VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

貧困と人づきあい(86)東京のひきこもり、岩手を歩く<1>

貧困と人づきあい(85)」からのつづき・・・
by ぼそっと池井多
 
 
今年の3月に、しばらく岩手県に滞在していたことは、
以前、このブログでも報告させていただいた。(*1)
 
 
どうしても東京という大都市でひきこもっていると、
地方のひきこもり事情にうとくなってくる。
 
「ひきこもっているのだから、
大都市だろうが田舎だろうが同じだろう」
 
などと思いきや、決してそうではないのである。
 
ひきこもりをめぐる環境が
さまざまな点において大都市と村落部ではちがう。
 
ところが、私自身がひきこもりで
よほどの用事でもないかぎり外へ出ないし、
ましては首都圏から抜け出して遠くへ行くことがない。
 
さらに、私は生活保護で生きながらえている貧民なので、
どこかから旅費を出していただかないと、
地方へ行けないのである。
 
そこで、3月までやっていた
 
「つながる・かんがえる ひきこもり対話交流会」
 
は、非常にありがたいイベントだった。
 
そのイベントのファシリテーターとして、
1月に沖縄に、3月に岩手にそれぞれおじゃまし、
地方ならではのひきこもりをめぐる
さまざまな事情を学ばせていただくことになった。
 
沖縄については、以前に本ブログでも
シリーズで書かせていただいた。(*2)
 
 
その後、岩手についても何か書きたい、
と思っていたのだが、
あれこれ起こって、
延び延びになってしまっていたのである。

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盛岡市  写真・ぼそっと池井多
 
 
岩手の印象としては、まず
 
「広い」「厳しい」
 
というものであった。
 
「広い」とは、まず県土である。
 
あとから聞いたら、
北海道というダントツの例外をのぞいたら
岩手は県の広さが日本一ということで
「なるほど」と思った。
 
行けども行けども岩手県、だったわけである。
 
「ちょっと出かけてくるから」
 
といって片道2時間クルマに乗っていく、
というのが日常の風景だったりする。
 
そういう環境では、
まず当然ながらクルマに乗れない人は動けない。
 
東京のひきこもりが、
 
「ああ、居場所に行きたいけど、
電車に乗って、準急で3駅か。
ちょっと遠いなあ。
タルいからやめておこうか」
 
などと言っているあいだに、
岩手のひきこもりは、
なんとかクルマの足を確保して、
1時間も2時間もかけて居場所へ出かけていく。
 
これは、私が無知なだけで、
他の地方でもきっと、みんなそうなのだろう。
 

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盛岡城址:石川啄木は高等学校を抜け出して、
ここに寝そべり、いろいろな本を
読みふけっていたと伝えられる。
当時は手前の建物もなく、
もっと景色も良かっただろう。
 
 
つぎに「厳しい」というのは、人々の気風である。
 
以前、東日本大震災の被災地支援として
3年間ほど宮城県の漁村にお邪魔していたことがあったが、
あのときと同じ「東北人気質」というか、
何事にも厳格である人々の気風を感じたものだ。
 
その厳格さが、ひきこもりを非難する方向にだけ
発揮されているわけではない。
 
ひきこもりを受容してくれる人々も、
東京の私たちよりもどこか「まじめに」
受容してくれている印象があった。
 
そのまじめさは、ときに温かさとなって伝わってくる。
 

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私が担当した対話交流会のテーブル。
「なぜ親子は対話できないのか」
 
盛岡での対話交流会を終え、
翌日、私は沿岸部の釜石市に向かった。
そこに住む一人の女性写真家に再会するためであった。
 
彼女は、SNSのプロフィール写真として
いまも私が愛用している一枚のポートレート
かつて撮ってくれた人である。
 
 

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この写真を見せられたとき、私はたじろいだ。
 
そのときの私の心境を、
誰にも語っていなかったにもかかわらず、
写真がかくも雄弁に語っていたからである。
 
彼女、すなわち
土橋詩歩(どばし・しほ)さんが撮る人物写真には、
そういう作風がある。
 
どれも写真として活き活きしている。
 
だが、何もそこに写された人物の表情が
活き活きしているのではない。
 
上の私のポートレートがそうであるように、
撮影者が被写体の心の中にすうっと入りこみ、
心の内側から写し出すような作品であり、
その結果としての写真が活き活きするのである。
 

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土橋詩歩さん
 
彼女も、ひきこもりであった。
 
彼女の写真における感性も、
やはりひきこもりになる人によくありがちな鋭敏さが
才能として開花したものだと思う。
 
釜石では、限られた時間のなかで
とても効率よく彼女に町を案内してもらい、
ひきこもり、東日本大震災を経た彼女自身の人生を
語ってもらうことができた。
 
そのインタビューは、ちかぢか公開する予定である。
 
 
 ・・・「貧困と人づきあい(87)」へつづく
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