶に残るようになっている。
 
それがさいおうミーティングという洗脳現場の本質である。
 
 
 
患者は一人10分程度しか話せないが、
 
塞翁先生はそれに対して、延々と何時間も話す。
 
 
 
それによってあざぶ世論を操作しているのである。
 
 
 
そのように操作されたあざぶ世論によって、
 
クリニックの兵員は、塞翁先生の選択ではなく、
 
塞翁療法を批判している私の責任、というふうに
 
あざぶ世論をもっていこうとしているのだと思われる。
 
 
 
ところが実際は、
 
私が批判しているのは、
 
近親姦優越主義、里香森制度が導入されてからのあざぶ村のありようである。
 
 
 
つまり、流全次郎たちが居場所としている
 
かつてのようなクリニック運営に関しては、
 
私は推進する立場にあったものである。
 
 
 
ところが、いつのまにか話がすりかえられ、
 
立場が逆転している。
 
 
 
私が里香森制度を推進しクリニックを閉じさせようとしている者ということになっている。
 
 
 
それは、「悪いのはみんな敵のせい」というあざぶ世論を形成している塞翁先生の操作の成果である。
 
 
 
 
 
だろうから、
 
流全次郎のような番犬患者は、
 
吠えれば吠えるほど、自分たちの首を絞めることになるのである。
 
 
 
つまり、それはこういうことだ。
 
 
 
彼らにとってDNCをやっているさいおうクリニックは
 
医療機関ではなく、居場所機能を果たす場となっている。
 
 
 
クリニックがなくなれば、彼らは居場所をなくす。
 
 
 
ほんらい居場所とは、当事者が自分たちで作るのが好ましいのだが、
 
「そういうことは無理だ」
 
と治療者に洗脳されているからである。
 
 
 
私は、さいおうクリニックが居場所として存続すること自体はかまわないと思っている。
 
私が放逐される前、私がザストを運営していたころのあざぶ村は、そのようなところであった。
 
 
 
ところが、その後、さいおう父娘は変わったのである。
 
 
 
彼らはクリニックを杜氏、里香森制度にし、
 
しかもクリニックが閉鎖においこまれたのはぼそっと池井だのせいだ、というストーリーにしようとしているのである
 
 
 
 
 
 
 
 
 
命をながらえている、と思いこまされている。
 
 
 
 
 
しかし、べつだんDNCは続ければいい。
 
 
 
しかし、リカモリ制度で
 
ザストをダシにして塞翁父娘が大儲けすることを正当化しない。
 
 
 
 
 
 
 
「ザスト通信を読む(123)敵を作れば国家は強くなる」
 
 
 
 
 
 
 
 
「スパゲッティの惨劇(48)弟の裏切り、外傷再演のメカニズム」
 
 
 
 
 
 
迷えるオッサンさま コメントをどうもありがとうございます。
 
 
 
「心からの謝罪」がいちばん難しい解決であるからこそ、仕方がなく「金銭で解決する」というフェーズへ移行し、「お金」が問題になるのでしょうね。
 
 
 
「心からの謝罪」が難しければ、少なくとも責任者が自ら真相を語ってくれるだけでもよいと思います。
 
 
 
親の問題も然り、患者村の問題も然り。
 
 
 
阿坐部村の内戦は、問題のメールを発信した岡村美玖がカーテンの後ろに隠れてしまって、流全次郎などまったく関係ない人間が騒いでいるところに問題があると考えております。  削除
 
 
 
チームぼそっと 2018/1/22(月) 午前 10:42 返信する
 
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「心からの謝罪」は主観の問題が大きく、いくら当事者が出て謝罪を繰り返しても相手に不十分と言われればキリが無いのは周知の通り、「心」は目に見えないから厄介です。  削除
 
 
 
迷えるオッサン 2018/1/22(月) 午前 11:08 返信する
 
 
 
迷えるオッサンさま そうですね。
 
 
 
しかし、
 
まず会談のテーブルに一回でもつく、
 
という姿勢が少なくとも必要だと思います。
 
 
 
一回も会談のテーブルにつかないで、
 
一通もメールも手紙もこないで、
 
それで
 
「心から謝罪している」
 
といったところで、
 
被害者は信じられるわけがありません。  削除
 
 
 
チームぼそっと 2018/1/22(月) 午後 1:43 
 
 
 
 
 
・・・「治療者と患者(245)」へつづく
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