「治療者と患者(268)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
去る6月26日のNPO法人ザスト(*1)総会で、
私は総会資料として、
『闇の転換点』という拙稿のコピーを参加者にお配りした。
*1.NPO法人ザスト(ZUST/仮称)
患者たちが自分たちで運営していることになっているが、
じっさいは治療者である塞翁先生が独裁する下部組織。
詳しくは、「NPO法人ザストとは」
これは、機関誌「ザスト通信」96号のために
私が書いて投稿したが、
掲載拒否、すなわちボツになったという原稿である。
塞翁療法にとって、
ひじょうに都合の悪い現実を具体的に書いているので、
掲載できないというわけだろう。
私は「ザスト通信88号」まで、
同誌の編集長であったが、
2015年4月に正当な理由もなく、
とつぜんクーデターのように解任され追放されて(*2)以来、
「ザスト通信89号」から前号「同 96号」まで
8号つづけて私の原稿だけ載らない、
という異常事態がつづいている。
*2.参考「資料:岡村美玖のメール」
私の文章が、他の患者たちが書くものより
稚拙であるとは思えない。
ようするに、「政争」なのである。
まるで、文化大革命のころの中国のようである。
それも、患者同士の政争に留まらない。
治療者と患者の政争が
ここまで発展しているということである。
近年、精神医療の問題点が指摘され始めた。
しかし、その問題点とは、大きくわけて、
(1)患者の身体拘束
(2)薬物療法による薬害
に集約される。
ここに取り上げられていない問題があるのだ。
すなわち、
(3)薬をつかわない精神療法による、患者の精神拘束。
いいかえれば、
精神医療の名を借りた宗教カルトである。
この阿坐部村という患者村の問題は、それに当たる。
取り締まる行政機関は、今のところ、ない。
野放図になっている領域である。
私の患者村からのレポートは、
一見くだらない精神患者同士のゴタゴタを
飽きもせず延々と書いているように見えるかもしれないが、
じつは日本の精神医療の現実を問う
マイクロ・ジャーナリズムなのである。
去る6月26日のザスト総会では、
ザスト通信96号に掲載されなかった
私の原稿「闇の転換点」をコピーして持参し、
総会の資料として参加者の一部に配布させていただいた。
昨年のザスト総会の出席者が、たいへん少なかったので、
今年の出席者もどうせそのくらいだろうと思って、
20部しか用意しなかったのである。
ところが、治療者から強権的な動員令がかかったのか、
今年の総会はたくさんの患者が出席していたので、
「もっと印刷していけばよかった」
と後で思った次第である。
さて、お配りした原稿の中身、
「闇の転換点」の内容を掲載させていただく。
これをザスト通信に投稿したときには、
塞翁先生以外の人物名はアルファベットになっていた。
つまり、ザスト通信の投稿規定を厳しく守ったのである。
以前、
「名前がアルファベットになっていないから載せない」
などということが、93号あたりであったからである。
しかし、ちゃんと規定通りアルファベットにしても
私の原稿だけは載らないことがわかった。
となると、バカバカしいので、本ブログでは、
アルファベットにしていた部分を
本ブログで通用している仮名に戻して掲載する。
固有名詞も「チームぼそっと」以外は、
すべて実在しないものへ変えてある。
しかし、ここに書かれていることは、すべて事実である。証拠もある。
精神医療の信じられない実態、すさまじい女尊男卑、公然とおこなわれている医療過誤の現場の様子が、少しでも一般社会の方々に伝われば、と願ってやまない。
改行・太字・色字は、
読みやすくするために編集時に追加した。
闇の転換点
by ぼそっと池井多
2012年、ZUST(ザスト)では塞翁先生の指示により、性虐待被害者のためのSAVEというプロジェクトを行なっていた。塞翁先生が興味を抱く性虐待被害者の証言を映像で収録し、配信するプロジェクトである。そのとき、撮影と映像制作を担当していたのが、のちにZUSTから追放された私たち「チームぼそっと」である。
塞翁先生の指示により証言を収録した数人の患者のうち、江青さんとマリナさんのことを書き残しておきたい。

2012年5月2日、初めてマリナさんへのインタビュー収録が行われた。インタビュワーは塞翁先生自身であった。インタビュイー(インタビューを受ける人)には、のちにシワブのリーダーとなる江青さんも加わっていた。
塞翁先生の質問は、マリナさんが性風俗業で働いていた過去に及んだ。塞翁先生が「お風呂へ行っちゃう人がいる」という表現で、そういう話題に水を向けたところ、マリナさんが応じて性風俗嬢として働いていた事実を自ら話したのである。
この収録が終わってから、塞翁先生の診察室の近くの店で四人でお疲れ会を行なったが、その席でマリナさんはずっと具合が悪かった。
かろうじて椅子に座ってはいるものの、顔面蒼白であり、料理や酒には手をつけられなかった。しかし、塞翁先生はマリナさんをケアすることもなく、熱っぽく持論を語り続けた。
私はマリナさんのことが気がかりであったが、畳の部屋ではなかったので、寝かせてあげるわけにもいかない。
「大丈夫ですか」
と言葉をかけながら、身体は塞翁先生の方を向いて話をしていた。このとき、そこにいるもう一人、江青さんの理解がおよばないフロイトの話をしていたことが、後に述べるように私が治療共同体から追放される原因の一つとなる。
酒席が終わり、塞翁先生はタクシーでマリナさんを送っていった。マリナさんが塞翁先生の質問を受けて体調が悪くなったことは、その後も誰も話題にしなかった。

