VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(146)人生の失敗を親のせいにしている?

 

前々回「やっぱり今日もひきこもる私(144)宣伝させていただいたように、
先週土曜日に第4回「ひきこもり親子公開対論」を
開催させていただいた。
 
今回はまず
高校生の不登校・ひきこもりを持つお母さんがご登壇。
 
母親の立場から、
自らの思いや
ひきこもり当事者たちへの疑問を語っていただいた。
 
次に、ひきこもっていた息子の立場からのご登壇。

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そして、最後にいつものように
客席まじえて全体対論となった。
 
どうしても一番手がお母さまで、
二番手も母親との関係を中心に語り、
なおかつ進行役の私が
母親との問題を持っている立場から発言させていただくために、
全体としては
 
息子 関係
 
にスポットライトが当たった対論となった。
 
私は、これはたいへん好ましいことだと思っている。
 
なぜかというと、
これまでひきこもり界隈で「母子関係」が論じられるときは、
 
 関係
 
が主流になっており、
精神科医のなかには
 
「母-息子関係では、このような問題が生じません」
 
などと蒙昧なことを言っている「専門家」もいるからである。
 
ちなみに、その蒙昧なことを言っている「専門家」とは、
私がその搾取的精神医療を問題としている
港区麻布十番齊藤學(さいとう・さとる)ではない。
 
齊藤學が言っているのであれば、
 
「ああ、あれは自分がいだく妄想に埋没していて、
 人間が見えていないから、
 蒙昧なことを言うのは当たり前だ」
 
で済むかもしれない。
 
しかし、それ以外の精神科医
やはりそんなことを言っているとなると、
これは事の重大さを増してくる。
 
どれだけ日本の精神医療の専門家たちのあいだで、
ひきこもりの親子関係に関する認識が遅れているか、
という実態が浮き彫りになるのである。
 
 
 
 
 
 
さて、なぜひきこもりを生じる家庭において
 
「母ー息子問題」
 
にあまり焦点が当てられないかというと、
専門家の見識が不足しているということのほかに
 
「当事者が語らない」
 
ということがある。
 
この二つの要因は再帰的である。
 
すなわち、当事者である「息子」が、
 
「自分は母親に虐待されました」
「自分は母親との関係に問題があります」
 
と語らないから、
世間ではそういう問題はないことになっているのである。
 
しかし、なぜ「息子」たちはそう語らないか。
それは、「語れない」社会的環境があるから、
という側面が大きい。
 
私の主治医だった齊藤學のように、
患者である私が必死で訴えているのに、
自分の理論に合わないからという理由で
その証言を黙殺するような「専門家」は言語道断であるが、
多くの他の専門家の場合は、
おそらくクライエントである「息子」が主治医に語らないのではないか。
 
社会的に、
 
「男は母親に関してそんなことを言ってはいけない
 
という空気があるため、
それを無意識に取り込んで語らないのである。
 
だから、「ほんとうの問題」に
なかなかたどりつかないで、
ひきこもりも長期化する。
 
だが、ここに至って、
男性がそういうことを語れない環境を作ってしまっている、
というところに、
「専門家」の罪は問われるのではないだろうか。
 
 
 
 
 
 
 
さて、そのように
社会一般の流れとは打って変わって、
 
息子 関係
 
について多くのことが存分に語られた
第4回「ひきこもり親子公開対論」であったが、
そこでお母さんとして登壇された方より、
当事者に向けて一つ強烈な質問が発せられた。
 
いうなれば、無邪気な質問である。
しかし、無邪気であるがゆえに、
質問というものはしばしば刃のような鋭さを帯びる。
 
こういう質問であった。
 
 
ご自分の人生の失敗を、
 親のせいにしているだけではないのですか
 
 
この質問は、
ひきこもりにまつわる問題の、ある種のツボを突いており、
ひきこもり当事者として思わず
「ぐぅの音も出ない」
という状況になってしまいそうである。
 
しかし、私は一人のひきこもり当事者として
自分の場合をお答えさせていただいた。
 
お答えしたときは、口頭の話し言葉なので、
あまり整った言葉になっていなかったが、
いま書き言葉でそれを再生し、
説明が及ばなかった部分を補ってみると、
私が申し上げたのはこういうことである。
 
そもそも私は、
自分の人生が失敗だとは思っていないのです。
 
親に虐待され、
たどりついた治療者にも迫害されるなど
数々の逆境に打ちのめされてきましたが、
それでもめげず、死なずに、
ここまで自分に合った自分だけの人生を
満身創痍で切り拓いてまいりました。
 
