VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(62)東京都M市「甘ったれオジサン」出現に思う

 

しばらく前「やっぱり今日もひきこもる私(59)」において、
あちこちの「ひきこもり親の会」に出没することが
私の新たな趣味のようになってきた、
ということを書かせていただいた。
 
そのうちの一つとして、先日
東京都M市で行われた
ひきこもりの側の考え方を理解するための講座にお邪魔した。

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これは、ひきこもりの親の会というよりは、
一般市民に向けた教養講座のようなものである。
 
しかし、主旨はそんなに離れていない。
 
この日、私は演台に立たなかったが、
ひきこもり当事者による講演も行われた。
 
私は、この会へは取材という目的で参上し、
実際そのときに取材させていただいたものは、
このぼそっとプロジェクトの一部にも役立っている。
 
当事者たちの講演がひととおり終わり、
質疑応答の時間になったときに、
70歳ぐらいのご老人が一人、手を挙げた。
 
最近は、人口の高齢化が進み、
平均寿命も上がってきたので、
彼を「老人」というのは少し早いかもしれない。
 
私が子どものころだったら、
彼は「一人のおじいさんが…」と表現される人だが、
のちに彼は、若い世代のひきこもりたちからごく自然に
 
「甘ったれオジサン」
 
と呼ばれることになる。
 
つまり、近年の若者たちの感覚からすると、
70歳ぐらいの彼はまだ
「おじいさん」でなく「オジサン」なのである。
 
それでは、前半の「甘ったれ」という接頭語は
なぜつけられたかというと、
質問で立ち上がった彼が、
講演していたひきこもり当事者に
 
ひきこもりは、なんだかんだ言って、
 ただ甘ったれているだけじゃないか」
 
と言ったからである。
 
場の空気からして、
これは勇気ある発言であったともいえよう。
 
こういう講座に来る方々は、
もはや6割がた、ひきこもりを理解しているといってよい。
 
はなからひきこもりを敵視するような市民は、
なかなかこの手のイベントに来ることさえしないのである。
 
そういう市民にとって、こういうイベントに来ること自体が、
「敵陣に斬りこむ」
ようなものである。
 
会場の空気を読んで、
ビクビクと自分の言うことを決め、
時には周囲に呑まれて自分の意見さえ変えてしまう
主体のない日本人が多いなかで、
満場の空気に逆らって、
こういう発言をする「甘ったれオジサン」がいることは、
まことに頼もしい。
 
なぜならば、私もそうありたいと願うからである。
 
もちろん、見解や思想は
「甘ったれオジサン」と私はおそらく正反対である。
 
そこで私は、
ぜひこの「甘ったれオジサン」と議論してみたい
と思ったのであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
後半は、「交流」と称して
5つのテーブルに分かれて対話の時間となった。
 
幸か不幸か、この「甘ったれオジサン」と私は、
興味を持ったテーマが同じであった。
すなわち、「ひきこもりの高齢化」である。
 
同じ「ひきこもりの高齢化」のテーブルに
座ることになったのをよいことに、
私は意図的に彼の隣に座った。
 
はじめに、チェックインとして
軽く自己紹介を回すことになった。
 
甘ったれオジサンは言った。
 
四十、五十にもなって、
 まだ働かないでひきこもっている奴の
 顔が見たいもんだ
 
 
次に、私に自己紹介の番が回ってきた。
 
「はい、ここにいますよ。
 私は五十代のひきこもり当事者です。」
 
顔が見たいのなら、とくと見てください、
とまでは言わなかったが、
そんな感じであった。
 
ここで甘ったれオジサンとの間に、
戦端が切って落とされると思ったのだが、
自己紹介がテーブルをぐるりと一周しているあいだに、
甘ったれオジサンは老人でトイレが近いのか、
ふと席を立った。
 
すぐにトイレから戻ってくるだろう、
と思っていたが、
いやに、トイレが長い。
 
いや、老人とはトイレが長いものだ。
あわてることはない。
 
……。
……。
 
しかし、それにしても長いな。
対話の時間が終わってしまうではないか。
 
……。
……。
 
そして、とうとう、おしまいまで
甘ったれオジサンは戻ってこなかったのである。
 
トイレで倒れていた、という話は聞かないから、
どうやら、帰ってしまったらしい。
 
せっかく、
 
「50代のひきこもりを見たい」
 
と言ったから、
 
「隣に座っています」
 
と言ってあげたのに、
なぜ帰ってしまうのか。
 
なんとももったいないことをする老人、
いや、「オジサン」かと思った。
 
 
 
 
 
 
 
 
あとから、その市に住む人たちから聞いたところでは、
その「甘ったれオジサン」は、
その市で開催される、
ひきこもりや発達障害などに関する啓発的な催しには、
必ずといってよいほど出席し、
批判の矢を放つ人だそうである。
 
