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スパゲッティの惨劇(58)ひきこもり当事者から見た8050問題(OSD一周年記念講演)<3>ひきこもりと自己責任

スパゲッティの惨劇(57)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
正確には、
 
 
からのつづきである。
 
 
7月7日におこなわれた、OSD一周年記念講演で
お話しさせていただいた内容を文字起こしして
お届けしている。
 
講演時間30分という時間的な制限から、
割愛せざるを得なかった内容も多い。
 
そこで、本記事では、
講演にあたって割愛した部分を青字にして
ふたたび付け加えることにより、
お届けすることにする。
 
つまり、青字の部分は、
じっさいの講演ではお話しすることができなかったことである。
 
 

 
ひきこもり当事者から見た8050問題
OSD一周年記念講演<3>
2018.07.07 at 池袋
 
 
私のひきこもりが始まったのは、
両親の家の中ではなく、
大学の寮の部屋でした。
 
ならば、私がひきこもりになった理由に、
親や成育歴は関係ないか、
というと、そんなことはまったくありません。
 
私は、親から、身体の中に時限爆弾を埋めこまれて、
それが実家を出てから何年かして
いよいよ大学を出て「社会へ入っていく」という時に爆発して、
ひきこもりが始まったケースだと考えられます。
 
だから、親には
私が実家を出る前にさかのぼって考えてもらいたいわけです。
 
しかし、親は、
自分たちの家を出したあとに始まった私のひきこもりには、
自分たちが関与していると考えようとしません。
 
おそらく親は、
うっすらとわかっているのかもしれませんが、
責任が問われるのがいやなので、逃げ回っているのです。
 
かといって私は、
私自身がひきこもりである責任を
すべて親のせいにするつもりはありません。
 
ひきこもり界隈では、
「ひきこもりになったのは自己責任」
という言説に関して、
ほとんどアレルギー反応のように、
無条件に反発するひきこもり当事者が多いですが、
私は、自己責任論を100%否定するつもりはなく、
自分が現在ひきこもりでいることの何パーセントかは、
れっきとした自己責任だと思っております。
 
「ひきこもりになったのは自己責任」
 
と一般に断じることはできません。
 
なぜならば、ひきこもりになった時点の選択は、
見かけ上は本人の自由意志で選択したように見えるけれども、
本人としてはそうせざるをえなかった上の選択であり、
いわば「生き延びるために」ひきこもったのです。
 
そして、この選択は、
刑法などでも問題になる
心神耗弱(しんしんこうじゃく)」
に準じる状態にあたると考えられます。
 
「ひきこもりになる」
という事件は、家庭の中では一大事件かもしれませんが、
社会の中では刑事事件にならないので、
そのときの本人の心理状況を鑑定医が査定することがない。
だから「心神耗弱」とならないだけで、
じっさいはそれに準じる心理状態であると思われます。
なので、端的に「責任」を求められる対象ではないのです。
 
しかし、私個人の例をとりますと、
23歳でやむをえずひきこもりになって、
その後、社会的な秩序となんとか折り合いをつけようと
「そとこもり」をやったり、
ふたたび「ひきこもり」をやったり、
精神医療にかかってみたり、
その患者村で働いて社会復帰を果たそうと試みてみたり、
いろいろなことをやってみましたが、
現在、私が私を「ひきこもり」と認める、
「ひきこもり」というアイデンティティを選択するのは、
現在の私の自由意志であり、私の自己責任であります。
 
わかりやすくいうと、
今日この日、この時間に、
私がひきこもりを脱しようとしないで、
一人の「ひきこもり当事者」として皆さまにお話をしているのは、
私の自己責任であります。
 
しかし、その自己責任だと認める部分に関して、
不当にそれを私だけの過ちや怠け心のせいにされないために、
その背後の事実関係を究明したいのです。
 
それを究明していくなかで、
とうぜん親の責任も出てくるでしょう。
その部分に関しては、親に認めてほしい、ということです。
 
自分の責任も認めるから、
親にも責任を認めてほしい。
 
何から何まで親のせいにするわけではない、ということです。
 
自分がひきこもりになった正しいプロセスが解明できれば、
そこから自分がほんとうは何を
解決していけばよいかわかります。
 
それがわからないままに、
やみくもに解決を志向するばかりでは、
解決なんかしなくてもいいこと、
前へ進ませたらかえって事態を悪化させるかもしれないこと、
などへズカズカと踏みこんでいくことが「解決」だ、
などと、間違われる可能性があります。
 
それは今日のテーマでもある
「8050問題」についてもいえることだと思います。
 
 
 
・・・「スパゲッティの惨劇(59)」へつづく

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