VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

貧困と人づきあい(58)コミュニティと性濃度

貧困と人づきあい(57)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
かねがね申し上げているように、
私は近年、4つのコミュニティに属して暮らしている。
 

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4つのコミュニティそれぞれに特色があるが、
その一つとして、私が考えるのが、
 
「そこで、性にまつわる話をどのくらい出せるか」
 
という違いである。
 
読者の皆さんも、
たとえば勤めている会社では、性にまつわる話はできないが、
学生時代の仲間となら、いくらでもできる、
とかあるだろうと思う。
 
私はこれを
 
性濃度(せいのうど)」
 
という造語であらわしている。
 
もちろん、ひどく主観的な話をしているのである。
 
性濃度とは、10点満点の指数であらわされる。
 
たとえば、そのコミュニティにおいては
性にまつわる話ばかりいつも出ているようであれば、
そこの性濃度10である、と表現する。
 
おそらく、そういう場では
性の話にうんざりしているのに違いない。
 
反対に、性にまつわる話がまったくできないガチガチな環境、
いいかえれば、性の話がタブーになっている環境は、
性濃度である、とする。
 
これで、それぞれのコミュニティの特色を測っているのだ。
 
測るといっても、計測器は私の主観である。
 
 
 
 
 
 
たとえば、私が通う精神科医療機関「阿坐部村」では、
治療者である塞翁先生が、
性の話を出せば喜ぶので、
患者はみんな、こぞって性の話をする。
 
なかには、治療者に気に入られたいものだから、
話の捏造(ねつぞう)までして、
 
「こんなセックスをしました」
「あんな性体験をしました」
 
などと話す患者もいる。
 
治療者も治療者で、そういう患者を歓迎し、
捏造を奨励している。
 
性濃度が高ければいい、というものではなく、
あまりにも性の話ばかりしている共同体は、
かえって不健全である。
 
こんな雰囲気の阿坐部村では、
何もかも性にからめられてしまって、
かえって社会的存在としての人間の悩みなどが
語りにくくなっている。
 
政治や経済や哲学や科学など、
性に関係ない理知的な話が通じる環境ではない。
 
みんなズブズブに性の話ばかりするようになっているので、
話に社会性がない。
 
それで、
いくつになっても子どもみたいな大人が量産されている。
 
量産される「大人子ども」は、
他の社会へ出ていけないから、
いつまでもその医療機関に依存することになる。
これによって治療者は、
いつまでも財源を確保できるという寸法である。
 
私が測定したところ、
この阿坐部村の「性濃度」は9.1であった。
 
 
 
 
 
 
 
 
いっぽう、多くの当事者会からなる
「ひきこもり大陸」の「性濃度」は、
私の測定によると、1.2である。
 
なにやら、性にまつわる話はしてはいけない、という
ある種、ピューリタン清教徒)的な空気がある。
 
性の話を始めようものなら、
たちまち多くの人に総スカンを喰らうことが予感される、
ある種の緊迫が空気のどこかに漂っている。
 
これはこれで、
どこか人間的に不健全に感じられることもある。
 
しかし、そのかわり、政治や経済や哲学や科学など
非性的な話はいくらでも受け容れられる空気である。
 
まるで優等生ばかりが集まる
大学のキャンパスのような空気。
ところが、これはこれで、
どこか「子ども」を感じさせるから不思議である。
 
性の気配が
ありすぎても子ども、
なさすぎても子ども。
……そんな印象がある。
 
 
 
 
3番目に、このブログ村はどうかというと、
ブロガーによって全然ちがう
 
私のブロ友でいうと、
迷えるオッサンさん(*1)のように、
 
「70代で週に何回セックスしてますか」
 
といった質問を何の遠慮もなく聞ける方(性濃度7.2)もいる。
 
いたたた・・タイ 2018.05.14
 
あるいは、サティさん(*2)のように、
ご自分のエロスを真正面から取り上げ、
克明に描写している女性(性濃度8.0)もいる。
 
サティのブログ 2018.2.22
 
やや高めの値だが、健全な正常値だと思う。
 
しかし、一般に多くのブロガーは、
 
「私には性生活なんてものはありません」
 
とでも言わんばかりの論調でブログを書いておられ、
その点、次に述べる、
私が「なりすまし」で潜入している
市民社会」と同じような側面がある。
 
平均すると、ブログ村の性濃度は3.8ぐらいだろうか。
 
そして、このように測定する私は、
やはり20代という、
大人としての人間関係の築き方を確立する時期を
「そとこもり」として海外で過ごしたので、
どうしてもそのころの感覚が
性濃度5.0として基準値になっていると思われる。
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、私が「なりすまし」をして潜入している市民社会
隣町の商店街の「西畑酒店の酒を呑む会」はどうであろうか。
 