こうした「甘ったれオジサン」は、
とかくひきこもり当事者たちに嫌われやすい。
 
しかし、私はひきこもり当事者の立場ではあるが、
このような人の批判を封じてはいけない、と思う。
 
批判があるところに、
真の対話の始まりがあるからである。
 
ナアナアになって、同じような価値観だけで、
うすっぺらな共感だけ演じていても、
あまり「実のある対話」とは言いがたい。
 
たとえば、私の主治医である精神科医
塞翁先生がいう「対話」は、対話ではない。
 
なぜならば、すっかり塞翁先生という治療者に転移し、
反論を述べないことが保証されている患者へ
一方的に言葉を流し込んでいるだけだからである。
 
形だけ無難な言葉のやりとりをしたところで、
それは「対話しているというアリバイ」になるかもしれないが、
真の対話にはならない。
 
私のように、塞翁先生の虚妄をあばく患者には、
発言させない、投稿させない、掲載しない、
と、あくまでも対話を避けているのは、
真の対話ではない証拠である。
 
同じようなことが、
このような局面にいえる。
 
私たちひきこもりの状態を
 
「甘ったれ」
 
と人が表現することは十分にありうると思う。
 
しかし、それでは、その逆に
 
「甘ったれない」
 
ことによって、いったいどういう利得があるのかを
とことん彼に聞いてみたいものである。
 
その甘ったれオジサンが
勤労人口として生きてきたのは、
昭和の高度成長時代と、
バブルがはじけてからも、
まだ高度成長の再来が期待されていた時代であっただろう。
 
働けば働くほど、
家の中にはテレビが増え、冷蔵庫が増え、洗濯機が増え、
そうした物質的な豊かさが
あたかも幸福であるかのように感じられた時代である。
 
いまやホームレスですらスマホを持っていて、
通販でどんなものでも注文できるものの、
経済は低成長、人口は減少という
少子高齢化の高度産業社会では、
あらゆる背景と前提が、
その「甘ったれオジサン」が持っている認識とはちがう。
 
人が持っている内的現実がちがうのである。
 
そうしたことを、
一つ一つ語っていくのが、
ほんらいの対話であるだろう。
 
「甘ったれオジサン」、
またどこかでお会いできるとよいのだが。
 
ただ、その市は少し遠くて、
なんといっても甘ったれているひきこもりの私には、
なかなか頻繁には行けないのが正直なところである。
 
 
 
 
  •   

    顔アイコン

    「対話」が楽しみになり「批判」を自在に受け止める人は、やはり懐が広いと言うのだろう。 全ての事実を受け入れて、対応できる能力はそうそう誰しもが持っているもんではない。削除

    goodじいさん ]

     

    2018/11/20(火) 午前 9:03

     返信する
  •   

    goodじいさんさま コメントをどうもありがとうございます。

    対話の目的には、「真実を知りたいから」というものと「自己主張したいから」というものがあると思います。

    後者が優先している人は、対話の中において、なかなか批判を自在に受け止めるようにはならないでしょうね。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/11/20(火) 午前 9:40

     返信する
  •   

    顔アイコン

    だからこそ、ぼそっとさんの様な方が重要性を持つのです。
    「切れ味鋭い刃は、治りも早い」ですかね。(^^) 削除

    goodじいさん ]

     

    2018/11/20(火) 午前 9:48

     返信する
  •   

    顔アイコン

    「甘ったれおじさん」……ある意味勇気ある方だと思います。

    だけど、隣に座ったぼそっとさんの存在により、自分の「甘ったれ理論」が思い込みを根拠にしたもので「空中楼閣であるらしい、ヤバイ!ε≡≡ヘ( ´Д`)ノ」となったのでは?……な〜んて、想像してしまいました。

    だけど、本音を隠して付和雷同する人より、ぶっ飛んでいても自説を展開してくれる人のほうが、私はやりやすいです。
    相違も明らかになるけど、一致点も明らかになるから、人間として信頼できます。 削除

    おかんの世界 ]

     

    2018/11/20(火) 午前 9:50

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  •   

    goodじいさんさま ご再訪ありがとうございます。
    過分なるお言葉まことにいたみいります。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/11/20(火) 午前 11:22

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  •   

    おかんの世界さま コメントをどうもありがとうございます。

    甘ったれオジサンがとうぜん持っていたであろう、その「自説」を展開してもらいたかったのですが、いつのまにか消えてしまい、なんとも残念でありました…。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/11/20(火) 午前 11:23

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  •   

    顔アイコン

    「甘ったれ」、「40代、50代の引きこもりが見てみたい」と言いながら、VOSOTさんとの対決を逃げてしまうその老人ですが、きっと彼の本当の怒りの矛先はひきこもりではないのでしょう。
    想像するに、彼はこれまでの人生で「怒り」に蓋をして生きてきたのでしょう。しかしそれが限界に達している。
    以前読んだ本で、人間には「感情の井戸」があり、喜怒哀楽が常に湧き出ているそうです。しかし、そこに蓋をしてしまう人がいる。するとどんどん溜まり続けます。もの凄い圧力になります。そして蓋の裏にはもっとも比重の軽い「怒」が控えているから、おいそれとは開けられない。でもガス抜きが必要なので、「ひきこもり」といった「正論で叱り飛ばせる」対象を見つけて、少しだけ発散させるのでしょう。しかし、本来の怒りの対象ではないから効果は薄く、すぐに溜まってしまう。その悪循環ではないでしょうか。
    本当は自分の怒りの正体に向き合う必要があります。それは、自分を傷づけた憎い相手であり、怒りをその場で表明できなかった情けない自分であり、自分のガマンを認めてくれなかった周囲への怒りと失望なのでしょう。 削除

    aon*_*85 ]

     

    2018/11/20(火) 午後 11:30

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  •   

    aon*_*85さま コメントをどうもありがとうございます。

    なるほど、それは深いご洞察です。

    「甘ったれオジサン」は、M市のひきこもりや発達障害に関する催事には、だいたい参加されているようですから、とくにそういう分野に関心があるのだと思われますが、だからといって、子どもさんがひきこもっているとか、支援者であるとか、ひきこもりの「関係者」である、とはおっしゃらないそうです。

    この「おっしゃらない」点が、逆に「怪しい」とも考えられますが、なんらかの理由でひきこもりや発達障害を、自身の怒りを向ける対象としたがっていることは確かなようです。

    彼の怒りの本態は何なのか。じっくりお話を聞いてみたいものです。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/11/21(水) 午前 10:03

     

 

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