VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

海外ひきこもりだった私(10)承認されたかった政治少年 ~ なぜ「そとこもり」に?

海外ひきこもりだった私(9)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多

 

 

多くのひきこもりは、自分の社会から撤退するのに、
部屋の中という「内」へひきこもる。
 
ところが、私の場合、
最初の2年をのぞいて
二十代は自分の社会の「外」へひきこもった。
 
海外である。
 
この形態のひきこもりを、
そとこもり」という。
 
じつは、
「そとこもり」自体は、そんなに珍しいことではない。
 
もしあなたが海外の、
「そとこもり」が溜まりそうな町にしばらく滞在していれば、
たくさんの日本人が
「そとこもり」している実例を知るだろう。
 
しかし、「そとこもり」は、
あまり日本では取沙汰されることがない。
なぜか。
 
まず第一に、「そとこもり」族は
そのまま現地に同化して、日本に帰ってこないからである。
 
第二に、もし日本へ帰ってくる場合は、
「自分は海外で活躍していた」
「放浪していた」
といった表現で、自らの海外ひきこもりの体験を語るので、
「そとこもり」という視点から
語られることが少ないからである。
 
そもそも
「自分の社会から逃避した」
といった解釈をするのが格好悪いと思っている。
また、
「こもっていた」
というのも格好悪いと思っている。
 
したがって、とかく冒険譚や武勇伝に仕立て上げて、
語られることになる。
 
私自身も、そんな鼻持ちならない若者の時期があったが、
いまや格好をつけてもしょうがない年齢になってきたので、
正直に「そとこもり」であった、という。
 
 
 
 
 
 
 
 
それでは、私はなぜ「そとこもり」になったか。
 
その淵源は、あちこちにたどることができる。
我ながら、まことに興味深い問題である。
 
それを考えてみたくて、二年前にこの
海外ひきこもりだった私」
というシリーズを開設した。
 
ところが、あちこち放浪する私の悪い癖が出て、
文章の流れの上でもあちこち放浪してしまい、
いつのまにかシリーズは漂流し、
暗礁に乗り上げてしまっている。
 
8月末にNHKハートネットTV」(*1)で
私の「ひきこもり放浪記」を取り上げていただいたのを機に、
暗礁に乗り上げた本シリーズ「海外ひきこもりだった私」も
ふたたび言葉の海へ航行させることにした。
 
 
そこで、しばらく休止していたこのシリーズを
書き継ぐことにしたのである。
 
大学を出た私が、なぜ
「うちこもり」でなく「そとこもり」を始めたか。
 
それは、少年時代に遠因を遡らなければならない。
 
 
 
 
 
 
 
 
1970年代の後半、
高校時代の私が青臭い「政治少年」だったことは
前にも書かせていただいたことがある。
 
1960年代の学生運動をやっていた団塊の世代が、
まだ若者といってよい年齢であった時代である。
 
先に申し上げておくと、
ほんとうに考えに考えて権力と戦っていたような
筋金入りの一流学生運動家とちがって、
お祭りでも行くような気分で
デモに参加し、石を投げていた二流、三流の学生運動家たちを
いまの私はまったく評価していない。
 
彼らは、いまの「活動系ひきこもり」にも満たない存在だと思う。
 
しかし、当時はそのような
「お祭り学生運動家」
が、私たちのすぐ上の世代を占めていたのであった。
 
一流学生運動家は、
私のような一介の高校生が会う機会もなかった。
 
父が父として機能しなかった家庭に育った私は、
父親像に飢えていた。
あるいは、承認してくれる男性に飢えていた。
 
そのため、高校生の私は先輩に従順であった。
 
体育会に入って、先輩に絶対服従することで
マゾヒスティックを悦びをおぼえる男子学生は、
けっきょく私と同じように
父親像に飢えているのだろうと思う。
 
それは、同性愛的な性慾とは、
あきらかに一線を画するものであるが、
フロイト的に微分していけば、
その両者は底流でつながるものなのだろう。
 
高校の先輩たちから存在承認を得るために
私は生徒会役員に立候補し、
一年生で書記、二年生で会長に就任した。
 
いまとなっては、お笑い草である。
 
上流階級のお坊ちゃんたちが通う進学校で、
私のような中下流階級から来た生徒が
一定の居場所を獲得するのには、
そうするしかなかったとも言える。
 
私が通っていた私立の男子校は、
生徒会が左翼がかっていることで有名であった。
 
あさま山荘事件(*1)のときに、
十代から逮捕者が二人出たが、
その二人とも私の先輩である。
 
 
したがって、先輩たちから一目置かれるためには、
サヨクにならなければならなかった。
 
私は、ほとんどわからないままに
マルクス・エンゲルスに目を走らせ、
毛沢東に目を走らせ、
左翼過激派の機関誌に目を走らせ、
たとえ書かれていることの意味は完全にわからなくても、
読んでいるところを先輩たちに見せ、
いくつかキーワードとおぼしき用語を安直に拾いあげ、
それらを適当にちりばめてもっともらしいことを言い、
父からは得られない、
なけなしの存在承認を先輩たちから獲得しようとしていた。
 
それでいて、家に帰ると、
右翼作家とされていた三島由紀夫
熱読しているのであった。
 
正直をいって、なぜ三島が右翼といわれるのか、
わからなかった。
 
十代の私に数少ない、褒められるべき点があるとすれば、
すでに三島の本質が右翼思想でない
ということを見抜いていた点だろうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
生徒会の会長などをやっていると、
さまざまな政治勢力からアプローチがあった。
 
