VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

スパゲッティの惨劇(59)ひきこもり当事者から見た8050問題(OSD一周年記念講演)<4>男性の毒母問題

スパゲッティの惨劇(58)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
このシリーズ前回「OSD一周年記念講演<3>」に引き続いて、
7月7日におこなわれた、OSD一周年記念講演で
お話しさせていただいた内容をお届けする。
 
とはいっても、進んでくるにしたがって、
割愛した部分がいかに多いことか、
と我ながらあきれている。
 
そこで、本記事では、
講演にあたって割愛した部分を青字にして
ふたたび付け加えることにより、
お届けすることにする。
 
つまり、青字の部分は、
じっさいの講演ではお話しすることができなかったことである。
 

 
 
ひきこもり当事者から見た8050問題
OSD一周年記念講演<4>
2018.07.07 at 池袋
 
 
私がひきこもりになった理由は、
ひとことでいえば
「毒母問題」ということになります。
 
(じっさいに当日お見せしたスライドでは、
「毒母」の文字が動くのだが、
ここでは静止画である)
専門家のあいだには、
 
「娘には毒母問題は起こるが、
息子には毒母問題は起こらない」
 
などとおっしゃる方がいます。
 
冗談ではない。
 
私という実例がここにおります。
 
私だけでなく、
当事者仲間ではそういうひきこもりがたくさんおります。
 
あまり大きな声では言えませんが、
専門家が当事者のことをよく知らない一つの例です。
 
やはり男であると、
 
「自分は母親に虐待されました」
 
などということは、
カッコわるくて、なかなか言えません。
 
私のように昭和に育った男性は、
社会からそういう空気を吸わされて生きてきました。
 
私が若いころは、女性でさえも
 
「自分は母親に虐待されました」
 
ということは言いにくかったと思いますが、
それに輪をかけて、男性の場合は言いにくかったのです。
 
「言いにくい」というのは、
それを言い出すと、言い出した者が周囲から責められる、
という状況が予想されたからです。
 
やがて、1990年代ごろになって、
ようやく女性が、
 
「自分は母親に虐待されました」
「私の母親はひどい人です」
 
ということが言われるようになってきましたね。
 
何人もの勇気ある先駆者の発言があってこそ、
その扉が開かれたのだと思います。
 
しかし、いまだに男性については
その扉は開かれていません。
 
だから私は、申し上げているのです。
 
少々、こむずかしく申し上げるならば、
前の時代のジェンダー・イメージが
社会のなかに色濃く残っているあいだは、
男性の被害者は、女性の被害者よりも
カミングアウトしにくい
といった側面があるのではないでしょうか。
 
そうであれば、ほんらい精神医療の治療者は、
よけいに男性のカミングアウトを大事にしてほしいものです。
 
なのに、専門家や治療者が、
 
「男性の毒母問題はない」
 
などという。
 
こういう事実に反した断言によって、
ほんとうの当事者、被害者が
よけいに社会へカミングアウトしにくくなっています。
 
 

 
編集後記
 
by ぼそっと池井多
 
ほんらい私は、「被害だ、被害だ」と
自分の被害ばかり訴えている人が大嫌いであった。
 
私の母がそういう人だったから、ということもある。
 
しかし、
「被害者にまわりこむ人は、
人徳もなく、忍耐力もなく、人間としてみじめである」
と時代から教えられていたからでもあると思う。
 
周囲を見回すと、
「被害者にまわりこむ」人でロクな人はいない、
ということもまた、経験的に学んでいた。
 
それは、自分の成育歴を直視するときに、
大きな抵抗となっていた。
 
だが、いつまでも言わないと、
いつまでも真実が社会で語られない。
 
そこで私は2013年、
このぼそっとプロジェクトを始めるのに際して、
それまでけっして言わなかった「被害者宣言」を前面に出し、
しかし、「みじめな被害者」ではないように、
「尊厳ある被害者」をテーマとして、
こうしたことを論じ始めたのであった。
 
