VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(83)本日、NHK Eテレで再放送されます。

 

昨年8月23日にNHK Eテレで放送された
 
ひきこもり新時代 ~わたしたちの文学~
 
が、おかげさまで評価が高かったためか、
本日(2019.2.14)20:00-20:30に
再放送されることになった。
これも、ご視聴いただいた皆様のおかげであると
深く感謝いたします。
 
しかし、わずか半年前の初回放送ではあるものの、
ひきこもり界隈をめぐる空気は、
すでに少しずつ変わってきている感覚もある。
 
昨年8月に初回放送された時点では、
 
「ひきこもり問題というと、
 専門家が語るものでしょ。
 
 なぜ、当事者が語るの?」
 
といった空気が、まだかなり強くあった。
 
だからこそ、NHKもこのような番組構成にしたのだろう。
 
その文脈においては、
 
「当事者」
 
というと、
 
「ひきこもり」
 
のことを指した。
 
ところが、それはほんらい、
「当事者」という語の使い方としては
正しくないのである。
 
「当事者」という語は、いつも必ず
何かの問題概念に所属するかたちで使われるものであって、
その意味では、
「配偶者」
という語と同じ性質がある、とかねがね申し上げている。
 
「配偶者」だけでは抽象的な意味しかなく、
 
「だれだれの配偶者」
 
と使われることで、
はじめて語が語る対象に具体性が出る。
 
それと同じで、
 
「当事者」
 
だけでは、ほんらい抽象的な当事者哲学を語ることしかできず、
話に具体性が出ていく余地があまりないはずなのである。
 
ところが、
 
ひきこもり=当事者
 
といった、誤った語義が広がるようになった。
 
そのため、
 
「家族だって苦しんでいる。
 家族だって当事者だ」
 
といった声がアンチテーゼとして出てきてしまったのである。
 
当たり前である。
 
ひきこもりを持つ家族が、
「ひきこもりを持っている」という問題の当事者であることは
もともと自明ではないか。
 
「家族は当事者ではない」
 
という理由から、
ひきこもり家族の方から
発言の機会をうばうようなことはあってはならない。
 
「家族当事者」
 
などという新語をつくると、
いよいよ「当事者」という語がもつ原義が
わけのわからない森へ迷いこむようになるだろう。
 
「ひきこもりを持つ家族という当事者」
 
でよいのではないか。
 
人は、生きていれば、
なんらかの生きづらさという問題の当事者であるはずだ。
 
裏返せば、当事者でない人間はいない。
生きているかぎり、なんらかの問題があるだろうからである。
 
ここ半月のあいだに、私は
沖縄、大阪、神奈川と3カ所を旅する機会を与えられ、
「つなかん」というイベントを通して
ひきこもり問題にかかわるさまざまな立場の方々の
生の声をお聞かせいただいてきた。
 
その6割がたは、家族、親御さんの
「ひきこもりを抱える家族であるという問題の当事者」
としての声だったといってよい。
 
これからは、ひきこもりの親御さんや兄弟姉妹の方の
「当事者」としての声と
接する機会が増えていくような気がする。
 
 
 
 
 
 

 

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