まだ幼げな少年であった私は、
どのアプローチにも好奇心をいだき、
無知な仔犬のように、あちこちついていった。
 
被差別部落の中へ導かれて行ったのも、
このころであった。
 
ディスコで在日のお兄さんと会ったが、
彼が日本語しか話さないことを不思議に思ったりしていた。
 
大学に入ってから、
自治会などをやっている連中が言っていることは、
すでに私は高校のころに通り過ぎた気がして、
なんとも青臭く見えた。
 
だから、体育会空手部に一年だけ入り、
武道とは、日本精神とは何か、
などと考えたりしていた。
 
そこに宿る肉体的な苦痛の中には、
自治会などにたむろしている「口先サヨク」の学生にはない、
何か人間の真実が含まれているように思った。
 
こうして私は高校のときは「左翼」と呼ばれ、
大学のときは「右翼」と呼ばれるようになった。
 
大学の後期へ、二年生から三年生に上がるときに
専攻とゼミを決めなくてはならなかった。
 
私は、母親の承認を得たいために、
母親のいうとおりの大学に入ってしまったものだから、
専攻したいほど興味ある科目が見つからなくて途方に暮れた。
 
いっそのこと、
2年の終わりで大学をやめてしまおうかと考えた。
 
ここで大学をやめていれば、
私はまた、ちがう人生を歩んだことだろう。
 
ところが、大学を中退できるほど、
私には度胸がなかったのである。
 
昨今、ひきこもり界隈で不登校出身の人と出会うと、
彼らが早熟であることに圧倒される。
 
彼らは、高校で、あるいは中学校で、
すでに学校へ行くことの無意味さに開眼し、
自分の人生を独自に歩み始めた人たちである。
 
それだけに、しっかりした知性と価値観を持っている。
たしかにそれは、大学教育の中で習う知識の体系とは異なるが、
「自分の頭で考える」
という、もっとも大切な知性的活動の基礎が抑えられている。
 
彼らの中では「大学中退」も、
すでに「晩熟(おくて)」「後発組」なのである。
 
なぜならば、
「学校に頼らない人生」
というものにめざめたのが、
中学や高校といった青年期ではなく、
すでに大人になりかけの大学在学中だからである。
 
私のように、うつで決断力のない者は、
ずるずるも六年もかかって大学を
ごていねいにもちゃんと卒業することになる。
 
私の人生には、不登校という栄光のかけらもない。
 
そのかわり、企業へは入社前から出社拒否を起こし、
全面的に「不出社」の人生を送ることになった。
 
だが、大人になってから不出社をつらぬいたところで、
少年のころに不登校をつらぬくような輝かしさはないのである。
 
 
 
 
 
 
それでは、大学後期へ移るときに、私はどうしたか。
 
そこで私は、のちに強烈に父親像を投影する
鈴澤教授と出会うことになるのである。
 
 

vosot.hatenablog.com

関連記事

vosot.hatenablog.com

vosot.hatenablog.com

  •     

    顔アイコン

    おはようございます。

    左翼学生だったのが右翼思想にのめりこむか…

    ぜひ池井多さんには雨宮処凛さんと対談してほしいですね~
    けっこう似たような経歴の持ち主ですから。
    そして彼女も「家族になかったものを求めていた」と言いますから。 削除

    [ 豚猫大好きぶーにゃん ]

    2018/9/20(木) 午前 8:04

    返信する
  •     

    豚猫大好きぶーにゃんさま コメントをどうもありがとうございます。

    雨宮処凛さんには、おおいに共通項を見いだします。
    また、彼女のいう「犠牲の累進化」という概念も、ひどく共感します。

    サヨクだ、ウヨクだ、といったことは、
    ひょんなことで裏返るものです。
    たとえば北一輝ほど左だった人はいないし、スターリンほど右だった人もいないでしょう。

    三島は、政治思想の馬鹿馬鹿しさを知ったうえで、あのような活動をやり、あのように死にましたから、いわゆる「右翼」ではない、というのが私の見方です。 削除

    チームぼそっと

    2018/9/20(木) 午前 11:08

    返信する
  •     

    顔アイコン

    私も高校2年に生徒会長になり、大学も6年かかって卒業していますが、それ以外はぼそっとさんとは全く別の道をたどったようですね。
    違う点を挙げると1つは怖い父親がいたこと、大学は自ら三流大学を選択したこと、そして卒業後は貧乏絵描きの道を選択、30歳で就職結婚したこと・・この3点はぼそっとさんとは全く違いますね。 削除

    迷えるオッサン

    2018/9/20(木) 午後 11:12

    返信する
  •     

    迷えるオッサンさま コメントをどうもありがとうございます。

    ぜんぜん違う人生を歩んでこられたと思う迷えるオッサンさんとも、探せばけっこう共通点はあるものですね。

    おっしゃるとおり、厳然たる父親がいらしたことは、たしかに私とおおいに違うでしょう。
    あと何といっても「おふくろ」然とした良い母親がいらした。これは決定的だと思います。 削除

    チームぼそっと

    2018/9/21(金) 午前 10:30

 

All Right Reserved (C)VOSOT 2013-2020