VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

貧困と人づきあい(58)-2 「なりすまし」と「そとこもり」と「留学」

貧困と人づきあい(58)」からのつづき・・・
 
by ぼそっと池井多
 
 
 
先日、本ブログを愛読してくださっている方から、
こういうご感想をいただいた。
 
「ぼそっと池井多さんの、
西畑酒店の酒を呑む会への『なりすまし留学』は、
ようするに若い頃やっておられた
『そとこもり』の延長ですね」
 
なるほど。
これはするどい。
 
私自身、そのように考えたことはなかったが、
言われてみれば、そうだということがわかる。
 
もともと、私の20代の「そとこもり」は、
日本の中に居場所がなくなって、
中近東やアフリカに死に場所を求めて始めたことではあるが、
人が何かをおこなうときの動機とは、
いくつもの意識の層にまたがり、
異なる理由を持つものである。
 
死ぬつもりで日本を出たものの、
あちこちの国をふらふらしているうちに、
私の心境や状況が変わってきた、
ということがある。
 
 
 
これは、私自身からすると、恥ずべき記憶であるが、
「死ぬつもり」で海外へ旅立ったとき、
私は現地の多くの人々に
今から考えると、考えられないような迷惑をかけた。
 
あれはどういうことだったのか、
自分なりに解釈してみると、
ぞっとすることに、
先日の無差別殺人犯の心境へ到るのである。
 
つまり、
 
「もう自分は死ぬ」
 
という前提がまずあり、
 
「なぜ、他の人たちはまだ生きているんだ。
 なぜ、こいつらは死なないで済んでいるんだ」
 
という「羨望」があり、
そのため、「こいつらも殺してやろう」
あるいは「殺してやる」までいかなくても、
「こいつらに何がしかを負担させてやろう」
という深層心理が働くのである。
 
 
さらに、「自分はもう死ぬのだから、残り時間でやりたいことをやっておきたい。」
という気持ちがあり、
それが無差別殺人に向かう人もいれば、
 
「今のうちに、最後に見たいと思った世界を見ておく」
 
という欲望へつながって、アフリカへ向かう、
ということもあるわけである。
 
いっぽう、私の弟は「留学」を2回した。
しかも親の金を使って、である。
 
それは、国内の知人に対する一種の「なりすまし」であった。
「どうだ、留学してるんだ、えらいだろう。
お前らにはできないだろう」
というポーズをとりつづけた。
 
 
・・・「貧困と人づきあい(59)」へつづく
 
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