VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

スパゲッティの惨劇(66)スパゲッティの惨劇と「責任」

スパゲッティの惨劇(65)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
このシリーズ名にもなっている
 
スパゲッティの惨劇
 
とは、私の原家族のなかで、
繰り返し起こっていた一つのパターンに、
私があとから名前をつけたものである。
 
どのような内容かについては、
 
 
をご参照いただきたい。
 
 
 
じっさいには、
「スパゲッティ」が「焼きそば」に、
あるいは「チャーハン」に、
あるいは、食べ物ですらなくて、
「家族旅行」などの行事に入れ替わったこともあるが、
とにかく「スパゲッティ」に代表される一つのことをめぐって、
母・父・私のあいだで、
いつも同じような展開をたどるやりとりが起こった。
 
あの展開、
あの成り行き、
あのシナリオ、
あのパターン。……
 
それが、いつも手を変え品を変え起こっていたのが、
私の原家族の家庭風景であった。
 
子ども時代の「家の中」を回想するとき、
まるで金太郎飴のように、
いつも、この家庭風景の断面図が出てくる。
 
おそらく、どこの家族も
その内容こそ異なれ、
 
そして、いつもこうなった
 
というシナリオがあるのではないか、と想像する。
 
私の原家族、池井多家の場合は
それが「スパゲッティの惨劇」であったというわけである。
 
 
 
 
 
 
今回は、それをただ叙述するのではなく、
「責任」
という概念から考察したいと思う。
 
というのは、並行して進んでいる
海外ひきこもりだった私」(*2)
というシリーズが、
いよいよ私の精神構造をあばきだすために、
そのくだりに差し掛かってきたからである。
 
 
 海外ひきこもりだった私」の方では、
そろそろ鈴澤先生という
私の人生における重要人物が登場してきた。
 
ひと言でいうと、
私が父親像を投影した人である。
 
おそらく私の人生の中で、
原家族以外ではもっとも重要な人物である彼のことは、
この「責任」という言葉なくしては語れないのである。
 
ところが、私にとっての責任は
まず土台に、
母との関係が描かれていなければならない。
 
責任とは、大伽藍である。
スパゲッティの惨劇は、その礎石である。
 
昨今では「中動態」などということが新しく流行してきて、
そこでも「責任」という概念とからみあっている模様である。
 
フロイトは、「イルマの注射の夢」を分析したときに、
自らの「責任」にめざめて
精神分析の方法論を思いついたという。
 
なんとも厄介な、そして
まるで鈍色(にぶいろ)の鋼(はがね)のように冷たい、
この「責任」という概念は、
私の幼少期にどのようにかかわっていたのだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
「責任」という概念は、
幼いころ私を虐げるものであった。
 
母は、何かにつけて私に
「責任を取りなさい」
といった。
 
たとえば、私が「スパゲッティの惨劇」と呼ぶ
原家族のなかに繰り返し起こっていた展開は、
私が、母におどされて、ついつい
 
「スパゲッティが食べたい」
 
と言ってしまった「責任」を
とことん母が私に追及していくエピソードである。
 
どんなに殴られてもひっぱたかれても、
はたまた「お母さん、死んでやるからね」と脅迫されても、
私は頑として、
 
「スパゲッティが食べたい」
 
などと言わなければよかったのだ。
 
たとえ母に殺されても、
 
「スパゲッティが食べたい」
 
などと心にもないことを言わなければよかったのだ。
 
そうすれば、母の罪は
私という幼児を殺したというかたちで社会へ可視化されて、
後年になって、
私が言葉によって手ごたえのあるものにすべく、
これだけ苦労しなくても済んだのだ!
 
 
 
 
 
 
 
