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海外ひきこもりだった私(11)承認されない戦場

 「海外ひきこもりだった私(10)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多

 

 

前にも書いたことがあるが、
私は物心つかないころから、母親に
 
「お前はヒトツバシ大学に行きなさい」
 
と言われていた。
 
もちろん、どんな大学かわからなかった。
文系か理系かも知らなかった。
 
幼心にいだいたイメージは、
「お城」であった。
 
大きな濠(ほり)があって、そこに一本の橋が渡されている。
 
その、たった一つの橋によって
社会とつながっているような大学のイメージである。
 
いうまでもなく、それは国立市内に現存する
一橋大学の敷地とまったく似ても似つかない。
 
私は、いったいどのような大学かもわからないながら、
そこに入りさえすれば、
もうそれ以上、母に責められることはないのだろう、
と思って、そこを目指して勉強した。
 
そのころ「虐待」という言葉は知らなかったが、
虐待される毎日がつらくて、つらくて仕方がなかった。
 
子どものころは、
家の外にも生きていく世界があるとは考えない。
当時は、児童相談所も機能していなかったのに等しい。
 
事情を知らない人は、
 
「逃げていけばいい」
 
と、たやすく言うであろう。
 
しかし、当時の私にしてみれば、
虐待される家の中以外に
「生きていく」という行為ができる場所は
存在しないのに等しかった。
 
「生きていく」ということはすなわち、
虐待される家の中で生きていくことであった。
 
この虐待が止むためには、
ヒトツバシ大学という所へ入り、
母の願いを叶えてやることだ。
 
と、子どもの浅知恵で単純に考えたのである。
 
いま思えば、発達障害の傾向もあった私は
受験勉強には向かない気質であった。
 
よほど没入できることでないと、
集中が長くつづかないのである。
 
それだけに苦しかった。
とくに、母の
 
「言うことを聞かないんだったら、
お母さん、死んでやるからね」
 
という言葉に代表される脅迫に日常的におびやかされ、
私は幼時から強迫性障害を病むようになっていた。
 
強迫症状が出ると、勉強どころではないので、
強迫反復などの症状行動を止めなくてはならない。
しかし、それを止めるのが、
その手の病者には大変なことなのである。
 
病気と闘いながら、
小学生が夜中の2時まで毎晩、中学勉強をする苦しさは、
まさに「死苦」といっても過言ではなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
当時は、ベトナム戦争、ビアフラ内戦をはじめ
世界中で凄惨な戦争が起こっていた。
 
家族のなかで、観ることが許されていた
数少ないテレビ番組が、
そのころ火曜日19:30-20:00にNHK総合で放送されていた、
海外特派員報告」である。
 
テレビ画面には、
これでもか、これでもか、と言わんばかりに
海外の戦場の惨状が大写しになった。
 
飢えて痩せこけた子どもたち。
食べ物も学用品もない子どもたち。
怪我から流血していても、
包帯もない村の人々。
 
舞台は、のちに私が「そとこもり」することになる
アフリカ、アジアが多かった。
 
言い換えれば、私の二十代の「そとこもり」は、
子どものころに見せつけられた悲劇の現場へ
吸い寄せられていった帰結であるといえる。
 
「海外特派員報告」を見せながら、
母は私にいうのであった。
 
「ほら、見なさい。
アフリカには、お前と同じくらいの子どもが
あんな不幸な目にあっているのよ。
 
食べ物もない、学用品もない。
勉強したくても勉強できない。
 
そんな世界で、あの子たちは生きているのよ。
 
そこへ行くと、お前はいったいなに?!
 
たんまり食べ物も食べさせてもらって、
学用品も買ってもらって、
何一つ不自由のない生活をしてるじゃないの。
 
それで、何ですって、勉強がつらいだって?
 
馬鹿も休み休み言いなさい!
 
まるで幸福じゃないみたいな顔しちゃって、
なんてお前はぜいたくなの!
 
あの子たちの立場になってごらんなさい。
いったいどの口がそんなこと言えるの!」
 
いまの言葉でいえば、
「海外特派員報告」のテレビ画面に映っている
アフリカの不幸な子どもたちは「当事者」だった。
 
そして、私の不幸はいっさい認められず、
私は逆立ちしても、
何の当事者であることも認められなかった。
 
のちに、私に死に場所を探してアフリカへ行ったのも、
幼少期に母親が「不幸認定」をしていた
あのアフリカの子どもたちがほんとうに不幸なのかどうかを
この目で見定める目的があった。
 
アフリカで起こっているような内戦や内乱がない、
銃弾が一発も飛び交うことのない、
まったく平和な日本の都市の郊外の社宅の一室で
日夜、繰り返される惨劇は、
私に、それらアフリカの戦場に匹敵する苦しみを与えた。
 
