VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

被災地の内と外(24)ザストにとって被災地支援とは何であったか

被災地の内と外(23)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
被災者にもいろいろな方がいたように、
支援者にもいろいろな方がいた。
 
物見遊山で来ているような支援者も多かった。
ただ、物見遊山で来る支援者でさえも
「被災地観光」をして、被災地にお金を落としてくれるから、
邪険にしてはいけませんよ、
という認識が
被災者の方々のあいだで教育的に広まっていた側面もある。
 
けっして物見遊山ではなく、
 
「被災地に来たからには、自分も当事者」
 
くらいの気概で行った支援者も多かった。
 
私も、はじめはそのくらいの気概で向かった。
 
ところが、そのような支援者の気概そのものが、
じっさいに津波でかけがえのないものを失った当事者の方々には、
ある種のおこがましさのように映る、ということも、
しばらくすると身に染みて学習した。
 
「支援者の当事者憑依
 
などという言葉も生まれた背景には、
そうしたことがある。
 
いくら「血みどろ感」のある活動をしていても、
しょせん何も失っていない支援者は
当事者のつもりにはなれない。
 
このことは、大きくとらえれば、
私が「当事者活動を考える」(*1)というシリーズで
書かせていただいているように、
その後のあらゆる福祉的な支援に大きな影響を与えたのであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
もう一つ、被災地支援の現場で問題になっていたのが、
被災地の「内」と「外」に、それぞれ別個に存在した
不毛なヒエラルキーである。
 
たとえば、私がかかわった「心のケア」は、
精神医療関係者、保健行政、心理の専門家
などの上級支援者と、
私たちのように実際に被災者の方々のお話を聞く
いわば下級支援者のあいだにガラスの壁が築かれていた。

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上級支援者は、下級支援者をバカにして、まともに話を聞かない。
 
たとえば、
どこの仮設住宅のどの人がアルコール依存の問題がある、
といった情報は、
上級支援者たちは専門家の特権として情報を取得し、
占有している。
 
下級支援者たちには、そうした情報を渡さない。
守秘義務」を理由として、
情報は遮断されるのである。
 
支援に当たっている、私たち下級支援者は、
そういう情報なしに仮設住宅をまわり始めなければならない。
 
結果的に、「上」がもっているのと同じ情報を、
「下」は足でかせぐことになる。
 
じっさい、私たち下級支援者が
被災者の方々と生活レベルで触れ合いながら
収集した情報のほうが、
はるかに被災者の実情をとらえていて、立体的で詳しい。
 
すると、今度は上級支援者たちは、私たち下級支援者から
情報だけはほしい。
だから「ペーパー(報告書)を出せ」などという。
 
ところが、現場のなまなましい情報というものは、
容易に言語化できるものではない。
その仮設住宅に足を運んでいる者でなければ、
わからない空気というのがある。
「報告書」などと無機質な言葉にしてしまっては、
伝わらないものがほとんどである。
 
 
「報告書」で現場が把握できると考えていること自体が、
上級支援者たちの無知を物語っている。
 
あるとき、真子社長はこう言ったものである。
 
仮設住宅まで行かないと、
被災者の人の話って聞けないものなの?
交通費がもったいないから、
東京で、スカイプで聞けばいいじゃない
 
この言葉が、いかに現地入りしていない上級支援者が、
何もわかっていないかということを物語っている。
 
スカイプはおろか、
インターネットが使える被災者の方というのは、
若年層など一部にかぎられているし、
生身の人と人として、夜どおし話をうかがって、
はじめてボツリ、ボツリと話してくださることが
大切なのである。
 
そういう現状をまるきり無視した「専門家」の意見であった。
 
だから私は、
 
「上級支援者の方々、ご自分で現地へ足を運んで
自分の目で見てください。
話はそれからにしましょう」
 
と申し上げるにいたった。
 
このため、
 
あの患者は、患者の分際で、生意気だ
 
ということになり、
現在の私の追放へとつながっているのだろうと思う。
 
 
 
 
 
 
結局、真子社長は、
 
「やがて私たち専門家が入っていくから、
それまであんたたち下級支援者で
被災住民の方々とのあいだに信頼関係を築いておいて」
 
という指示を出してきた。
 
私はそのとおりにした。
 
「はい、すでに信頼関係は作りました。
専門家のワイエフエフのお偉方、どうぞ現地に入ってきてください」
 
と私はいった。
 
……すると、音信不通になったのである。
ワイエフエフから何も言ってこなくなった。
 
私たち下級支援者、患者からなるザスト隊は、
真子社長の指示を聞き入れたがために、
「現地」という屋根の上にあげられ
ハシゴをはずされたのであった。(*2)
 
 
そのころ、トップに立つ塞翁先生は、
現地で活動する私たち患者について、
東京でこういう演説をしていたのである。
 
「あいつらは被災者の方々をバカにしているね。
現地』などという言い方は、
被災地をバカにしている証拠だ」
 
 
 ・・・「被災地の内と外(25)」へつづく
 
 
 
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    大阪・西成の「あいりん地区」でホームレスの支援をされている神父・本田哲郎さんのお話を思い出しました。
    彼はまず、ホームレス当事者の気持ちを理解しようと、「ドヤ」に泊まったり日雇いの仕事を実際にしたそうです。しかしホームレスの方から、「神父さん、あなたがそんなことしても、我々はちっとも嬉しくないんだよ。」と指摘されたそうです。
    そして彼らの望みをよく聴いてみると、「ボランティアから食事だ何だと支援を受けるのではなく、本当は自分で働いて稼いだお金で仕事帰りに、ちょっとしたつまみとお酒で一杯やれるようになりたい」だったそうです。ややもすると、キリスト教系の団体が「高みに立って、低きに施しを!」と活動するのを強く否定されるようになられたそうです。

    ところで、VOSOTブログを見ながら毎日のようにコメントを書いていますが、会社組織にはこうした類の話が一切ないですね。顧客、ソリューション、売り上げ、組織の話ばかりです。会社とは所詮はそのための集まりなのでしょうけど、「人間」が集まる集団としては大きくバランスを欠いているように思いました。まるで、トイレがなかったベルサイユ宮殿のようです。 削除

    aon*_*85 ]

     

    2018/8/25(土) 午後 11:10

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    aon*_*85さま 3件のコメントをどうもありがとうございます。

    おっしゃっていることは、まさに支援とは何かの中核を射ていますね。支援する側の「救世主になりたい」という願望を満たしてやっているだけの支援活動では、何にもならないどころか、かえって支援される側は迷惑であるわけです。しかし、だからといって、それで枠外から支援そのものを冷笑し、自己満足にひたることを正当化するものであってもなりません。そこに支援という行為の難しさがあります。

    「醜い感情の言語化」は続けていきたいと思っています。トイレのない宮殿には泊まる気にもなれません。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/8/26(日) 午前 0:22

 
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