そのことは、
けっして社会的には
成功と言われる人生ではないかもしれませんが、
個人的には一つの成功、
……いや、そういうのがおこがましければ、
一つの到達であり、達成であります。
 
 
……。
……。
 
たとえば、こんな話があります。
 
大学の同級生で、腐れ縁だったために、
いつも私が代わりにレポートを書いて、
単位を取らせてやっていた男がおりました。
 
頭が足りないため、
大学のテストをまともにこなせない。
しかし、「順応力」「適応力」だけはあるやつでした。
 
どんな場にほうりこまれても、
たちまちその場の人間関係を読み取り、
自分を棄て、
求められる役割にすっぽりとあてはまり、
それでいささかも疑問に思わない男でした。
 
彼はいま、世界的なメーカー、ト〇タの重役です。
 
インターネットで写真を見ると、
いかにも偉い人として写っています。
 
スケジュールを見ると、
世界中飛び回っているようです。
 
きっと自由になる金も、ふんだんにあることでしょう。
 
私と同じように、彼もだいぶエロい男でしたから、
各国で美女をたくさん寄り添わせているのにちがいありません。
 
しかし、どういうわけだか、
私は彼の人生がまったくうらやましいと思わないのです。
 
これを私がいうと、
単なる『負け惜しみ』に聞こえてしまうかもしれませんが、
本心から私はうらやましいと思えないのです。
 
なぜならば、もし私が彼になりかわったとしたら、
どんな経済的に恵まれていても、
どんな地理的な移動距離が長くても、
どんな美女たちに囲まれていても、
「私」を生きることのできない人生なんて
まっぴらごめんだ、と思い、
たちまち窒息感をおぼえるであろうからです。
 
彼の場合は、彼の成育歴から、
自分を棄てることに違和感がないのでしょう。
自分を持つ必要すらないのかもしれない。
 
しかし、私の場合、
ああいう両親から生まれてきてしまった以上、
私が彼のように生きることは
不幸以外のなにものでもありません。
 
黄金でつくられた牢獄につながれ、
無期懲役を務めているのと同じです。
 
そのように、私が彼の人生を生きられないように、
彼もまた私の人生を生きられないでしょう。
 
世界企業の重役という社会的ポジションで
自分の幸福や人生を成立させている彼は、
生活保護、精神科通い、ひきこもりとして
侮蔑される底辺から社会に対してモノを言う、
という私の人生を生きられないと思います。
 
私の人生は、
私だけが成しえた到達です。
私だけが獲得した幸福です。
 
だから、私は『人生を失敗した』とは思わないのです。
 
ゆえに、『人生の失敗を親のせいにしている』わけではありません。
 
……。
……。
 
 
当事者は、他の当事者を代弁できない。
 
私は、私の事例しか語れない。
 
他のひきこもり当事者たちには
彼女の問いに対して、
きっとそれぞれに答えがあることだろう。
 
一方では、きっとそれぞれに
「現時点が到達」
といえることがあるのではないか、と思う。
 
もちろん、周囲がそれを否定すると、
せっかくの到達が到達でないように見えてしまい、
ふたたび不安と焦慮にかられて、
 
「自分の人生は失敗だ」
 
などと迷うこともあるかもしれないが、
否定的な周囲に耳をかさず、
自分だけに向き合うならば、
だれしも人生は失敗ではないのではないだろうか。
 
たとえそれがひきこもりでも、生活保護でも、
人はだれしも、
最善の選択をかさねた結果を今、生きているのではないか。
 
質問してくださったお母さんは、
私からみれば、まだ若いし、
どこまで私がいうことを理解してくださったかわからない。
 
ましてや、ひきこもっている息子さんとなると、
まだ高校生だから、
不安ばかりが大きくて、
とても今の私のようには考えないかもしれない。
 
私も若い頃は、
周囲が私の選択を認めてくれないと、
たちまち自分の人生が失敗のように感じていたものである。
 
 
彼女が発した
 
「自分の人生の失敗を、
 親のせいにしているだけではないのですか」
 
という問いは、
 
「いや、自分の場合、
 ひきこもりになった理由に親は関係ない。
 自分は、社会にひきこもらされたのだ」
 
と答えたところで、
何も本質的にかわすことはできない、
という恐ろしい側面を持っている。
 
なぜならば、
もしそう回答するならば、
 
「それでは、あなたの場合は、
 自分の人生の失敗を、
 社会のせいにしているだけではないのですか」
 
とかたちを変えて
無限に迫ってくるであろうからである。
 
 
 
 
 
 
 
  •       

    ナイス!ナイス!ナイス!

