VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

当事者活動を考える(21)支援と精神医療におけるパターナリズム

 

当事者活動を考える(20)
やっぱり今日もひきこもる私(70)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
前回「当事者活動を考える(20)」でお知らせしたように、
今日は大阪でのシンポジウムに登壇させていただく。

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で詳しく書かせていただいたが、
「支援する vs 支援される」(支援ー被支援)の問題を
私はあまり「人権」という観点から語ることができない。
 
暴力的支援団体によるひきこもり当事者の人権侵害は、
親による子どもへのそれだと考えるからである。
 
いっぽうでは、「支援ー被支援」の問題は、
私が戦っている精神療法(*1)における
「治療ー被治療」と同じ構造をしている。
 
*1.精神療法
薬物療法ではない精神医療を指す。
薬の代わりに言葉を使って
患者を治すものとされている。
 
つまり、「治療者ー患者」関係のことである。
 
したがって、以下でいう「治療」とは、
精神療法における治療のことを指すものとする。
 
これまで言われている支援や治療は、
上から下へ授けるものであった。
パターナリズム(父権主義)ともいう。
 
ミクロなオリエンタリズムといってもよい。
 
支援者(治療者)に主体があるとされ、
当事者(患者)は客体として扱われてきた。

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それは、
上にいる支援者・治療者が、
下にいる当事者・患者よりも
人間的に優れているから
そういう支援・治療が施される、
という前提があった。
 
それは、いいかえれば、
下にいる当事者・患者には、
人間として支援者・治療者よりも足らない、
もしくは劣ったものがある、
という前提でもある。
 
この「足らない部分」をおぎない、
「劣った部分」をなくしてやるのが、
支援・治療とされてきたのだ。
 
しかし実際には、一部の当事者・患者は、
支援者・治療者よりも思考力にすぐれ、知的水準が高い。
 
そういう当事者は、
思考力にすぐれ、知的水準が高いがために
不登校やひきこもりになり、
精神科の患者になった、ともいえる。
 
彼らが、そのへんのボンクラと同じく
なーんも考えなければ、
そのままレールに乗っかって、
学校を卒業し、会社に入り、
なーんも疑問を持たずに社会の一員として暮らしたであろう。
 
社会を構成している人々がみな、
「なーんも考えてない」
という意味ではない。
 
いろいろ考えているのだが、
歯を喰いしばって社会の一員として生きている人は多いだろう。
 
しかし、いっぽうでは
「なーんも考えてない」
まま社会の一員となり、一生を生きていく人もいるはずである。
 
思考力にすぐれ、知的水準が高いがゆえに
当事者・患者になった者は、
支援者・治療者が恩着せがましく、上の立場から、
 
「お前の足らない部分、劣った部分をなんとかしてやる」
 
といった姿勢の支援や治療をしようとしても、
これは当然うまくいくわけがない。
 
パソコンのOSやアプリにたとえれば、
これは、する側がアップグレードのつもりで
ダウングレードを強行しようとしているようなものだからである。
 
Window10のパソコンを
「もっと良くしてやる」
といって、
Windows XPに戻そうとするようなものだからである。
 
ところが、このおかしなことやっている支援・治療において、
主導権は「上」の立場ということになっている
支援者・治療者が握っている。
 
そこで、当事者・患者の声は通らない。
 
そういう声を通すために、
このぼそっとプロジェクトは始まったのであった。
 
ひきポスも、そうである。
 
「あなたがたがアップグレードだと思っているのは、
じつはダウングレードなんですよ」
 
ということを、
支援者・治療者にわからせようと、
近年の当事者発信が始まり、盛んになってきている、
というわけである。
 

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こう考えてくると、
 
「思考力が高いがゆえにひきこもった当事者は、
はたして、そもそも支援など求めているのか?」
 
という原点に立ち返る必要もあるかもしれない。
 
そういう問いを置き去りにして、
やたら「もっと支援を」という声をあげるのは、
支援者・専門家の活躍の場を増やすためには良いかもしれないが、
当事者にとっては、かえって迷惑ということにもなるのである。
 
 
今日のシンポジウムでは、
このような話にどこまで立ち入ることができるだろうか。
 
いずれにしても
「人権」という切り口からでは、入りにくい。
 
 
 
 
 
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    本日のNHKで「目撃!にっぽん 働いて人生を取り戻す~元ニートたちの挑戦~」という番組が放映されていました。
    人手不足に困った地場の建築会社が、元ニートの人たちを雇って教育・訓練して、アルバイトから正社員にさせるというものです。
    会社側の指導者は、「仕事を覚えて、もっと自信を持ってもらおう」と考えているようですが、なかなか彼の思惑通りには行きません。
    この「自信を持ってもらおう」という言葉は、自立支援に際して良く聴かれるものですが、そもそも元ニートの彼らが自信を持てないのは、仕事や収入によるものだったのでしょうか?
    きっとそうではなく、元ニートの彼らが子供の頃から感じた喜怒哀楽をそのまま表現しても、周りの誰もが受け入れてくれず、それが彼らの根本的な自信を奪ったのではないでしょうか。
    その根本の原因にアプローチせず、仕事を覚えさせて経済的自立をさせるだけでは、砂上の楼閣のような「脆い自信」をつけさせるだけのように思いました。 削除

    aon*_*85 ]

     

    2018/12/10(月) 午前 0:27

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  •          

    aon*_*85さま コメントをどうもありがとうございます。

    私はまだ大阪にいて、その番組は見ていませんが、お聴きする限り、おっしゃっているような視点の薄さのようなものを感じました。

    「働いて人生を取り戻す」
    というのも、どこかおかしいように思いました。
    「働いて人生を失う」
    なら、まだわかりますが。 削除

    チームぼそっと

     

    2018/12/10(月) 午前 7:19

 

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