VOSOT ぼそっとプロジェクト

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やっぱり今日もひきこもる私(181)ひきこもりは行政に何を求めているのか

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by ぼそっと池井多

 

11月2日に行われた第13回「ひ老会」では、

「はたして私たちは、行政にどんな支援を期待しているのか」

ということが話題の一つとなった。

 

背景には、このような一連の流れがある。

 

「ひきこもりが増えてきた。ほら、どうする、どうする」

と一部のメディアが行政を突き上げ、行政は、

「ひきこもりが社会へ復帰できるように、就労支援と相談業務をしてあげます」

ということをやってきたわけだが、これはひきこもり当事者層には総じて評判が悪かった。

相談業務といっても、窓口に座っている多くの相談員はひきこもりの心情のカケラも知らず、見当違いな説教を始めるか、あちこちの窓口をたらいまわしするのが落ちであったし、就労支援となると

「就労をひきこもり『問題』の『解決』ととらえること自体が、ひきこもりをまったくわかってくれていない」

という不満がひきこもりから噴き出していた。

そこで行政を突き上げることを仕事にしているメディアは、

「就労支援ではない、ひきこもり支援をしろ」

と言い始めたわけであるが、それは行政からすれば、

「それでは、『支援をしろ』と言いつつ、『支援をするな』というダブルバインドである」

にいう感じになっていて、いったい何をどうすればいいのかわからない。

そこへ秋田県藤里町だの大阪府豊中市だの岡山県総社市だの静岡県富士宮市だのといった、行政による支援の「成功例」とされる事例が報道されると、そのことをやっていない自治体はまるで怠慢のように見えてしまうのであった。

ところが、たとえば秋田県藤里町の例を見ればわかるように、人口3800人の小さな町でやったことを、政令指定都市でやれといっても無理があるし、住民が生まれた時から町内全員顔見知りみたいな土地柄と、人口流動が激しい都市部では、何をやるにも政策基盤が異なる。

ましてや、藤里町がやったようなひきこもり全戸調査などというものは、都市部の多くのひきこもり当事者が聞けば絶対反対のデモ行進が目抜き通りを練り歩きそうな代物であるし、行政が設置した居場所に出てきてそばだかうどんだか茹でるようになるために、多くの当事者はひきこもっているのではない。

……少なくとも私は、そばやうどんが茹でられるようになるために、ひきこもっているのではないのである。私の寓居は駅から遠いので、食事は外へ食べに出ることはなく、自炊である。だから、そばやうどんは自分のひきこもり部屋ですでに茹でている。

 

 

また私は、そもそも「ひきこもりが増えてきた」という、メディアによる最初の突き上げは本当なのか、おおいに疑問であると思う。

そのことについては、以前ひきポスに記事を書かせていただいたことがある。

 

www.hikipos.info

 

こうした背景があるなかで、それでは果たしてひきこもり当事者たちは、メディアに左右されないで自分の頭で考えたときに、行政にどういう支援を求めているのだろうか、という疑問がかねてより私の中にあった。

それを、「ひ老会」で参加者皆さまに訊いてみたのである。

このとき出てきた意見をまとめると、社会参加の方法を「働く」「稼ぐ」に限っている当事者層は、やはり何らかのかたちで中間的就労の機会を行政に作ってほしいと願っており、それはこれまでの就労支援の延長で実現可能と思われた。

しかし、私自身をふくめ、就労をゴールと考えていない当事者たちは、中間的就労機会などあまり求めてはいないのである。

私は生活保護を受給しているから、これがすでに行政による支援である。さらに、そこへ加えて「ひきこもり支援」となると、思い浮かぶのは当事者活動の後方支援ということになる。

すでにひきこもり当事者たちによって行われていて、他のひきこもり当事者たちにとって有用な社会資源となっている当事者活動がいくつもあるのだから、それを行政が後押ししてくれればよい、と考えるのだ。

 

 

ところが、ここで問題になるのは、行政には「公平性の原則」というものがつきまとい、一部の民間団体だけを後押しするとなると、たちまち問題となることが予想される。

また、その局面を逆の方向から見ると、同じ自治体の中で、当事者活動をやっている団体が複数存在すると、そこに競合が起こることも予測される。

競合や競争は、資本主義社会には必然的に存在する現象だが、ひきこもりたちは、これを忌避してひきこもりになったという側面がある。だから、

「せっかくひきこもりになったのに、そこでも競合や競争などに巻きこまれたんじゃあ、たまったものではない。それじゃあ、当事者活動からも撤退し、もっと奥へひきこもろう」

という当事者が出てきて、かえって逆効果になりかねない。

 

だから、行政による当事者活動の後方支援とは、そうかんたんに満足のいく形で成し遂げられることはないであろう。そのかわりに行政は、「公平性の原則」を満たすべく、全国一律に官製の居場所でも作ることになるのではないか。

けれども、そこには

「居場所とは上から与えられて居場所になるのではない」

という命題がある。当事者たちが自然発生的にモゾモゾと集まっているところが、その人たちにとっての居場所になるのである。

また、「居場所でないから居場所」というメタ論理もつきまとう。つまり、居場所とは規定されるものではなく、参加者がそこを居場所として感じるものなのである。これが、行政という「上」からの支給でうまく行くだろうか。

 

私は、厚生労働省事業の居場所づくり検討委員会の末席を汚しているわけであるが、以上のように考えて、一歩間違えば、とてつもなく無駄な調査事業になるのではないか、という危惧を感じながら参加している。

委員会のなかで、私のようなひきこもり当事者に与えられる発言権はごく小さいものであるが、そのなかで私はせいぜい自分の危惧を表明していきたいと思う。

 

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