VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

貧困と人づきあい(87)東京のひきこもり、岩手を歩く<2>

貧困と人づきあい(86)」からのつづき・・・ 

by ぼそっと池井多

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東日本大震災の前に自宅の茶の間があった場所で
写真 Miyano Shohei

 土橋詩歩 2010年の夏にうつになってしまいました。

 
積み重なっていったものが、身体に出たのでした。
心も体も一切が動かなくなってしまったことで、
初めて心身が悲鳴を上げていたのだ
ということに気づきました。
それで3、4か月の間、ひきこもり状態になりました。
 
うつが良くなってきて、次の仕事を探し始め、
新しい就職先であるNPO法人のために履歴書を書きました。
もう、あとは投函するばかりにして、
家に置いたままコンビニへ買い物に出てきました。
ところが、その履歴書はもう二度と見ることはありませんでした。
 
ぼそっと池井多 というと?
 
土橋詩歩 自宅近くのコンビニの駐車場で車を停めていたら、
あの地震が発生したのです。
 

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新しい堤防の外側には、津波で破られた古い堤防があった。

写真:ぼそっと池井多

 

津波襲来

土橋詩歩 私は、揺れを感じ、
ふだん逃げないと言っていた父や母や祖母を迎えにいき、
飼っていた犬をつれて、
鵜住居地域の内陸部へ逃げました。
間一髪のところでした。
 
翌々日、3月13日までその周辺で暮らしていました。
 
やがて、山間部にある旧道が通れるようになったので、
釜石市の西部の内陸にある母の実家へ行くことになりました。
 
ニュースを含め、停電状態が続いていたため、
情報が何も入ってこない状況でした。
そのため、地震が再来した場合、
実家が倒壊するんじゃないか、
という心配があったので、
母の実家へ向かうことにしたのです。
 
避難所で長期間暮らすこともなく、
母の実家に身を寄せて、
祖父母や叔母や叔父やいとこたちと
一軒家の下で大人数で暮らしました。 
 

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8年目の3.11、町長以下30名の職員が犠牲になった旧・大槌町役場後の地蔵に参詣する土橋さん。
彼女が住んでいた鵜住居地区のすぐ北側にあたる。

写真・ぼそっと池井多



震災とうつの不思議な関係

ぼそっと池井多 震災がきっかけでうつがぶり返したとか、
そういう体験はありますか。
 
土橋詩歩 ないです。
 
私はむしろ、震災があったことによって
うつ特有の「いなくなりたい」という気持ちがおさまり、
「生きなくてはならない」
という気持ちが強くなりました。
 
これは本能なんですかね...
 
ぼそっと池井多 「むしろ元気になった」
というと語弊があるけれども、
震災があって元気になった?
 
土橋詩歩 そうなんです。
「語弊があるけれども元気になった」
という言い方が的を射ているかな、と。
 
自分で火を起こさなないと煮炊きができず
生き延びられないとか、
「今のことを何か書き残しておかなくてはいけない」
と絶えず思うとか、とにかく
「懸命に生きないといけない」
という状況になったことで、
私は元気にならざるをえませんでした。
 
これは不思議なことです。
 
震災前に新しい職場へ履歴書を書いていたころ、
私の生きる気力はものすごく低かったんですよ。
危機的な状況に陥り、
生命のエネルギーみたいなものが上がったように思います。
 
 
 
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