VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(21)ひきこもりに関わる事件テーマ

どうも私の近辺が、
「8050問題」と「社会的監禁」
で騒がしくなっているので、
ひきつづきこのテーマで書かせていただく。
 
このような例えを書かせていただいた。
 
たまねぎも、ピーマンも、ひき肉も、しいたけも、
卵とじにしてしまえば、
それは卵とじという料理として認識される。

「8050問題」も、そういうところがある。

「8050問題」というキーワード(卵)で
いくつかの事件や事例をくくったときに、

「その卵でくくらなかったら、その素材はどうなるか」

という視点を人は持たなくなりやすい。
 
わかりにくい例えであったらしく、
何件か、私的にお問い合わせをいただいた。
 
そこで反省をこめて、
もっとわかりやすく書き直すことにする。
 
まず、事件の概要をこのように整理しておこう。
 

 
(A) 札幌母娘餓死事件
 
82歳の母親、52歳の娘。
生活困窮。生活保護も受けず。
母親は昨年12月中旬、娘は12月末に、
それぞれ低栄養状態、低体温症で死亡。(*1)
 
*1.母と娘、孤立の末に 札幌のアパートに2遺体 
82歳と引きこもりの52歳 「8050問題」支援急務
北海道新聞 2018.03.05
 

 
(B)寝屋川監禁事件
 
精神疾患をわずらっていた33歳の女性が、両親によって
劣悪な環境の狭い小屋に
15年以上にわたって監禁されたすえに衰弱死。(*2)
 
毎日新聞 2017年12月26日 
 
 

 
(C) 三田監禁事件
 
障害のある42歳の長男を二十年以上、
自宅敷地のプレハブ内の檻に閉じ込めていた
兵庫県三田市の73歳の父親が逮捕される。(*3)
 
 
 

 
(D) 佐世保老人家庭死体遺棄事件
 
亡くなった79歳の妻の遺体を放置したとして、
死体遺棄の疑いで同居していた82歳の夫が逮捕。(*4)
 
長崎新聞 2018.02.18
 
 

 
(E) 鹿児島・日置親族連続殺害事件
 
ひきこもりとされる38歳の男性が、
親族5人を殺害。(*5)
 
*5. 不明女性、逮捕の孫を「引きこもりで困る…」
被害男性とトラブルも
 

 
 
メディアで報道されているトーンは、
だいたいこのようなものだ。
 
(A)8050問題
(B)(C) 社会的監禁事件
(D)ひきこもりとは関係ない 困った老人の話
(E) 凶暴化したひきこもりの話
しかし、ほんとうにそうだろうか。
 
(A)の札幌の母娘は、社会から疎外されていた。
 
しかし(B)寝屋川の娘、(C)三田の息子も
「監禁」というかたちで社会から疎外されていたわけである。
 
監禁は、内への疎外である。
 
「8050問題」は、中高年のひきこもりの数ほど多様である、
というのが私の持論だが、
あえてここでは、一般に流布されている「8050問題」の問題像、
すなわち、その名のとおりの団体も立ち上がっている、
 
OSD = (O)親が(S)死んだら(D)どうする」
 
というとらえ方を採用してみよう。
 
OSDとは、こういう問題である。
 
親が死んだら、
もうひきこもりの子どもが生きていけない。

子どもに自分で生きていく力が育てられていないため
子どもが自分で生きていけない。

あるいは、
子どもが社会的な資源を活用する状態に育てられていないため、
子どもが生きていけない。
 
(A)はそんな悲劇であった。
しかるべき支援アプローチが成功していたら、
少なくとも札幌の娘さんの餓死は起こらなかっただろう。
 
けれども、(B)(C)の子どもたちも、
もし親が先に死んでいたら、
自分の力で生きていけず、
(A)と同じような結末に到っていたのではないだろうか。
 
ただ、親が、
「私が死んだら、この子はどうなるのだろう」
という形で問題を意識していないから、
社会的に「8050問題」と呼ばれないだけである。
 
(B)(C)は、たまたま親が「監禁」という、
虐待的な行為におよぶほど元気であったために、
札幌の母娘のような悲劇にはならず、
また別の方向性の悲劇に行ってしまった。
 
しかし、
 
「当事者である子どもに生きる力が育てられていない」
 
あるいは、
 
「当事者がしかるべき社会資源につなげられていない」
 
という意味では、
(A)(B)(C)は同じ側面をはらむ問題だったのではないか。
 
 
言い換えれば、
(B)(C)も「社会的監禁」だけでなく「隠れ8050問題」であったし、
逆に(A)も「8050問題」だけでなく、
自分たちによって「社会的監禁」されていた事件だったとも
考えられるのである。
 
 
 
 
 
 
 
さらに(E)日置市の親族殺害事件も、
「社会的監禁」の裏返しではないか、
というのが私の見方である。(*6)
 
 
この実行犯も、自分で生きる力が
周囲によってそぎおとされている。
 
その意味では「8050問題」の変種である。
 
さらに(D)は、
当事者となった老人が「ひきこもり」と言われないだけで、
たぶんに「中高年のひきこもり」の要素をもった方であった。
 
妻が死んでも、どうしてよいかわからず、
「周囲や社会へ助けをもとめられない」
という意味では、
(A)(B)(C)の犠牲者となった子どもたちと
同じなのである。
 
つまり、
上記の5つの事件(A)(B)(C)(D)(E)は、
社会的にはまったく異なる種類の事件のように報道されるけれども、
事件の根底にある状況はほぼ同じだということである。
 
 
 
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