VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(173)東京のひきこもり、岐阜を歩く<6>勤勉なミャンマー人女性

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by ぼそっと池井多

 

その夜、私は大垣駅前からバスに乗った。

駅前のバス停は、東京人の私から見ると閑散としていた。私の前には、居酒屋のアルバイトから出てきたばかりの、南方系の顔をした女性が立っていた。

バスを待っている間も、彼女は日本語の教科書を手にし、並んでいる他の乗客を微妙にはばかりながら、小声で発音の練習をしていた。 こっそりと彼女の後ろにまわり、肩越しにのぞきこむと、ビルマ語の文字で発音が記された行の上に、大きなひらがなが印刷されている。

たいへんな勉強家だ。きっと彼女がアルバイトをしている居酒屋では、

「イラッシャイマセ」

「オノミモノハ、ナニニイタシマショウカ」

といった基本的なフレーズの他には、メニューのくだらない料理名を覚えさせられているくらいなのだろう。彼女は、その程度の日本語能力に満足しておらず、もっと社会的に上昇しようとしている。もっと時給の高い仕事に就くためには、まずは語学のスキルアップを志しているようであった。

そのように彼女の生活に思いをめぐらせたとき、私は身体の芯がギュンと収縮する思いがした。この収縮は、いったい何に由来するものであろうか。
「おいおい、そんなに勉強してどうするんだい」
と茶化したくなる気分が生じてもおかしくない状況で、あきらかに私は何か「緊張」をしたのだ。

べつに彼女が私に話しかけてきたわけではない。その黒い美しい瞳でじっと私を見据えたわけでもない。

おそらくまだ二十代の彼女の生きざまが、無言で私に何かを問いかけ、私を圧迫し、瞬時に私は答えに窮して「緊張」をしたのだと思われる。

それでは、私の「緊張」は何に由来するものか。

答えを探しているあいだに、バスが来た。

 


バスの中も、人はまばらであった。

停留所を四つばかり過ぎると、とうとうバスの中は彼女と私だけになってしまった。彼女は、夜の町を進むバスの中でも、そのまま日本語の勉強を続けていた。車窓の両側は、しだいに町が途切れ、ときどきコンビニの明るい灯が交差点の角に過ぎるばかりとなった。

やがて、彼女は「つぎ停まります」のボタンを押し、田んぼの中のバス停に降り立つと、家路を急いでいった。このような田舎にあるアパートならば、都市部に比べたら、家賃はタダ同然であるのにちがいない。

彼女はそうやって生活費を切り詰め、夜まで居酒屋で働いて、稼いでいる。アパートに帰ってからも勉強し、やがてその知識をもって学校にでも通うのだろうか。

こんな小さな地方都市に住んでいては、さして娯楽もないのにちがいない。恋人と繁華街を歩くこともない。ライヴや映画に行くこともない。ただ、働いて、稼いで、勉強して、暮らしを少しでも上のステージへあげようとあがいている。まるで「人生まっしぐら」とでも形容できそうな生き方、暮らしぶりである。

さらに驚いたことに、彼女はそんな人生に、いささかも疑問を持っていないように見えた。それどころか、何か希望を持って生きているようですらある。希望がなければ、とてもできない暮らし方だともいえよう。

希望とは、おそらく将来の富裕と安定である。高給の仕事につき、高給の夫と結婚して、子どもを持ち、家庭生活を送る。そんな未来が現実的に頭に描けるからこそ、今はこんな禁欲的な暮らしに耐えているのだろう。

 

彼女という存在の前では、私自身や、また私の知るひきこもり当事者仲間は、何かというと「社会がわるい」「親に虐待された」などとさまざまな理由を挙げて、「働かないこと」を正当化しているだけの者に見えてしまうのではないか。……

私がさきほど感じた「緊張」は、もしかしたら、そんな危機感から生じたのだろうか。だとしたら、これは異なことである。

貧しい国の若い女性が、こんなに勉強しているのに、自分は「働いていない」ひきこもりで、国民の税金である生活保護で生きながらえている。はたして私はそこに「罪悪感」をおぼえているのだろうか。

それとも、彼女の「人生まっしぐら」とも形容できそうな生き方に、私は「羨望」や「焦り」を感じているのだろうか。

彼女の中では「何がどうだから、私はこうする」という選択への思考はきっぱりと論理を結び、私たちの中では論理の結び目が弱い。……否、私たちの間では、それは確固たる論理であるはずなのだが、ちょうど鉄の鎖も海水に浸していると錆びて脆くなるように、働いている人たちの社会の風に吹かれると、たちまち赤く錆びて脆くなるのだ。

ああ、彼女が歩んでいるのは、なんという合理的な人生だろう。そしてその合理的な人生の先には、彼女にとっての幸福があるのだ。それに比べて、私のみならず、ひきこもりたちは、なんと合理的でない人生にはめこまれていることか。

私たちひきこもりは、合理的に物事を解決して人生を前へ進めていくことができないから苦しんでいる。その苦しみの態様が、「ひきこもり」なのである。

 