 
幼い私は肥満児で、
いつも食べ物だけはふんだんに与えられていた。
 
そのことが、私は幼心に
悔しくてたまらなかった。
 
思春期になると私は、
母が私に持たせた弁当を食べない、
というかたちで
その悔しさを表象するようになった。
 
中学校の昼食の時間、
私は、母が私のために作った弁当の中身を
自分が食べないで、
旺盛な食欲を見せるクラスメイトに
軽蔑とともにドサッとくれてやるのであった。
 
豚のように分別なく私の弁当に喰らいつくクラスメイトを見て、
私は何者かへ「ざまあみろ」と思い、
その情景からわずかばかりの自己尊厳を得ている気分になっていた。
 
思春期の私は、
痩せてもおらず、肥えてもいなかったが、
りっぱに摂食障害であったといえる。
 
しかし、幼少期の私には
そのように与えられた食物を調整する力がない。
 
「スパゲッティが食べたいです!」
 
と泣きながら、歯を喰いしばって言っていた幼い私は、
まるきりスパゲッティなど食べたいとは思っていなかった。
 
母が、作りたかっただけである。
 
しかし、母は
「自分の欲望の実現としてスパゲッティを作る」
ということを望まなかった。
 
あくまでも、
子であり、他者である、私の欲望の実現として
スパゲッティを作るように状況をねじまげた。
 
まるで精神科医、塞翁先生が、
事実関係を治療者の権力をもって強引にねじまげるように、
母は母の権力をもって状況をねじまげた。
 
なぜか。
 
もし、母が自分の欲望の実現として
スパゲッティを作ったならば、
私が食欲をおぼえず、
そのスパゲッティに手をつけなかった場合、
母は自分が「拒絶された」感じがして
惨めだったからだろう、と思う。
 
事前に、自分が惨めになる状態が起こらないように
欲望を、母自身ではなく、子である私のものにしたのだ。
 
すなわち、
母は、自分の欲望の行使に際して、
その責任を取りたくなかったのである。
 
母は、自分の行為について
責任を取りたくなかったのである。
 
だから、私を脅迫し、私の口から、
「スパゲッティが食べたい」
と言わせたのだ。
 
幼い私は、母の脅迫に耐えきれず、
ぜんぜん食べたくもないスパゲッティについて、
ついつい
「スパゲッティが食べたい」
と言ってしまった。
 
母の虐待に屈して
「食べたい」と。
 
その時点から母は、
「食べたい」
といった、私の発言責任を追及し始めるのであった。
 
お前が『食べたい』といったから
スパゲッティを作ってやったのよ。
 
責任を取りなさい!
 
人は、自分のしたことには責任を取るものよ!
 
 
まもなく会社から帰ってきた父が
母から処刑人として任命され、
私は黄色と青色のタイルを敷き詰めた
冷たい台所に土下座をさせられ、
刑吏である父が腰からベルトを抜き、
土下座する私を打った。
 
私にとって「責任を取る」とはすなわち、
このように犯してもいない罪に対して、
毎日のように家庭のなかで処刑されることであった。
 
それほど、母は
「責任」という概念をやかましく言う人だったが、
考えてみると、そういう母自身、
私に対する発言で
何一つ責任を取っていないのだった。
 
母が経営している塾の生徒や、生徒の親に対しては、
母は責任を取っていたのかもしれない。
なぜならば、私に対するのと同じことを
もしも対外的にやっていたならば、
商売として成り立っていくはずがないからである。
 
しかし、家族のなかでは、そうではなかった。
 
私に対しても、弟に対しても、父に対しても、
母はけっして責任を取らない人であった。
 
家族という空間は、
権力者である母にとって、
責任を取らなくてよい無法地帯と化していた。
 
母が、家族のなかでいちばん「稼ぎ」があるから、
責任を取らなくてよいという特権を持ちえたのだろうか。
 
もし、父の給料が、母の塾の収入より多かったら、
無責任の特権は、
父が有したのであろうか。
 
父の性格を考えると、
そうは単純には思えない。
 
やはり、母の人間性と、母の稼ぎが
かけ算になった結果としての無責任だった気がする。
 
母はなにごとも責任を取ることなく、
感情に任せて言葉をぶつけ、
しばらく経つと、すべてはなかったようにふるまう。
 
ぶつけられた方である私には、当然のことながら、
ぶつけられた反応として、怒りが発生する。
 
しかし、母がしたことをなかったことにしている間に、
私は怒りを投げ返す機会を失い、
怒りは日ごと年ごとに私の中にたまっていった。
 
投げ返す機会を失った怒りは、
ほうっておけば、
そのまま霧のように消えてしまう
と思ったら、大間違いである。
 
塞翁先生の
「時がすべてを解決する」
という言葉は嘘である。
 
「時がすべてを解決する」ことはない。
 
発露されない感情も、しっかり残っていて、
本人も気づかないうちに化石化し、
無意識の下に沈殿し、
よけいに始末の悪いものへ変質していくだけである。
 
日ごと年ごとに私の中にたまっていった怒り、
あるいは、
そのまま投げ返す機会を得られなかった怒りは、
やがて私の深部で化石化し、
成年してのち、
23歳で始まるひきこもりの端緒となったうつを引き起こし、
それが適切な治療もされず、
遷延していくことになるのである。
 
 
・・・「スパゲッティの惨劇(67)」へつづく
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