VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(51)サバルタン的当事者

subalturn
 
という語は、
社会ではあまり知られていないと思う。
 
とりあえず私は
この語を使ってサバルタン的当事者」というときに、
 
社会資源につながる力もない
最底辺の当事者たち
 
という意味で使っている。(*1)
 
*1.もう少し詳しい説明は、
この記事の末尾につける。
 
 
福祉学などでいう
 
見えない人々 invisible people
 
と、ほぼ同じ意味で使っているわけである。
 
そこでいう「社会資源」とは、
社会保障制度、行政からの支援だけでなく、
民間でやっている当事者活動などもすべて含む。
 
サバルタン的当事者」という語で、
たとえば具体的にどういう人を想定しているかというと、
今年の2月に起こった札幌母娘餓死事件(*2)である。
 
 
*2.「母と娘、孤立の末に 札幌のアパートに2遺体 
82歳と引きこもりの52歳 「8050問題」支援急務」
北海道新聞 2018.03.05
 
 
痛ましい事件であった。
 
82歳の母親と52歳のひきこもりの娘は、
生活保護はおろか、
近所の人にも助けを求められないまま
共倒れで飢えて死んでいった。
 
少なくとも、メディア空間ではそういう話に落ち着いている。
 
社会資源につながる力もなく、
いわば社会の「枠外」でひっそりと
共倒れして餓死していった。
いたましいこと、このうえない。
 
このようなひきこもり当事者層を
サバルタン的当事者」
と呼んでいるわけである。
 
娘はもちろんひきこもり当事者だが、
餓死した母親のほうも、私のいう「家族当事者」である。
 
サバルタン的当事者は、
自分たちが助かるかもしれない数々の制度について
自ら情報をあつめ、申請するという力がない。
 
自分がそういう申請をしてよいとすら
認識していない場合も多い。
 
また、サバルタン的当事者の特徴の一つとして、
インターネットから情報を得られない、
ということがある。
 
情報を得られたとしても、せいぜい
口コミや新聞、テレビである。
 
高年齢化したサバルタン的当事者は、
チームぼそっとでやっているひ老会」に
ぜひとも参加していただきたい層に入っている。
 
それは、つなかん群馬に行った時に、
考えていたよりも多くのひきこもりが、
インターネット環境を持っていないことを知って
痛切に感じた。(*4)
 
 
 
年齢層が上になればなるほど、
インターネット環境のない当事者が多いのではないか。
 
「ひ老会」は、いちおう紙版のチラシも作って、
地元自治体の保健相談所などに置いているが、
人の目に触れる、という意味では
今のところインターネットである。
 
それが、8月22日のNHKハートネットTV」で
「ひ老会」をご紹介していただいたことによって、
これまで情報が行かなかった当事者層に少し届いた。
 
NHKハートネットTV」で紹介されたときの「ひ老会」
 
 
「テレビで『ひ老会』を知りました」
 
という方々から、
9月15日開催の第6回「ひ老会」への
参加のご希望をいただいたのである。
 
といっても、私へ直接ではない。
 
そういう方々は、テレビで「ひ老会」を知ったあと、
KHJを始めとする、ひきこもりに関連する全国組織に
 
「ひ老会に参加したいんですけど、
 どうしたらいいですか」
 
と電話で問い合わせたらしい。
 
すると、そうした全国組織から私にメールが来て、
連絡がつながった、という次第である。
 
参加のご希望を送ってくれた方のなかには、
九州、東北といった、
遠方の当事者の方が3名もいらっしゃった。
 
これには、私自身いささか驚いた。
 
しかし、どこか一つの当事者会につながれば、
「当事者ネットワーク」ともいうべき、
いわゆる「ひきこもり大陸」に上陸したのも同然である。
 
当事者会をふくめ社会資源につながることのできない、
サバルタン的当事者」の方が、
上陸へ最初の一歩をしるすことは、
とても意義深いと思われる。
 
ところが、やはりサバルタン的当事者は、
いろいろな障壁を背負っていたようである。
 
開催前日になると、続々とキャンセルの連絡が来た。
 
「やっぱり部屋から出られない」
「電車に乗れない」
「遠出ができない」
 
細かい事情はそれぞれ異なった。
 
こうして9月15日のひ老会には、
けっきょく地方からの参加者、サバルタン的当事者は、
一人もご参加いただけなかったのである。
 
NHK全国放送という、
伝播力の強い方法を使っても、
こういう結果であった、ということは、
私にしこたま考えさせたものである。
 
「札幌母娘餓死事件のような悲劇の再発をふせぐために
サバルタン的当事者を当事者会のネットワークにつなげる、
という発想は
いったん仕切り直したほうがよいのではないか」
 
では、どうしたらいいか、と考えるときに、
真っ先に出てくるのが「アウトリーチ」(*5)である。
 
*5.アウトリーチ Outreach
支援を必要としている(と思われる)当事者のもとへ
支援者が直接出向くこと。
わかりやすいのが「往診」。
 
だが、やたらとアウトリーチすればよいものではない。
 
いわゆる暴力的支援団体(*6)も、
いっしゅのアウトリーチである。
 
 
*6.暴力的支援団体
ひきこもりの親などから報酬を払い受け、
ひきこもり当事者の部屋に突入し、
「更生施設」と称する場所へ拉致・監禁することで
「ひきこもり支援」を名乗っている団体。
 