 

 

彼女が降りてしまったために、とうとうバスの乗客は私一人になってしまった。しかしバスは律義にも、バス停が近づくたびに案内放送を繰り返し、夜陰につつまれている田園地帯を行く。何も見えない車窓を見つめながら、私はふと二十代の頃を思い出した。


彼女が日本社会の中で勤勉に勉強し上昇を志す姿は、まさに二十代の私たちが欧米に対して抱いていた態度ではなかったか。1980年代のフランスで、あるいはドイツで、私はこのような努力をしている日本女性をたくさん見た。

いや、女性ばかりではない。男性である私も、「そとこもり」の最中どこへ行っても語学を勉強しようとしていた。どこにたどりついても、私は夢中になってその国の言語を独習しようとしていたのだ。私の手帳はペルシャ語アラビア語スワヒリ語アフリカーンス語などの書きつけで一杯だった。

しかし、それはいま見た彼女のように、社会的階級の上昇のためだったのだろうか。どうも違う気がする。

私の場合は、ただ言語というものに対する異様な好奇心のためだったのかもしれない。あるいは、何をやっていいかわからなかったから、とりあえず目の前にある、未知なる知識として言語に手が伸びていたのだろうか。
おそらく、他のどの若者もそうであるように、私はそのころ、自分が社会から受け取っている待遇が相応より低く、じっさいは自分がもっと高く社会に待遇されるに値する能力を持っているように、漠然と感じていた。

しかし、それは自信のなさ、自己評価の低さと裏腹であったために、それを不特定多数の他者たちに認めさせるため、血みどろになって社会に打って出ようとはしなかった。

自分というものを社会に認めさせて、収入や地位といった形で待遇や報酬を受け取るには、どうして良いか分からなかった、という面もある。

そのために同期の連中は、大企業へ就職していったのだろうが、母親から埋め込まれた時限爆弾が炸裂し、私に特有な人生観がプラネタリウムのように内から私を照らしていたので、その選択肢はすでになかったのだ。

となると、語学は自分というものを社会に認めさせる手っ取り早い入り口のように見えた。……いや、そういうと、いかにももっともらしく説明がつくが、はたしてそうだろうか。

 

今しがたバスを降りていった彼女はおそらく、やがて日本語検定試験のようなものを受け、それを履歴書に書いて、もっと時給の高い仕事に就くだろう。

私の場合、多くの言語の力は何一つ資格にも収入にも結びつかなかった。結びつける気もなかった。

 

ペルシャ語アラビア語スワヒリ語アフリカーンス語も、その言葉が話されている国や地域を離れると、もはや使う機会もなく、こちらから使う機会も求めなかった。そのうちに、しぜんと忘れてしまった。

いや、今からでも使う機会を求めれば、昔の記憶がよみがえり、また話せるようになるかもしれない。しかし、そのような外国語が話せたところで、彼女の場合とちがって、私の場合はそれがいったい何の役に立つのだろう? あるいは、それらが役に立つ場所へ、はたして自分が行きたいと思っているのか?

日本にいても接する機会の多い、世界的に流通度の高い英語やフランス語にしてからが、私はそれで何か資格を取ろうという頭はない。検定試験を受けなくてはならない、などと思うと、たちまち、

「そんな先に自分の求める人生はない!」

「そんな資格を取っている時間はない!」

といった痛烈な感覚に身を焼かれるのである。……

 

私も若いころ、彼女のように勤勉であった。

否! 今でさえ、おそらく私は彼女のように勤勉なのだ。

しかし、勤勉の方向性が、彼女とはまったくちがう。

彼女はそれを収入に結びつけ、社会的な地位の向上に結実させようとする。また、そういう姿勢が、彼女の場合は国際社会的にも承認され、賞讃される。

かたや私は、それを収入に結びつけることや、社会的な地位の向上に結実させる気にはならず、ただひたすら、自分の記憶の奥深くに埋め込まれた、親や主治医による虐待の傷を、言葉にして体表の外へ出すことに力と時間を費やしたいと抗っているのである。

そして、そんな姿勢は、国際社会的には承認されず、賞讃もされない。

「いつまでも過去のことにこだわってるんだ」

などと馬鹿にされるのがオチである。

しかし、私はそれをせずにはいられない。私にとって「生きる」とは、そういうことになっている。

 

……。

……。

 

ここには、国家目標が持ちやすいミャンマーという国の「若さ」と、すでにそんなものは持てなくなってきた日本という国の「老齢ぶり」も関係しているといえよう。

去年の暮れに、大阪の道頓堀で見かけたベトナム人の青年とも共通するマクロな感慨もおぼえた。

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ひるがえって、いま乗っているバスの外は、大阪・道頓堀とは打って変わってネオンサイン一つない、真っ暗闇であった。

後方へ流れゆく闇を見つめ、身体レベルで感じた緊張感の淵源を、私はじっと考え続けていた。

 

 

 


 

 

 

 

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