VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

性虐待と主体(43)近親姦第一審無罪判決が問いかけるもの ~ 「抵抗できない」に悪乗り

性虐待と主体(42)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
本プロジェクトでは、5年前から
親から子への性的強要の虐待、
すなわち近親姦の問題をあつかっている。(*1)
 
 
 
以前から日本語として存在する「近親相姦」と
本ブロジェクトがいっている「近親姦」のちがいは、
おおざっぱにいえば
 
同意がある / ない
 
という点であろう。
 
ヤラセではない、近親姦加害者へのインタビューは、
当時、画期的なものだったと自負していたのだが、
裏で治療者からの圧力もあったのか、
さっぱり注目されることがなかった。
 
阿坐部村という精神医療の共同体で、
近親姦など、女性の性被害の患者だけを治療の対象とし、
同じ構造の心的外傷を負った男性の患者を
これら女性患者たちの治療のコヤシのようにしようとしたために
このぼそっとプロジェクトが始まった、
という一面がある。
 
そのため本プロジェクトは、
治療者やその追従患者たちから
近親姦問題について発言することに
圧力がかけられたのである。
 
 
 
 
 
 
そうこうするうちに、今年3月26日に
名古屋地裁岡崎支部でくだった「近親姦判決」によって
にわかに近親姦の問題が
社会的に注目されるようになってきた。
 
この事件で、被告人である父親を無罪とした判決は、
性暴力の問題に取り組む者、主に女性たちの
全国的な反発を招くことになっている。
 
そして、
「刑法を変えていこう」
「裁判官に教育を」
とするデモに発展したりしている。
 
論点となっているのが、
 
合意があったか
抗拒不能であったか
 
という二点であり、とくに後者の
 
抗拒不能
 
がキーワードになっているように見受けられる。
 
ところが、その「抗拒」という言葉の意味を
多くの人が取り違えたまま、
賛成したり反対したりしているように思われてならない。
 
声を挙げている運動家のなかには、
 
「幼い時から虐待されて育ってくると、
怖くて身体が凍りついてしまって、
そういう虐待父が性交を迫ってきても
肉体的に退けられるものではない」
 
という意味で「抗拒不能」という語を
とらえている者が多いように見受けられる。
 
ところが、くだんの事件の判決を読むと、
次のようなくだりがあるのだ。
 
要旨を、一般読者にわかりやすいように
「被告人」を「父親」に替えるなど
一部を改変して抜粋してみよう。
 
その父親は、その娘の実父としての立場に加えて、
娘に対して行ってきた長年にわたる性的虐待等により、
娘を精神的な支配下に置いていたといえるものの、
その程度についてみると、(中略)
娘が父親に服従・盲従するような、
強い支配従属関係が形成されていたものとは認め難く、
娘は、被告人の性的虐待等による心理的影響を受けつつも、
一定程度自己の意思に基づき日常生活を送っていたことが認められる。
(したがって)抗拒不能の状態にまで至っていたと断定するには、
なお合理的な疑いが残るというべきである。
(*2)
*2.同件の判決書を一部わかりやすく改変・編集したもの
 
すなわち、ほんとうの論点は、
その19歳の娘が長年の親からの虐待により、
父親にノーがいえない関係性が作られていたかいなか、
であって、
平成29年の8月と9月におこなわれた性行為の求めに対して
「抗拒」できたかできなかったかではない、
ということである。
 
ひと言でいえば、
これは、たとえば家族のように、
閉鎖的な空間の中に生じる
権力関係において起こる「抗拒不能」の問題である。
 
判決書の中の表現でいえば
 
強い支配従属関係
 
というものである。
 
したがって、この「抗拒不能」は、
何も起こった事象が「性交」「性的行為」でなくとも、
なんでも起こりうるといえるだろう。
 
また、父―娘という
男性の親ー女性の子という組み合わせでなくとも、
等しく起こりうる。
 
たとえば、私の母親のように
 
「死んでやるからね」
 
という脅迫によって、
女性の親が男性の子どもである私を精神的に支配し、
その権力構造にもとづいて
私にいろいろな不本意なことをやらせたことも、
この「抗拒不能」問題として捉え返す必要がある。
 
なぜならば、私が自分の希望を通そうとすると、
母が自殺してしまうという前提があれば、
私はノーをノーということができない関係性が、
固定して作られていくからである。
 
また、家族以外の閉鎖的空間を考えると、
たとえば精神医療が考えられる。
 
治療者―患者という治療関係を楯にとって、
 
「言うことを聞かないなら治療関係を断ち切る」
 
と患者を脅迫することにより、
患者にかずかずの不本意な選択をさせようとする
塞翁先生のような治療者も、
同じく精神的支配による権力によって
患者は「抗拒不能」の状態にさせている。
 
患者は、
 
「その治療者のおかげで生き存らえている」
 
と洗脳され、信じこまされているので、
 
「治療関係を発ち切られても、他の医療機関へ行けばよい」
 
という選択肢が思い浮かばない。
 
それを見越して、
治療者も患者を思いのままにあやつるのである。
 
 
 
 
 
 
 
簡単にいえば、
申し述べてきたような、これらすべてが
相手が「抵抗できない」立場である関係に
悪乗りしているのである。
 
塞翁先生は12.7会談(*3)のときに、
 
「録音機を止めてください。
 あなた自身の手で」
 
といった。
 
 
 
なぜ私が、私にとって不利なことを
わざわざ私自身の手でやらなければいけないのか。
 
そんなもの、
治療者である塞翁先生の利益のためではないか。
塞翁先生が自分の不利な証拠を残されないためである。
 
それを私が自分の手で止めるわけがないだろう。
あまり患者を甘く見るでない。
 
しかし、阿坐部村の多くの患者は、
そこで自らの手でICレコーダーを止めると思う。
 
なぜならば、
他ならぬ塞翁先生の催眠によって、
または治療者―患者関係という権力構造によって、
抗拒不能になっているからである。
 
 
このようなことを陰でやっている塞翁先生が、
近親姦問題では
いかにも被害者の味方みたいなことを言っているのは、
自らの所業を隠蔽するための
カモフラージュという側面があると思われる。
 
名古屋地裁岡崎支部の判決は、
しょせんまだ第一審である。
 
今後、どのような進展を見せるかが注目される。
 
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