2012年9月。塞翁先生は、
「マリナさんはもっと映像を撮る必要があるね。とくにお風呂に行ったあたり」
と私に指示を下した。
「お風呂」とはソープランドを指すらしい。
なぜ、こうした話の証言録取が必要であるかは、私も承知していた。性虐待体験は、その外傷再演として、被害者が自ら性的に同じような環境へ行ってしまうことが多く、性風俗産業はそうした環境の筆頭と目されていたからである。
2012年10月31日、こうしてマリナさんへの2回目の収録が、江青さんが経営する飲食店で行われた。塞翁先生は同席せず、指示により私がインタビュワーとなった。質問の内容は、塞翁先生から要望を受けた項目へ及んでいった。すなわち、マリナさんが性風俗業で働いていたころの詳細である。
マリナさんは、原家族において実父からの近親姦を受け、やがて短大時代に性風俗業に従事した。しかし、性器の挿入という形態をとった父からの虐待よりも、なんら身体的な接触を含まなかった母からの精神的虐待の方がつらかったために父のもとへ逃げた、と私には聞こえた。
性風俗の仕事を始めた理由は、いちおう「学費を稼ぐために」と理由づけしていたが、実際はそれほどお金に困っていなかったことも、彼女自身認識している。何かに繰られるように性を仕事とし始めた。まだしも、その仕事を誇りにできれば、別の突破口があったのだろう。だが、彼女はそうできない。「自分で選んだこと」と自分を責める。……
「潔癖」とすら表現できるマリナさんの心のかたちが、「生き恥をさらしている」といった彼女の言葉ににじみでてきた。潔癖は、破滅と表裏一体である。
背後に見え隠れする苦しさに、私は見覚えがあった。
私もまた、好きこのんで中高年になるまで無職で生活保護という人生を選んでいるわけではない。社会に侮蔑される生き方という点では、性風俗嬢の女性も、生活保護の男性も、まさに同じだった。彼女の「生き恥をさらして」という言葉に、私は深い所で音叉(おんさ)のように共鳴した。
しかし、塞翁先生は言うのだった。
「男のくせに、挿入された女の気持ちをわかったふりするんじゃないよ。
男ならば、肛門に挿入されてから言え」
なぜ塞翁先生は、そこまで挿入にこだわるのだろう。
性器の挿入が女性を深く傷つけるものだとしても、それは人間としての尊厳、主体を侵害するから傷なのではないのか。そもそも、「肛門に挿入されてから言え」とは、精神科医が患者にいう言葉であろうか。肛門に挿入されていなくても、私は私で筆舌尽くしがたい虐待を受けて生きてきたのだ。私がマリナさんに共鳴して何が悪いのか、と思った。
ところが、マリナさんへのインタビューは、江青さんによって不意に打ち切られた。塞翁先生が私に指示していた領域に質問が及んでいた時のことである。
こうした微妙な質問は、途中で中断したら、かえってインタビュイーに心の傷を残す。いったん手術で開腹したならば、ちゃんと手術を終え、傷を縫い合わせ、痛みを取り、創閉鎖ということをやらなくてはならない。インタビューの場合、終了し、その後のフォローまでやって、初めてインタビューが完成するのだ。
しかし横で見ていた江青さんは真逆のことをやってくれた。私を執刀医にさせておいて、マリナさんの心を開腹したまま、そこで終わるよう私に命じたのである。
のちに、江青さんが私をこのようなのっぴきならない立場に追いやったのは、1回目のインタビューの後の酒席で、江青さんのわからない難しい話、すなわちフロイトのことを、私が塞翁先生と話していたからだとわかった。嫉妬のために、私を窮地へ追い落したのである。さらに江青さんは、塞翁先生に寵愛されるマリナさんにも嫉妬を抱いていた。
しかし、そこは江青さんの店であり、そのプロジェクトも江青さんをリーダーとすることになっていた。私に発言権はなく、江青さんの中断に従うほかなかった。マリナさんがまた具合が悪いまま帰ることになるのはわかっていた。それは私の悔恨でもあった。

数日後、私が通院していなかった日に、マリナさんは塞翁先生の治療ミーティングでこのようにシェアをしたという。
「やり逃げされたみたいで具合悪くなった」
すると、塞翁先生は、
「それはひどいね。
あなたは池井多にセカンド・レイプされたんだ」
と太い声で断定した。
この治療者と患者のやりとりを多くの患者が目撃していて、
「池井多はマリナさんをセカンド・レイプした」
という認識が患者の間に広まった。
治療者のいうことは、患者たちはみな疑いもせず、信じてしまう。治療者とは、そういう権力を持った位置にいる。この事件が、私のクリニックに通い続けた歳月の転換点となった。
その際に、塞翁先生からは
「そういうインタビューをやれ、と指示したのは私だ」
また、塞翁先生自身がマリナさんをインタビューした一回目のインタビューでマリナさんの具合が悪くなった事実に関しては、同じ「セカンド・レイプ」という表現を与えないどころか、まるでそんなことは起こらなかったかのように、いっさい塞翁先生の口から言及されなくなった。
そのため、塞翁先生の治療ミーティングを聞いていた患者たちは、みな私、ぼそっと池井多はなんてひどい男なのだろう、という結論で一致し、この事件を記憶することになった。
今にして思えば、これで私がうつにならない方が不思議ではないだろうか。精神科医療機関とは、本来うつを治す場であるはずである。
これも、私がZUSTや治療共同体から追放され、ZUST通信にも「池井多の原稿だけは載せない」という扱いを受けつづけている現在の状態の遠因の一つになっているのである。
#齊藤學被害 #精神医療被害 #精神療法被害
・・・「治療者と患者(270)」へつづく
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2018/8/13(月) 午後 7:55
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