(毒母被害を)「言いにくい」というのは、
それを言い出すと、言い出した者が周囲から責められる、
という状況が予想される。
 
と、私が上記の稿の中で述べている一つの例が、
一週間ほど前の本ブログ
 
の後半で書かせていただいたような、
ねえねさんと私の議論であった。
 
ねえねさんの
 
「親のせいで~」とごちゃごちゃ言ってるのは、そんな親でも好きということ。
親のせいで自分の人生がどうにかなったという責任転嫁。
 
という言葉は、まさしく
 
被害を受けた者が「被害を受けた」と言ったから責められる
 
という負の循環をみごとなまでに具現している。
 
「そんなふうに責められるくらいなら、
もう言うのをやめよう」
 
と、声をあげている人がめげて、黙ってしまうように、
このような同調圧殺作用(*3)が周囲から働くのである。
 
*3.同調圧殺作用という語は一般的には謂われないが、
「自浄作用」と「同調圧力」から私が造った。
 
このような同調圧殺作用は、
洋の東西を問わず、西洋にもあるということを、
私はGHOを通じて学んでいるが、
とりわけ日本社会はこの傾向が顕著である。
 
このときに、一発逆転して
同調圧力を加えてくる側を黙らせることができない第一の理由は、
やはり、毒母・毒親という概念は、
「AC」と同じように、
科学的な認定ができない、ということではないだろうか。
 
最低血圧が90以上は高血圧と認定される」
 
といったように、
毒母であるかいなかを認定することができない。
 
たとえば、ねえねさんのような人が、
 
「私だって、母親にはひどい目にあっている」
 
と言ったときに、
 
「それでは、あなたの毒母度を測定してみましょう」
 
といって、血圧計ならぬ毒母計という器具を当てて、
たちどころに毒母度を測ることができたなら、
あのような議論の不毛に迷い込むことも減ると思われる。
 
それができない。
数値化できない。
客観化できない。
 
だから、毒母・毒親被害者は、
いつまでも苦しみ続けるという側面がある。
 
追加のコメントでねえねさんはこう書いておられる。
 
自分で思いこみの世界観を作ってしまい、
鬱や自殺まで発展してるのではないでしょうか。

ご存知かもしれませんが、私はインドネシア在住なので、外国人雇用条件が厳しく、ここ辞めたら次ないかもなぁという「自分で次はないから我慢しなくちゃいけない」という、思い込みを自分で作りだし、人格障害っぽいネシア人の上司に、人格否定やら精神的嫌がらせを受け、耐えてたけどある日プッツンきて、
もーやめた、と結論出しました。

また日本語通じないレベル承知の発言しますが、
今の自分の置かれている状況は、誰のせいでもない、
全ては自分のマインドが創り出したものというのが、私の考えです。 


[ ねえね ]  2018/8/9(木) 午後 0:31 (*4)
 
 
これはようするに、精神療法でいえば、
 
認知行動療法ですべて治る」
 
と言っているようなものであり、
こんなことで片がつくようならば、
はじめからサバイバーは、
悩みも、苦しみも、していないのである。
 
毒親サバイバーは、
そんなこともわからず、試みもしていないくらい、
馬鹿だから苦しんでいる、
と考えられているふしがある。
 
また、インドネシア人だから、日本人だから、
という論に至っては、
「言葉が通じない」
という、「夜の言語」で発した意味を
ねえねさんが「昼の言語」を通じて解釈しているために、
まったくコミュニケーションとして
成り立っていない。
 
話を戻すと、
男性の毒母問題ということを
広く社会に知らせていかなくてはいけない。
 
私の治療者、塞翁先生には18年をかけて、私は
私の母の人となりを微に入り細に入り描写してきた。
 
しかし、塞翁先生の口からは、
 
「あなたの母親は境界性パーソナリティー障害です」
 
のひと言すら、出てこなかったのである。
 
また、私が通っていた
麻布近くの松風堂医院の漢方医に至っては、
私が母親のありようを説明すればするほど、
加害者である母のほうに同情してしまい、
目の前にいる患者である私の訴えなどみじんも聞かず、
 
「男なのに、まだそんなことを言っている」
 
と侮辱するばかりであった。
 
 
 
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