VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

貧困と人づきあい(75)東京のひきこもり、沖縄を歩く<7>沖縄のひきこもり当事者タイキさんとの対話(3)

貧困と人づきあい(74)東京のひきこもり、沖縄を歩く<6>」からのつづき・・・ 

by ぼそっと池井多

なぜひきこもったか

ぼそっと池井多 さっき
「ご両親は遠くに住んでいた」
とおっしゃいましたが、
ご両親とは関係が悪くて別居していたのですか。
 
タイキ いいえ、両親との関係は、
ぼくは比較的良好な方だと思います。
 
お父さんもお母さんも、基本的にぼくに無関心。
ぼくが何をしても、あまり干渉しません。
お母さんは能天気でアッケラカンとしてる。
 
もともとは、ぼくは両親とアパートに暮らしていました。
おばあちゃん家(ち)、つまり父の実家には、
離婚して戻ってきた叔母さんが、
おじいちゃんとおばあちゃんと暮らしていました。
 
でも、ぼくが高校のとき、
叔母さんがまた実家を出ていくことになった。
それで、
 
「それじゃあ、タイキ、お願い。
おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に暮らしてあげて」
 
と親戚一同から頼まれて、
しぶしぶぼくが両親から離れ、
おばあちゃんの家に暮らし始め、
そこから高校へ通うことになったんです。

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米軍基地のフェンス前で
 
ぼそっと池井多 それじゃあ、うつで倒れたときも、
おばあちゃんと暮らしていて、
おばあちゃんの家でうつ病の治療が始まったんですね。
 
タイキ そうです。
それから7年ぐらい、睡眠薬とか向精神薬で治療してました。
ほとんど家から一歩も出ないどころか、
何もしないんだけど、朝が来るのがこわかった。
 
朝が来たら、また一日が始まる。
「ああ、また朝かあ」
と絶望する感じ。
「また、つらい一日が始まるんだ」と。
 
その期間、いわゆるガチなひきこもりになりました。
おばあちゃんの家の中で、
まったく部屋から出てこなくなりました。
 
ぼそっと池井多 おばあちゃんは、
うつで動けないことについて、あなたに何か言いましたか。
 
タイキ おばあちゃんはやさしかったから、
何も言わなかったです。
ご飯つくってくれて、洗濯してくれて。
 
ご飯も、ぼくがひきこもっている部屋の窓の前に置いて、
去っていく。
ぼくが食べたら、器をまた窓の前に置くっていう感じでした。
 
ぼそっと池井多 そういうひきこもりの姿が、
これまでテレビドラマなどに
 
「わがままで身勝手なひきこもりが、
親に部屋まで食事を運ばせている」
 
として描かれてきたんでしょうね。
 
しかし、タイキさんの話でわかるように、
本人には本人のやむをえない事情があるわけですね。
 
ご両親は何もいわなかった?
 
タイキ べつに言わない。
ぼくがそこまで苦しんでいると思ってない。

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ぼそっと池井多 タイキさんが荒れることはありましたか。
 
タイキ はい。
恥ずかしい話なんですけど、
ちょっとおばあさんを軽くはたいたり、つねってみたり、
というようなことをしてしまったことがあります。
 
でも、おばあちゃんはそれでもニコニコして、
「ああ、大丈夫だよー」
って言ってくれていたんです。
 
ぼそっと池井多 そういうおばあちゃんに対しては、
今どう思ってますか。
 
タイキ もう、「ごめんなさい」っていう気持ちですね。
 
ぼそっと池井多 今もおばあちゃんと暮らしているんですか。
 
タイキ いいえ。
お父さんの兄弟間での財産争いにまきこまれて、
7年前、2012年に、
ぼくとおばあちゃんも離れ離れにされました。
 
そして、そのまま二度と会えないまま、
おばあちゃんは亡くなってしまったそうです。
 
ぼそっと池井多 「しまったそうです」
というのは、
タイキさん自身は知らないのですか。
 
タイキ 知りません。
おばあちゃんが死んだ場所もわからないし、
死んだ日付もわからない。
亡くなって3年か4年経ってから、風の便りで知らされた、
って感じ。
 
ぼそっと池井多 かつて一緒に住んでいたおばあちゃんですから、
それではタイキさんとしては寂しいものがあるでしょう。
 
ご両親は今、どうしていらっしゃいますか。
 
タイキ お父さんはいま内地、東京で仕事してます。
お母さんは沖縄にいます。
ときどき法事などのとき、
ぼくの住んでいる部屋へやってきます。
 
ぼそっと池井多 お母さんといっしょに住みたい気持ちは
ありますか。
 
タイキ ありません。
 
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