 
「そんな支援を受けるくらいなら死を選ぶ」(*7)
 
という瀬戸さんのようなひきこもり当事者も
たくさんいることだろう。
 
 
 
 
「来ないでほしい」
アウトリーチしないでほしい」
という当事者の意思があることを忘れてはならない。
 
考えてみれば、
いたましい悲劇として報じられている札幌母娘餓死事件も、
本人たちにとって、どれだけ悲劇であったかは、
他者である私たちには、究極的にはわからない。
 
札幌の母娘が餓死した部屋には、
まだ9万円が残っていたという。
けっしてお金がなくて餓死したわけではないのだ。
 
この「9万円」が意味するものは、
いったい何であろうか。
 
自らひきこもることによって、
死を選択する者もいる。(*8)
 
*8. がん診断後も治療を拒否、
引きこもり続けた40代長男の最期
by 池上正樹 ダイヤモンドオンライン 2017.08.10
 
このようなひきこもりにとっては、
たとえ生命が延びようとも、
人と会う方が苦しいのである。
 
となると、これは、
「延命拒否」や「尊厳死」の問題と
地続きではないだろうか。
 
札幌の母娘は、亡くなってしまった以上、
私たちは彼女たちが
「どのくらい生き延びたかったのか」
を知ることはできない。
 
彼女たちの意思を無視して、
アウトリーチ型の支援をしてよいものかどうか。
 
ここに、
 
当事者の主体の尊重
 
 
介入アウトリーチなど)の妥当性
 
の相克・葛藤という問題がある。

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この点を、たとえば行政はどう考えるか。
 
「公平性の原則」から、
保健所などの行政は、
すべてのケースに平等に、同様に対応しようとするだろう。
 
しかし、当事者の心の内は各人異なっており、
方法論を公平にルール化するのは
容易なことではない。 
 
最終的には、支援の最前線に立つ人の「意識」によって、
その場その場で決められていくものなのだろう。
 
となると、当事者の立場をとる私からすれば、
やはり支援者の「意識」を変えることを
目指していくしかないのである。
 
 
 
 
 
 
 
最後に、「サバルタン」という語の由来について
少し付け加えさせていただく。
 
これは、深入りすると、とてつもなく深くなるので、
話がそれないように、最後に持ってきた。
 
泥沼にはまらないように、さっくりとだけ触れておこう。
 
サバルタン(subalturn)」という語は、
オリエンタリズム(Orientalism)」とならんで、
学術がかった用語であるために、
一般社会ではあまり使われていないのである。
 
起源をさかのぼると、
南インドの底辺の階層の人々のことだったようである。
 
19世紀、インドはイギリスによって植民地にされ、
支配されることになった。
 
すると、そこに住む人々が
社会とかかわり、何かを主張しようとすると、
まず支配者の言葉であるイギリス英語を
習得しなければならなくなった。
 
しかし、学校へも行けないような、ほんとうの下層民は、
英語も習得する機会がない。
 
したがって、どんなに虐げられていても、
権利を主張する言語も持っていないである。
 
こういう人たちが
と呼ばれるようになった。(*9)
 
*9.じっさいは当時からそう呼ばれていたのでなく
イタリアのマルクス経済学者グラムシが、
検閲を恐れて「プロレタリアート」のことを
サバルタン」と暗号で書き換えたため、
それが名詞として一般化したらしい。
サバルタン(subalturn)」とはもともと
軍隊の階級の名前であり「中尉」に相当する。
 
 
こうしてサバルタンたちは
インドの社会構造から疎外され、
そのため、権利は主張できず、
社会保障なども届かない下層民として
存在しつづけることになった。
 
そういう人々のことを、
私が札幌母娘餓死事件のときに想い出した、
という次第である。
 
 
 
 
 
 
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    サバルタン」…

    厳密には意味は違うかもしれませんが、私のブログで常々テーマにしていた「公認されない社会的弱者」ですね…

    アウトリーチ」のくだりで考えたのですが、私はアウトリーチなりの支援者が、「当事者にとって心を開ける存在か否か」が重要かもしれません。
    以前綴った「私にとっての『大佐』」のような… 削除

    豚猫大好きぶーにゃん ]

     

    2018/9/27(木) 午後 4:46

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  •   

    豚猫大好きぶーにゃんさま 2件のコメントをどうもありがとうございます。

    私のいう「サバルタン」が、「公認されない社会的弱者」であるかどうかは、一考を要するところです。

    あなたのいう「公認されない」が、どういう意味で「公認されない」かによる、というわけです。

    たとえば、札幌の事件の母娘は、もしあのような結末を迎える前に問題が表に出ていたら、彼女たちの当事者性は明らかに「公認されていた」ことでしょう。

    「見かけ上はなんら不自由もないのに社会的弱者」という意味で「公認されない社会的弱者」とおっしゃっているならば、それは私がいう「サバルタン」とは少しに意味がちがいます。削除

    チームぼそっと

     

    2018/9/28(金) 午前 9:52

     
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