これがまた、どうやら表と裏では
測定値がちがうようなのである。
 
毎月、恒例の「西畑酒店の酒を呑む会」は、
まずは酒屋のなかにスペースを作って、
会費制の一次会から始まる。
 
一次会は、どことなく商店街の公式行事となっているので、
どんなに酒がまわってきても、
みんな明るく正しい「市民」の枠からはずれない。
 
自己紹介を順番で回すときも、誰もが
お祭りのときの町会役員のスピーチみたいな
無難なことしかしゃべらない。
 
出てくる話題としては、
景気の話、商店街の運営、学区の学校行事、
PTAの話、地元選出の議員の活躍、
新規に開店や閉店をした地域のお店の話、
といった具合である。
 
誰もが運動不足や肥満を嘆き、
出ていった出費を呪い、
高血圧や血糖値や中性脂肪や尿酸値を心配する。
 
話題は多岐にわたるわけであるが、
どういうわけか皆、申し合わせたように
次の二つだけは出てこない。
 
すなわち、「性」と「精神科」。
 
 
……。
……。
 
 
「性」の話が出ないとは、どういうことか。
 
もちろん、自分たちがどんな性生活を送っているか
という話が出ないのは当然なのだろうが、
それだけではなく、
たとえば芸能人の話題などになっても、
新曲がどうの、引退がどうの、という話は出るものの、
 
「不倫がどうの」
 
という話にはならないのである。
 
日本の芸能界は、
ときには週に2つも不倫騒動が持ち上がる。
 
そういうときなどは、
かえって不倫の話をしないで芸能界の話題に参加するのに
苦労するくらいである。
 
しかも、みんな、適度に酒がまわって
口が軽くなっている。
 
なのに、みんなピタリと不倫の話は出さないのである。
 
性濃度、1.0
 
これは、精神分析的に考えれば、
自分たちがどこかで不倫をしているからに他ならない。
 
やぶへびで、自分が追及される番になるのを
みんな恐れているのである。
 
 
 
 
 
 
さらに「精神科」の話が出ない。
 
医療ネタはよく出る。
 
「あそこの歯医者に行ったんだけどサ、
 ここの歯、削られちゃって」
 
「あそこに新しくできた内科の先生、なかなか親切だよ」
 
「大学病院に行った時は、こんなに待たされた」
 
「やっぱり鍼(ハリ)がいい」「いや、整体だ」
 
などなど、医療関係の話はよく出てくるのだが、
どういうわけか「精神科」がらみの話は、
ピタリと申し合わせたように出てこないのである。
 
これだけ人口がいて、
精神科にかかっている住民が一人もいないとは思えないのだが。
 
 
 
 
 
 
 
 
さて、そのような一次会が終わったあと、
残りたい人たちだけが残って、
今度は参加者が自分たちで酒屋の酒を買って、
その場で分け合い、二次会に移行する。
 
ここで帰る人たちがいるので、
人数は、だいたい3分の1ぐらいになる。
 
すると、この段階で一つの異変が起こる。
 
たとえば、私ぐらいの年代のオジサンが、
酒棚の裏など、人から見えない物陰で、
30代くらいの女性の背中から腕をまわして
身体を触っていたりするのである。
 
これは明らかに「性」の始まりである。
 
ところが、「性」をにおわせる言葉は、
相変わらず誰の口からもピタリと出てこない。
 
無言で進行している。
 
私は、市民社会の行動原理を学ぶために、
市民になりすまして、
こういう場へ極秘留学しに来ているわけであるが、
 
「なるほど。
 市民は、誰も何も言わないうちに、
 『性』が黙々ととつぜん始まるのだな」
 
と、こういうところで一つ勉強をするわけである。
 
どうやら、市民にとって「性」とは、
言葉の段階を経ずして、いきなり触り始めるものらしい。
 
性濃度、 - (測定不能
 
さすがにその場でノートを取り出してメモっていると、
私が市民社会へ極秘で留学に来ていることがバレてしまうので、
そうはしないが、
心の中ではたちまち私は勤勉にメモを取るのである。
 
 
……。
……。
 
 
こうして2次会が終わり、
さらに行きたい人はどこかの居酒屋に流れ3次会、
さらに行きたい人はカラオケに流れて
時には朝まで4次会というパターンであるらしい。
 
もしかして、そのあとの5次会も
どこかで繰り広げられているのだろうか。……
 
そこでは、市民たちの「性」は
いったいどのような様相を呈するのか、
私はたいへん興味があるのだが、
2次会まで出ると、
だいたいいつも私の資金も体力も尽きてきて、
ほうほうの体で自分のひきこもり部屋へ帰ってくるので、
いまだ奥地への探検には分け入ったことがない。
 
しかし、今度ぜひ資力と体力をたくわえて、
市民たちの宴に最後までつきあい、
市民の皆さまがいったいどのような性生活を送っているかを
学ばせていただきたいと思っている。
 
 
 
 
・・・「貧困と人づきあい(58)-2」へつづく
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