VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

海外ひきこもりだった私(19)2010年代のひきこもりと1970年代の在日朝鮮韓国人

海外ひきこもりだった私(18)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
前回海外ひきこもりだった私(18)で述べたような次第で、
私は自分の生活や交流の中において、
たった一人の在日コリアンも知らないうちに、
在日コリアン支援のための活動をやっている知識人、
鈴澤先生の弟子になった形となった。
 
あとから知ったことだが、
じつは私の友人にも在日の人はいたのである。
私が通っていた中学高校、同じクラスに、
在日の子はいたのだが、
私がそうとは認識していなかったのであった。
 
当時は今よりもはるかに厳しい在日への差別があったためか、
彼らはみんな在日とわからない日本名を名乗っていた。
そのために、私は身近な在日の人の存在を、
まったく知らなかったのである。
 
その状況は、こんにちの「ひきこもり」問題に
重ね合わせることができる。
 
すなわち、ひきこもりが社会から蔑視されている以上は、
ひきこもりは自分がひきこもりであることを隠して
社会と接しようとする。
 
たとえば、近所の「西畑酒店の酒を楽しむ会」において、
私がまるでひきこもりでも無職でもない一般市民のふりをして
土方健次という偽名で参加していることがそうだ。
 
無職やひきこもり、精神科通い、生活保護といった身分が、
ふつうの市民権を得ているなら、
私もそんな小細工を弄しないことだろう。
 
私のかつての学友が、
在日であることを隠して
日本名で学校に来ていたのも、
そうした次第であったのだろう、と推測する。
 
そして、在日もひきこもりも、
「自分の意思でそうなったんだから、自分で責任を取れ」
という論議に結びつく。
 
在日朝鮮韓国人の方々の場合は、
強制連行うんぬんという話があるけれども、
その話の真偽がどうであっても、
「自分の足で船に乗って」来たんだろう、
と突っこまれる話になる。
 
しかし、「自分の足で船に乗って」来ざるをえなかった
外部的な事情というものもまた、あるはずなのである。
 
これは、3月の近親姦裁判(*1)で論議を呼んでいる
「抗拒不能」の問題と通底している。
 
 
 
同じように、ひきこもりも、
いくら「社会にひきこもらされている」といっても、
 
「自分の足で部屋から出ていかない」
 
わけであって、そこに自分の意思がある。
 
だから、自己責任が追及されるわけだが、
そのあたりに関しての私の考えは、
先日書かせていただいたとおりである(*2)。
 
 
 
しかし、部屋から出ていかない、
もしくは、社会的な労働につかない、
という生き方を選ばざるをえなかった
外部的な事情というのもまた、
同じ程度に考えてもらわなくてはならない。
 
そのように、在日コリアンとひきこもりの問題は、
表面上は、かたや政治、かたや政治ではない
と見えるけれども、
じつは多くの共通点をはらんでいる。
 
 
 
 
 
 
 
 
日本名で中学高校に来ていた学友とは、
たまたま進んだ大学が同じであった。
 
それで、私はのちに東京の彼の下宿で、
彼が在日なのだと知ることができたのである。
 
まったく、たまたまのことであった。
政治の話などしていたわけでもない。
 
何かの加減で、私が終電を逃して、
彼の下宿に泊めてもらって、
「いっしょにバンドやろうぜ」
みたいな話になって、
ロックの持つメッセージ性のような話になって、
 
「オレ、在日なんだけどさ…」
 
と、唐突に彼が語り始めたのである。
 
彼が内側から語る在日の人々の生活は、
必ずしも鈴澤先生が著書に書いているような
悲惨極まるものではなかった。
 
しかし、そういうものだろう、と思う。
 
すなわち、外部から支援者が対象者を描写しようとすると、
どうしても一部の悲惨な状況をアピールしないと、
支援している意味が大衆に理解されない、
という思いが、おそらく支援者の中にうごめくのだ。
 
いっぽう、当事者が日々味わっている
当事者ならではのネガティブな体験は、
けっしてそんな支援者の
外からの筆に掬い取れるようなものではなく、
もっと曖昧模糊とした霧のように
毎日の日常に溶けこんでいるのではないか。
 
よく、ひきこもりのテレビ報道で
「ヤラセ」が問題になるけれども、
テレビ局があのようなシーンを入れたがるのは
いわば外部の筆である。
 
私たち当事者が、内側から見ると、
 
「嘘ではないけれど、わざとらしい」
 
と見える。
 
それに対して、私たち当事者は内側から
曖昧模糊として霧のような重みや湿気を
外側へむかって発信していくしかないのだろう、と思う。
 
 
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