    この稿は、私がひきこもりを通して感じ考えていることを言い尽くして下さいました。

    私は娘の不登校が起点になり、多くのひきこもりの方々と出会わせていただいてきましたが、それは、その方々に、そういうこと(青い字のぼそっとさんの言葉の部分)を感じ、またそれが私が探し、求めてきたことだったからです。

    『けっして社会的には成功と言われる人生ではないかもしれないが、個人的には一つの成功、・・・いや、そういうのがおこがましければ、一つの到達であり、達成であります。』

    後段で『人は誰しも、最善の選択を重ねた結果を今、生きているのではないか。』と述べられていますが、上記のように言えるのは、『・・・ここまで自分に合った自分だけの人生を満身創痍で切り開いてきた結果』だったからだと私は思います。

    そして、それはひきこもりではないけれど、私なりにくぐり抜けなくてはならなかった困難な人生にも光りを投げかけてくれ、私の人生もそのようでありたいと思わせてくれます。

    そういう意味では、ぼそっとさんの到達点は、単にぼそっとさん個人のものに留まらないと思う次第です 削除

    rum*com*001 ]

     

    2019/8/28(水) 午後 4:52

     返信する
  •       

    rum*com*001さま コメントをどうもありがとうございます。

    いつもながら、たいへん深い読み取り方をしてくださり、感謝に堪えません。

    まさにお書きになっている所に肝(きも)があり、筆者よりも深く文章を読解されておられます。

    そして、最も大事なことは、おっしゃるとおり、私の到達は、私独りに留まるものではなく、誰においてもそれぞれの人生において同様の到達がおありになるだろう、ということですね。削除

    チームぼそっと

     

    2019/8/28(水) 午後 7:16

     返信する
  •       

    顔アイコン

    今回、第4回「ひきこもり親子公開対論」に登壇させていただいた40代の母親です。池井多さん、また当日会場でお話させていただいた皆様、その節はありがとうございました。

    ひきこもっている息子本人には直接聞けないことを代わりにお答えいただき、時には痛いところを突かれヒヤッとしましたが、親としてこれから息子にどう接してゆけば良いかのヒントもたくさん得ることができました。

    「ご自分の人生の失敗を、親のせいにしているだけではないのですか」

    と、当日は言ってしまったかもしれませんが、事前に準備して行った手元のメモには

    「自分の生きづらさを全て親のせいにしてはいませんか?」と書いてあったのです。

    本当はそう質問するつもりでしたが、緊張して違った表現になってしまいました。 削除

    saa***** ]

     

    2019/8/29(木) 午前 2:00

     返信する
  •       

    顔アイコン

    池井多さんがこちらの記事で書かれている青い文字の部分、理解できます。
    私は、池井多さんや他のひきこもり当事者の方の人生が失敗だとは、今は思っていません。
    ただ息子が完全にひきこもる前までは、ひきこもりを脱することがゴールで、それが目指すべき到達点だと思っていましたので、今のように考えることが出来ませんでした。
    ここ半年くらいの間に状況も変化し、少しづつ自分の中でも考え方が変わってきたのを実感しています。

    息子本人は不安と焦慮にかられ、「自分の人生はもう終わっている。絶望しか感じない。」と言っているので、今の状態を「最善な選択を重ねた結果」だとは思えていないのかもしれません。
    まだ若いので仕方のないことですが、いつしか「自分の人生は失敗ではない」と思える日が来ると良いのですが。 削除

    saa***** ]

     

    2019/8/29(木) 午前 2:05

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  •       

    顔アイコン

    不登校・ひきこもりの子を持つ親として、「自分の子育ては失敗だったのか?」を自分自身に問うことがあります。私たち親も、あらゆるシーンで悩み考え抜いて、常にそれが子供にとって最善だと信じて選択してきました。ただ残念なことに、最善の選択が最良の結果をもたらさないこともあると痛感しています。また、親だからと言って完璧な選択ができるわけでもなく、時には間違った選択をしてしまうことがあるというとことを、子にも知って欲しいのです。子ども自身が生きづらさを感じており、それを親のせいだと思っている以上、今の状態が「最善な選択を重ねた結果」だから「失敗ではない」と言い切ることが出来ないのです。

    この記事を拝見して、そんな風に思ってしまいました。
    (コメント3連投、失礼いたしました。) 削除

    saa***** ]

     

