VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(202)どうしても写真が気になって

by ぼそっと池井多

 

伊藤詩織さん勝訴の報道が社会を席捲し、すでに練馬事件は人々の口の端に上らなくなってきたが、そんなに早く練馬事件裁判のニュースが消費されてしまうのは、なんとも惜しい気がする。

おととい「やっぱり今日もひきこもる私(201)」において、朝日新聞が私の練馬事件裁判に関するコメントを配信したことをお知らせした。

そのときもちらっと最後に書いたように、どうも併載されている私の写真が気になった。vosot.hatenablog.com

 

なぜ、悲しい事件へのコメントに、私は晴れやかな顔で出ているのか。

 

日本の権力の中枢にいたエリートの家庭。

目のくらむような輝かしい経歴。

閑静な住宅地のなかの豪壮な邸宅。

 

……世間向けの幸福な「表札」の内側では、どうにもならない家族の孤立と行き詰まりがあったのだ。

栄光ゆえに、彼らは苦しみを外へ訴えることができなかった。

もちろん、そのプライドこそが害毒であり、そのことは

「外部に助けを求めなかったことが罪」

とも聞こえる、あの判決文にも書かれているように思ったが、いっぽう現実問題として、彼らが身を置いていたあの状況から、外部へ助けを求めることが容易にできなかったこともまた確かである。

あの夫婦は、世間的な栄光を守り、育てた子ども二人を喪った。

そして、人生の最後の年月を、妻はうつ病で、夫は刑務所で過ごそうとしている。

 

なんともやるせない事件であるだけに、私もコメントを出すのがつらかった。

ところが、出てきた記事を見たらどうだ。

そこには、まるで希望にあふれた、晴れやかな表情をした私の写真が添えられていたのだ。

 

じじつ、ネット上には、私の写真を指して、

「人が死んでいる事件なのに、こいつは不謹慎だ」

などと批判する者があらわれた。

いつも私は、なにごとも「不謹慎」で取り締まる日本の社会風土を決してよいとは思わないのだが、この場合は、なんとなく頷けてしまうのであった。

ところが、それは私の本意ではなかったのだ。

コメントを出すとき、私は厚生労働省の居場所づくり検討委員会の仕事で関西の町にいた。記事を確定する最後の打ち合わせは、人ごみの中を移動中に歩きながら、電話でおこなった。

そのとき私は、記事に併載するのに「ひ老会」のときの写真を出すことは諒承したが、このような写真を出すことは諒承はしていないつもりだった。

 

そこでクレームを唱えて、やはり修正していただくことにした。

私は見ていないが、おそらく紙版の朝日新聞は、すでにあの「晴れやかな」顔で出てしまったのだろう。だから、それはもう仕方ないが、せめてウェブ版だけでも写真を差し替えてくれることを申し入れ、以下のように修正してもらった。

https://www.asahi.com/articles/ASMDJ46DWMDJULZU002.html

 

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