VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

被災地の内と外(23)被災地支援と賃金労働価値 

被災地の内と外(22)」からのつづき・・・

#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害

by ぼそっと池井多

流全次郎の自己陶酔

2011年から2014年まで、私は、
東日本大震災の被災地に、
「支援者」として身を置いていた。

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かき集められた震災廃棄物に積もる雪
Photo by ぼそっと池井多
 
流全次郎
 
> ぼそっと池井多

地震の被災地に行って
ボランティア活動をするぐらいの元気があったのなら、
少しでも働いて稼いで、
生活保護の受給額を減らすべきではなかったのですか?

私のように。 


[ 流(ナガレ) 全次郎 ] 2018/2/3(土) 午後 7:41(*1)
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私はまったくそう思えない。
 
まず私は、流全次郎が考えているようには、
彼をそんなにえらい人間だと思わないのである。
 
さらに、彼が事実関係をまったく把握していないことも
指摘しておかなくてはならない。
 
当時、私が精神科の患者でありながら、
被災地支援にかかわることになったのには、
いくつかの理由があった。
 
私の治療者、塞翁先生の娘、真子社長からの指示で、
私が作業療法の一環として無償で働いていたNPO法人ザストが
被災地支援をすることになったのは、2011年5月のことである。
 
真子社長から指示は、とうぜんその父、
塞翁先生からの指示だったのだろう。
 
また、私はなにも「元気」があったから
被災地支援を始めたのではない。
「元気」がなくても、
人はやらなければならないことがある。
 
自分が被災地支援にかかわらなかったことを、
流全次郎はしきりと自慢に思っているようだが、
彼が、東日本大震災のあとも
東京でビル清掃をして「働いて稼いで」いたのは、
活動要請の声が、
彼にはかからなかったからにすぎないのではないか。
 
人にはそれぞれ異なった能力があり、
適材適所ということを考えなくてはならない。
私に声をかけた人も、彼に声をかけなかった人も
それを考えたのだろう。
 
しかし、そういう現実を意図的に捨象する流全次郎には、
50年前の中国文化大革命を彷彿とさせる論理の反転がある。
 
いま塞翁療法の広告塔をやっている流全次郎を思うと、
もし声がかかれば、彼も
番犬のしっぽを振って
まっさきに被災地へ向かったことだろうと思う。
 
彼の「被災地支援批判」には、
自分には声がかからなかったことへの
ひがみが入っているのではないだろうか。
 
ビル清掃で「稼いで働いて」のほうが、
被災地支援活動よりも「えらい」とはいえない。
 
そんなに「稼いで働いて」ということに価値をおくのなら、
今からでも、フルタイムでそうすればいい。
しかし、実際には彼はそうはせず、
生活の大部分を生活保護に頼っているはずである。
 
もちろん、支援活動がさかんな最中にも
流全次郎のように東京でビルの清掃をしてくれる人々がいるからこそ
まわりまわって被災地における支援活動も成り立つわけだが、
それでは反対に、
みんなが流全次郎のようになり、
誰も支援活動へ行かなくてよかったのだろうか。
 
とても、そうは思えない。
 
それは、東日本大震災の支援活動に
さまざまな問題があった、という事実とは、
また別の問題である。
 
なぜならば、じっさいに支援活動をやってみてはじめて
さまざまな問題が起こることがわかったからである。
 
そのときの教訓を経て、
たとえば2016年熊本地震のときなどは、
はるかに支援活動がスムーズになったようである。
 
みんながみんな、流全次郎のように
東京で「働いて稼いで」ということをやっていたら、
その国民的学習はなかったであろう。
 
 
 
 
 
 
 
また、生活保護を受けながら支援活動に当たったことにも、
私はなんら疚しさを感じていない。
 
私が助成金を受けて被災地とのあいだを往復し、
支援事業をやっていることは、
当時リアルタイムで、
私を担当する福祉事務所のケースワーカーにも報告していた。
 
単純に、
生活保護受給額を減らせばよい」
というものでは、ないのである。
 
言い換えれば、
金を稼ぐことだけが、社会における価値ではない。
 
金を稼ぐしか能のない者は、
金を稼いでいればよい。
 
しかし、金を稼ぐ以上の能力がある者は、
金を稼ぐことに縛られる必要はないと思う。
 
 
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    迷えるオッサンのお友達のねえねです。
    先ほど一人で黙祷しました。
    チームぼそっとさん、現地で支援されてたんですね?
    有難うございます。私はできないので。
    「お声がかかった」とか「ひがみ」とか~
    働くほうが偉いとかボランティアが偉いとか~
    そういう事考えなくても良いのではないでしょうか?
    被災者はボランティアの人達に有難うという思いがあるだろうし。役に立つ立たないは置いといて、
    自分にできることをするだけで、素晴らしいと思います。ナイス°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖° 削除

    ねえね

     

    2018/3/11(日) 午後 3:16

     返信する
  •        

    ねえねさま コメントとナイスをいただき、どうもありがとうございます。

    はじめまして。私のブロ友、迷えるオッサンさんがねえねさんの御記事を高く評価しておられ、そのつながりで私も存じ上げておりました。

    「ひがみ」「ねたみ」といった、人間から排泄される醜い感情については、
    「そんなことはブログに書くようなことではない」
    と、もしかしたら多くの方が考えておられるかもしれません。

    しかし、私は他の方々が軽蔑して通り過ぎていくような、つまらない言動、みにくい感情といったことも、ときに真正面から向かい合う必要があると思っているために、このような記事となりました。

    被災地支援は、とかく「美談」として定着していきますが、現実にはその周囲で、あるいはその内部で、あらゆる人間の醜い感情が渦巻いておりました。歳月を経てきた今、そういう領域にも、私たちは目を向けられる時がやってきたのではないか、と考えております。

    今後ともよろしくお願いいたします。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/3/11(日) 午後 4:09

     返信する
  •        

    顔アイコン

    > チームぼそっとさん

    「醜い感情の言語化」は、今後もぜひ続けてください。
    「醜い感情だからそれ以上はやめる」ことは誰にでもできると思いますが、それを更に分析して先の言語化に進めることは、なかなかできることではないと思います。
    特に、こうして日常のふとした時に湧き上がる感情の起源を知ることを、大きな意味があると思います。 削除

    aon*_*85 ]

     

    2018/8/25(土) 午後 10:38

 

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