VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

海外ひきこもりだった私(15)35年前にさかのぼる発言責任

 「海外ひきこもりだった私(14)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多

 

 

それでは、
鈴澤先生はいったいどのように責任をとらえていたか。
 
そのことを物語る、一つの格好なエピソードがある。
 
ときに1980年、
鈴澤先生は3度目の留学・研究でフランスへ向かった。
 
そのときに、当時のフランスでは有名な知識人の一人、
Rにインタビューを申し込んだ。
 
鈴澤先生は、Rが戦時中に書いたらしい、
一つの文章のテキストを携えていた。
 
その文章には署名がなかった。
発表された前後の脈絡や、文体などから、
鈴澤先生は、それはRが書いたものにちがいない
と目していた。
 
しかし、戦後35年経って、
もはや晩年に近いRが著している思想とは、
だいぶ隔たりがあった。
 
そこで鈴澤先生は、
それを確かめにパリへ渡ったのだった。
 
パリ市内にある、Rのアパルトマンに
訪問のアポイントメントを取りつけた。
すると、夕食時に招かれたものらしい。
 
Rは、年齢的にはすでに老境であったが、
何度も離婚して、そのたびに元妻に慰謝料を払い、
さらに若い女性と結婚することを繰り返していた。
 
現代のフェミニストたちが聞いたら、
ただでは置かないようなこうしたことも、
実存主義世代のフランス人の男にとっては
重要な「自由」の一部だったらしい。
 
ボーヴォワールがどう考えていたのか、
私は知らない。
 
ともかくRは、
自宅で若い新妻に産ませた子どもをあやしながら、
鈴澤先生を迎えていた。
 
夕餐の時間が済んで、
鈴澤先生はくだんのテキストを取り出し、
 
「これは、あなたが書かれたものですか」
 
とRに問うた。
 
質問を聞くや否や、
Rは、そのテキストを見ようともしないで、
 
「ああ、そんな昔のことは忘れた」
 
と言ったのだという。
 
 
 
 
 
 
 
今回のエピソードとは、たったそれだけのことである。
 
しかし、ここからいろいろなことがわかるのだ。
 
まず、Rの立場もよくわかる。
 
赤ん坊をあやしている最中に、
なにやら日本からやってきた知らない男が、
35年も前に発行された地下雑誌のようなものを取り出し、
 
「これは、あなたが書かれたものですか」
 
などと訊く。
 
「せめて赤ん坊が寝静まってからにしてくれ」
 
といった気持ちだった可能性もある。
 
とにかく、面倒だから、
 
「ああ、そんな昔のことは忘れた」
 
と邪険に鈴澤先生に答えた、
ということも大いにありえる状況である。
 
しかし、鈴澤先生はこの夜の小さなやりとりゆえに、
日本に帰ってきてからも
Rのことを執拗に批判するのであった。
 
本にも書いている。
 
もしRが、老人ゆえに脳が堅くなって、
「記憶力の減退」により、
 
「35年も前の文章は自分が書いたものかどうかわからない」
 
という意味で、あのように答えたのならどうだろう。
 
それでもやはり、鈴澤先生はたしょう叩いたのにちがいない。
 
「人は、過去に自分が書いた文章を忘れるわけがない」
 
「忘れそうになっても、人として、覚えていなければならない」
 
鈴澤先生は、そう言いそうだからである。
 
げんに、鈴澤先生自身は、どんな高齢になっても、
自分が書いた文章かどうか、忘れそうな方ではない。
 
もちろん、認知症などの病気になってしまったら、
それは仕方がないかもしれないが、そういう病気は
「外から来るもの」
と鈴澤先生は表現するだろう。
 
つまり、
「知らんぷりをして誤魔化してやろう」
といったような
「内から来るもの」
ではないのである。
 
ところが、じっさいにRが取った態度について、
鈴澤先生は、もっと深い次元で怒っておられた。
 
Rが取った態度は、
「記憶力の減退」のためですらなかった、
と鈴澤先生は考えているために、
あれほど批判したのである。
 
Rは、いちおう鈴澤先生の提示するテキストを受け取り、
手に取って仔細に眺め、検討した結果、
 
「さあ、もう35年も経っているから、
こんな昔に書いたは、
はたして私が書いたものかどうかわからない」
 
と言ったのではない。
 
見ようともしないで、
 
「ああ、そんな昔に書いたものは忘れた」
 
といったのである。
 
だから、鈴澤先生の逆鱗に触れたのである。
 
げんに、鈴澤先生はRのことを書いた本の中で
 
「見ようともしないで」
 
という箇所に傍点を振っている。
 
「無責任だ。
これでは言語を発することへの責任、
発言責任を取っていないじゃないか」
 
というわけで、怒っておられるのである。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
鈴澤先生からこのエピソードを聞いた20代の私は、戦慄した。
 
そこへ行くと、私なんぞ
たった一年前に書いた自分の文章ですら、
もう恥ずかしくても読み返せないような人間であった。
 
一年前に書いた文章でも、
 
「あ、そんな昔に書いた文章は憶えてない」
 
などと言って、逃げてしまいかねない人間だったのである。
 
文章というかたちに残っていない、
日々の発言に至っては、
さらにその傾向が強かった。
 
あのころの私は、その場その場で相手に合わせ、
まるで一貫性のない、適当なことを言って、
恥も外聞もなく生きていた。
 
そして、ときには調子に乗って、
一貫性のない、適当なことを書き、
文字にして発信していた。
 
では、発した言葉に対しての発言責任はどう考えていたのか。
 
それは、考えないようにしていたのである。
 
そのため、過去に自分が発した言葉は、
すべて「恥」であり、
すべて振り返りたくない、
「なかったことにしたい」代物となった。
 
こうして、私は過去から逃げて逃げて生きていた。
 
ある意味、のちに詳しく述べる予定の
私の「そとこもり」の歳月も
そのように逃げて逃げて生きるプロセスでもあった。
 
私は考えた。
 
もし後世に鈴澤先生のような人が現われて、
過去35年に遡って、
「私」という人間が何を言い、何を書いたかを
詳細に調べ上げ、私のところへ確認に来たとしたら、
どうしよう。
 
私など、たちどころに爆風で吹っ飛んでしまうだろう。
 
その人物に、私はどう対応するだろうか。
 
やはり、Rのように、
その研究者が見せようとするテキストは、
恥ずかしさとおぞましさから一瞥すらせず、
一方では知識人としての矜持も保たなければならないから、
 
「ああ、そんな昔に書いたことは忘れた」
 
などと、いかにも「記憶力の不足」を装って、
確認を拒否するのではなかろうか。
 
すると、未来の鈴澤先生には、
あのようにコテンパンに批判されるのである。
 
ああ、なんと恐ろしいことだろう。
 
鈴澤先生に認められないばかりか、
あれほどコテンパンに叩かれるとは。
 
それではもう今日からぼくは、
ひと言も言葉は発したくない。書きたくない。・・・
 
 
そう考えて、
ひと言も発せられなくなる
「言語的ひきこもり」が何度となく起こった。
 
しかし、私にとって言葉を発することは、
ほうっておけば腹が減って何か食べたくなるのと同じくらい
自然な欲求であったから、
しばらくすると、鈴澤先生のことなどコロリと忘れ、
あちこちで責任の取れないようなことをたくさん言い、
それで恥じることもなく、
いつのまにか、ゴミのような言葉をたくさん書き散らしていた。
 
鈴澤先生のゼミに拾われてからの私の20代は、
そのような繰り返しであった。
 
 

 

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