    2019/8/29(木) 午前 2:07

     返信する
  •       

    顔アイコン

    こんにちは。
    「親のせいにしている」「社会のせいにしている」
    これって要は「悪い事態に陥ったのは自分自身の責任」ということにしておきたいんでしょうね。
    うちも親や周りのオトナたちからよく言われました。

    他人のことをいちいち考えたくないんです。
    これは各種選挙の投票率の低さにもつながっているのではないかと思ったりします。 削除

    [ 豚猫大好きぶーにゃん ]

     

    2019/8/29(木) 午後 1:32

     返信する
  •       

    saa*****さま 3件のコメント、どうもありがとうございました。

    また第4回「ひきこもり親子公開対論」では、ご登壇いただき、まことにお疲れさまでした。

    「ひきこもり親子公開対論」は、まさにあなたのような親御さんが登場してくださることを期待して始まった企画だといっても過言ではないと思います。

    これまでの回で客席からのご質問も、そして今回の壇上でのご発言も、じつに鋭く的を得ていて、会場で聞いていらっしゃる他の親御さんたちにとっては「かゆい所に手が届く」言葉だったのではないでしょうか。
    おかげさまで今回の開催も、誰にとってもだいぶ実のあるものとなりました。

    (下コメントへつづく) 削除

    チームぼそっと

     

    2019/8/29(木) 午後 1:41

     返信する
  •       

    (上コメントからのつづき)

    saa*****さんは、話すことをちゃんとプリントアウトして、用意してくださっていたのですね。私は最初それをよく見ず、進行役 兼 対話者として、少し一方的にしゃべりすぎてしまっていたかもしれません。だとしたら、ごめんなさい。

    今回の上記のコメントの、とくに後半で書かれたようなことも、今後「公開対論」の機会がありましたら、またお越しいただき、ぜひそこで何らかの形でおっしゃっていただければ幸いです。

    なぜならば、不登校・ひきこもりを抱える多くの親御さんが同じように迷い、思い煩い、葛藤しながらも、あなたほど言語化できないで苦しんでいるかもしれないからです。 削除

    チームぼそっと

     

    2019/8/29(木) 午後 1:42

     返信する
  •       

    豚猫大好きぶーにゃんさま コメントをどうもありがとうございます。

    「悪い事態」であるかどうかはさておき、自己責任の問題は通り一遍には語れませんね。 削除

    チームぼそっと

     

    2019/8/29(木) 午後 1:45

     返信する
  •       

    顔アイコン

    私は、どちらかというと引きこもり当事者の方に共感的になる人です。
    「ご自分の人生の失敗を、親のせいにしているだけではないのですか」という質問を読んで、ひやりとした気分にさせられました。あまり正面から答えたくない類の問いかけだなと。 記事を読んでから、1日ほどたって、答えづらいと感じたと気持ちが形になってきたように思うので、少しコメントさせてください。 削除

    [ シロヒト ]

     

    2019/8/29(木) 午後 11:43

     返信する
  •       

    顔アイコン

    (つづき)
    私はこの質問がこのように聞こえたのだと思います。「ひきこもりは、親に八つ当たりしているだけではないか」と。
    誰だって追い詰められた状況に陥れば、誰かや何かにあたってしまいたい気持ちなる。ひきこもっているという状況で、ストレスのたまっている時、一番八つ当たりしやすい人は、親である。ひきこもりが概して親を批判するのは、すなわちそういうことではないか。苦しさの原因は親にある、と言いたいのではなく、苦しさのはけ口が欲しいだけなのではないか。
    もし、私が自分の両親から、「あいつが文句を言ったりするのはストレスが溜まっているからだ。だから、あいつの言っていることは適当に聞き流していればいい。」というような態度を取られたとしたら、苦しいと感じます。「親に原因はない」という立場ではなく。「あいつはああいっているが、親に原因があるかどうかはわからない」という立場に踏みとどまってほしい、と思うのです、親にとって難しいことかもしれないですし、正当なことなのかもわからないですが、気持ちだけで言えば、そう思います。 削除

    [ シロヒト ]

     

    2019/8/29(木) 午後 11:44

 

シロヒトさま コメントをどうもありがとうございます。

「人生の失敗を親のせいにしているのでは」という質問は、本質を突くものだけに、人それぞれの答えがあるだろうと思います。人はそれぞれ、この問いに向き合わされ、自分なりの答えを絞り出させられるのでしょう。

私の場合は、ひと言でいえば、「八つ当たり」をしているのではなく、
「親が私に責任を要求したから、私も親に同じ責任を要求している」
ということに尽きると思います。 削除

チームぼそっと

 

2019/8/30(金) 午前 11:23

 
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