VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

海外ひきこもりだった私(17)母親への対抗原理を求めて

 「海外ひきこもりだった私(16)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多

 

 

このように若い頃の私は、
母親への対抗原理を求めて、
「父親像」として鈴澤先生に吸着していったふしが
うかがわれる。
 
「対抗原理」などというと、
なにやら小難しく響いてしまうが、
ようするに、勢力を誇る母親に
対抗できるものを持っている人として、
鈴澤先生に期待した、
ということである。
 
 
 
 
 
 
 
たとえば、きわめて卑俗な話で、思い出す例がある。
 
私が大学三年生になってまもなく、
 
「ゼミは、鈴澤先生という人のところに決まった」
 
と、名古屋に住んでいた実家に
電話で告げた時のことであった。
 
母は、鈴澤先生という人が
どんな人で何の専門家であるかもわからないのに、
なにやら、たちまち大騒ぎを始めた。
 
そりゃ大変だわ。
 
ゼミの先生というのは、
就職でもお世話になるし、
結婚だの何だの、
一生面倒を見ていただくことになるのよ。
 
その先生のご機嫌を損ねたら、人生終わりよ。
 
しょうがない、
お母さんがさっそく何かモノを贈っておいてあげるから、
その先生の住所を教えなさい
 
そういう母の言葉からは、
上下の序列や派閥のしがらみで
雁字がらめになっている人間たちが浮かび上がってきた。
 
私はぞっとした。
そういう所へは、入っていきたくなかった。
 
ときに就職活動を始める一年半前のことだが、
おそらく私は無意識でそうした社会的拘束を
すでに心の底から忌み嫌っていたのだろう。
 
もっとも、
 
「鈴澤先生がどんな人だかわかっていない」
 
という点で私が母を責めることはできなかった。
 
あろうことか、
すでにその門下、鈴澤先生のゼミ生となっている私でさえ
自分の主任教授が何を専攻し
どんな人か知らなかったからである。
 
しかし、だからといって、
電話の向こうで母親が大騒ぎを始めたさまを肯定できるか、
といったら、けっしてそんなことはできなかった。
 
「いったい母親は何を言っているんだ。
鈴澤先生がどんな人かも知らないくせに」
 
という違和感がふつふつと
私の中から湧き出てくるのであった。
 
母親が大騒ぎしているように、
何かというとすぐモノを贈る、
という人々も、この社会のある所にはいるのかもしれない。
 
盆暮のつけとどけ、お年賀のごあいさつ。
そんなことばかり、年中やって暮らしている人たちも
きっとこの社会のどこかにいるのだろう。
 
やらせておけばいい。
ばかばかしい。
 
しかし、少なくとも当時の私を取り囲む大学の環境は、
そういうものではなかった。
 
とりわけ鈴澤先生は、
いちおう反体制反権力を掲げていたサルトリアンだったから、
そういう封建的な気遣いといったものとは
無縁であるはずだった。
 
だから私は母に、
 
「鈴澤先生はそういう、
モノ贈ったらどうこう、
っていう人じゃないから。
 
やめてね、そういう恥ずかしいこと」
 
と電話向こうへ言って、切った。
 
ところが、私が言ったことは何も聞いていなかったように、
しばらくすると母から
 
鈴澤先生には、
ちゃんとモノを贈っておいてやったからね。
ありがたいと思いなさいよ
 
という電話がかかってきたのである。
 
……あれほど言ったのに、
母親は自分の思い込みで突っ走って、
ぼくの東京での生活を自分色に染め上げようとしている。
 
いや、母親のことだから、
ぼくが住む東京の生活環境を、
事実はどうあれ、
そういうものにしてしまいたいのかもしれない。
 
そうすることで、一種の需要をつくりだし、
いつものように
「わたしが居なければあなたは生きていけないでしょ」
と自分の有用感と存在価値を押し売りしよう
という魂胆なのだろう。……
 
そう気がついた私は、怒りをおぼえて、電話で言った。
 
「誰が鈴澤先生にモノを贈ってほしいなんて頼んだよ?
 
やめてくれ、って言ったじゃないか。
 
先生はそういう人じゃない、って言ったじゃないか」
 
すると母は開き直って、肚の座った低い声になり、
こう言ってきた。
 
あんた、お母さんがお前のために、
わざわざデパートまで行って、
こちらの貴重な時間を裂いてモノ贈ってあげたのに、
その言い草はいったい何? 
 
それが、何かやってもらった親に向かって言う言葉? 
 
まずは三つ指ついて
ありがとうございました
って言うべきじゃないの?
 