しかし、
 
「この平和のなかに、この家庭の中に、戦場がある」
 
と言ったところで、
いったい誰が信じてくれたであろうか。
 
また、そんな言葉は、
断じて言ってはならない空気があった。
 
戦争による災禍は、
その被害性や悲劇性が全世界的に承認されている。
 
戦争による不幸は、
ある種、不幸として聖化され、特別扱いされていた。
 
ところが、家族という密室のなかで、
母親という甘美であるはずの存在によって
おこなわれる虐待の数々は、
まったく社会的に承認されていない不幸であった。
 
しかも、
殴ったり、蹴ったり、食を与えられなかったり、
という、第三者の目に見える暴力ではなく、
子どもだけにわかる言葉を、
母親が子どもの耳元でささやくことから成り立つ、
陰湿な精神的虐待は、
暴力のうちに入らないと考えられていた。
 
ましてや、戦争に家を焼かれる苦しみとは
比べ物にならない、と考えられていた。
 
今でも、たとえば私のブロ友、迷えるオッサンさんは
そうおっしゃるかもしれない。
 
なるほど、戦争による災禍は、
たしかに甚大な被害である。
 
しかし、戦争によらない、
家庭内の虐待などによる、
甚大な被害もある。
 
それらを「同列に」語るな、というのであれば、
せめて「同等に」語れる場があってもよい。
 
というか、あるべきである。
 
「過緊張状態の継続」
「交感神経の優位」
といった身体内の現象としては、
身体の外で起こった現象が、
ナパーム弾の炸裂であろうと、
母親の虐待の炸裂であろうと、
変わらないのだ。
 
家庭内の虐待による災禍は、
戦争による災禍のように
社会から承認されるわけではない。
 
社会的にみんなでいっしょに体験したわけではないからである。
 
また、家庭という密室で行われたために、
その実情を社会は知らない。
 
すると、共感される望みもない。
 
そのため、さらにその苦しみが増す、
という側面もあるのだ。
 
毎日、家庭は戦場だった。
 
テレビでも新聞でも報道されない戦場だった。
 
報道されないがゆえに、
いつまで経っても援軍や解放部隊が来てくれる可能性が
まったくない孤立無援の絶望的な戦場だったのだ。
 
このような戦争を通り抜け、
母の願うとおりに一橋大学に受かってあげたあかつきに、
 
「いったい母は、いままでの虐待を
どのように詫びるつもりだろうか」
 
と、19歳になった私は、
母の戦争責任の取り方に大きな関心を持った。
 
 
 

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閉じるコメント(4)

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    顔アイコン

    「母の願う通りに一橋大学に受かってあげた」ぼそっとさんのこのフレーズがいつも気になっています。
    ぼそっとさんは自分が一橋大学に合格した喜びは皆無で、人生の無駄な6年間を過ごしたと思っているように見えますが、それは間違いで実は極めて貴重な実体験ではなかったでしょうか。
    一橋大学卒業があったからこそ、卒業後のそとこもり決断や帰国後のひきこもり世界の選択も可能だったのではないでしょうか。
    そう考えるとお母さんの虐待をビアフラ内戦に譬えるなど、悪い部分ばかりを強調するのは如何かと思う時もたまにあります。 削除

    迷えるオッサン

     

    2018/9/25(火) 午後 8:57

     返信する
  •            

    迷えるオッサンさま コメントをどうもありがとうございます。

    たとえば「お祭り」という行事は「楽しいこと」として一般には認識されています。
    しかし、実際には、個人によって体験の文脈がみな違うので、中には「お祭りは苦しい」「お祭りは悲しい」という人も必ずやいることでしょう。

    また、○○があったから××があった、という因果律の結び方についても、一般に理解されるものと、個人が内的に記憶しているものについては違いがあります。

    ひと言でいえば、個人は自分の感覚に正直になったとき、必ずしも世間一般に即したパターンで物事を体験していないし、記憶もしていない、ということです。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/9/25(火) 午後 9:38

     返信する
  •            

     

    > ぼそっと池井多

    あなたも私も、両親に虐待されたことも事実なら、その両親に出して貰ったカネで学んだことも、また、確かな事実ではありませんか? 削除

    流(ナガレ) 全次郎 ]

     

    2018/9/25(火) 午後 10:14

     返信する
  •            

    顔アイコン

    こんにちは。朝夕涼しくなりましたね。

    >「ほら、見なさい。
    >アフリカには、お前と同じくらいの子どもが
    >あんな不幸な目にあっているのよ。

    >食べ物もない、学用品もない。
    >勉強したくても勉強できない。

    >そんな世界で、あの子たちは生きているのよ。

    >そこへ行くと、お前はいったいなに?!

    今日、私のブログで綴った「毒オトナの条件」そのものですね。
    こうやって当人の悩みや苦しみを遮り、当人の「うち」に苦しみを抱え込ませるのです。

    本当は「お前の話に付き合う余裕はない」「お前の悩み事話など聞きたくない」ということでしかないのですが、こういう「大義名分」でごまかすんですよね。

    で、こんな暴言を吐かれた当人が苦しんだ末に自殺でもすると「なぜ周りの人たちは当人の苦しみの『サイン』に気付けなかったのか」とか報道するんですよね。ふざけるなとしか。 削除

    豚猫大好きぶーにゃん ]

     

    2018/9/27(木) 午後 4:36

     

 

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