私の怒りは熱して、
もう口から出てこなかった。
 
 
 
 
 
 
 
 
それから何日かして、ゼミのあとに、
私が鈴澤先生の研究室に残り、
後片づけをしている時のことだった。
 
鈴澤先生が私に近寄ってこられて、
 
「池井多君。
 
きみのお父さまからね、
何かお品を贈っていただいたんだけどね、
いただく所以もないので、
贈り返させていただいたんですよ」
 
とおっしゃった。
 
私はすぐに「あのことだ」とピンと来た。
 
母は、いつも背後に隠れてコソコソと画策をする。
モノやワイロを贈る時も、父の名で送るのだ。
そして、何かあったら父に責任を取らせる。
 
しかし、何もまずいことが起こらず、
利益が生じたときには、
それは父ではなく、すべて自分がせしめるのである。
 
ともかく、母親が贈ったモノが鈴澤先生のもとに届き、
 
「こんなモノを贈られるおぼえはない」
 
と鈴澤先生がわざわざ返送したことは明白であった。
 
先生が返送するのも、手間だったろう。
 
私は、学生である自分の立場から
どのように答えてよいかわからなかった。
 
まだ、社会を知らなすぎた。
 
「お手数かけまして」
「不出来な親で申し訳ありません」
 
というのもおかしいと思った。
 
そこで、とりあえず
 
「ああ、それは父ではなくて、母なんです。
 
ゼミの先生には、
このさき就職から何からお世話になるんだから
 
とか申しまして」
 
と言った。
 
すると、鈴澤先生は、
 
「就職を? ぼくが?」
 
と言って、目を大きく見開かれた。
 
これは、鈴澤先生に特有の表情の一つである。
 
驚いているように見せながら、
じつはその後ろに、
拒否と軽蔑をあらわしておられるのであった。
 
「するわけがないでしょう」
 
という根本的な拒否と、
 
「いったいどういう価値観を持っているんだ」
 
という底抜けの軽蔑。
 
この軽蔑を、私はつとに恐れた。
 
鈴澤先生に軽蔑されれば、
私はこの世界に存在できないように感じていた。
 
しかし、考えてみれば、
このとき鈴澤先生が軽蔑していたとすれば、
それは私ではなく、送り主である母であるはずであった。
 
にもかかわらず、軽蔑の対象は、
鈴澤先生の目の前にいる、
この自分へ向けられているように感じていた。
 
もう、身が縮んでいく思いがした。
もう、穴があったら入りたい気分であった。
 
鈴澤先生のゼミに入るきっかけとなった、
「反市民」というテーマの小論文が、
先生のお褒めにあずかってから、
 
「この人なら自分を認めてくれる」
 
という期待が、私の中で病的にふくれあがっていたのである。
 
それは、生まれて初めて
自分がこの世の中に存在できるかもしれない
といった、
まるで春先のフキノトウの芽が雪の下で膨らむような、
何か生命感を賭けた切実な期待であった。
 
だから、自分の口から発する一言一言が
先生に認められるものでなければいけない。
 
逆に先生に認められないような、
軽蔑されるようなことは言ってはならない。
 
そんなことばを一言でも発してしまったら、
その時は即、この世で居場所を失うに等しい。
 
……そんな初心(うぶ)な心持ちだったのである。
 
反抗期らしき反抗期がなかった私は、
このような心境に、
ようやく22歳にして達していたのであった。
 
 
 
 
 
 
 
 
このように身が縮むほど恥じ入る一方では、
母と鈴澤先生の価値観がまったく違うことを確認した私は、
 
「しめた!」
 
とも思った。
 
前々から、それは違うだろう、と漠然と思っていた。
 
しかしこのとき、
モノを贈る贈らないといった卑俗な次元で、
それは表面にあらわれ、
私のような若造にも、
見まごうことのない形で確認されたのである。
 
東京で一人暮らしを始めたことは、
母の支配から逃れるには絶好のチャンスであるはずだった。
 
しかし、母に主体を奪取されていた私は、
空間的に遠くに離れて暮らしても、
精神的には依然として支配されていた。
 
外堀を埋め、
搦め手からしめつけてくるような母の触手をふりほどくのに、
私は自分ひとりの力ではとうてい無理な気がしていた。
 
サポートが欲しい。
 
ほんとうにそれをやるならば、
ただ私が空間的に母から遠ざかるだけでなく、
私にかわって母の価値観に正面から対峙してくれるような存在、
いわばしっかりとした
 
対抗原理(counter principle)
 
を持った人が、私のバックについてくれなければ無理だ
と感じていたのである。
 
そして、その対抗原理の役割を、
私はいつのまにか鈴澤先生に期待していたのだった。
 
身も蓋もなくしてしまえば、
私はほんとうは鈴澤先生にこう言いたかったのだ。
 
「それじゃあ一つ、
先生からうちの母親に言ってやってくださいよ。
 
私は、モノをもらったからって
就職も成績も何も世話はしやしないよ。
 
あんたは独り合点して、
まったく無駄なことをやっているんだよ。
 
あるいは、ほんとうは無駄なことと知りつつ、
わざとやっているのかな。
 
だとしたら、それはなんでだろう。
息子を支配の傘下から逃さないためではないのか。
 
息子が支配の傘下から逃れて、
やがて自我を立て直し、
お前の虐待をあばく日を恐れるがゆえではないのか
 
そう言ってやってください、鈴澤先生! 私の母に!」
 
しかし、そのように鈴澤先生に対して、
父親像を投影し、母親への対抗原理を期待していることは、
まるで手の届かない美女に恋の告白をするようで、
とうてい恥ずかしくてできるものではなかった。
 
ましてや、一緒にゼミで学んでいる他のゼミテンたちに、
私がこのような初心な感情を鈴澤先生に抱いていることは
断じて知られてはならなかったのである。
 
 
 
 

 

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