VOSOT ぼそっとプロジェクト

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外国のうつ・ひきこもり事情(142)ロシアからやってきた取材クルーの話 その2

 by ぼそっと池井多

 

このシリーズの前回「外国のうつ・ひきこもり事情(141)」では、ロシアからやってきた取材クルーのことを書かせていただいた。

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同じ日に、同じロシア国内から2つのテレビ局が、まったく偶然に取材を求めてきた、というお話であった。

二つとも受けるわけにはいかないので、わずかにコンタクトが早かったエカテリンブルクのテレビ局の取材を受けることにさせていただいた。

 

 

エカテリンブルグとは、(私も行ったことはないが)ヨーロッパの東の端に位置する人口130万の大都市である。ソ連時代はスヴェルドロフスクといった。

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現代のエカテリンブルグ Photo : Wikipedia

なぜ、この都市がヨーロッパの東の端といえるのか。

ロシアというのは、みなさんご存じのように、ヨーロッパからアジアにかけて横たわっている大国であり、その境目がウラル山脈というわけだが(弊ブログのコメンターに「うらる」さんという方がいたな。お元気ですか?)、エカテリンブルグという都市はそのウラル山脈の中にあるから、というのが理由である。

 

なんといってもこの都市で有名なのは、ロシア革命が起こったときに、ロマノフ王朝の皇帝一家が革命軍に捕らえられ、シベリアへ送られる途中で、このエカテリンブルグにおいて、裁判にかけられずに惨殺された事件である。

皇帝ロマノフ二世とその一家は、モスクワから連れてこられ、革命前はこの町で勢力を誇っていた豪商が住んでいたイパチェフ館という屋敷に監禁されていたが、1918年7月17日未明、警護に当たっていたはずのヤコフ・ユロフスキーの率いる部隊によって暗殺された。

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イパチェフ館 Photo : Wikimedia

 

このイパチェフ館は、のちにロシア大統領となるエリツィンが、まだこの地方のソ連共産党第一書記だった1977年に破壊する命令を出し、跡形もなくなってしまった。

その後、2003年にロシア正教の伽藍が跡地に建設され、現在にいたっているという。

 

 

どうも私は、ロシアの歴史となると熱くなってしまう。

この日も、エカテリンブルグからやってきた彼らに、私が偏愛するソ連の作曲家ショスタコーヴィチや、ロシアの文学者ドストエフスキートルストイについて、かなり熱っぽく語ってしまった。

本ブログにも、以前私のショスタコーヴィチへの偏愛ぶりを記事にしたことがある(*2)ので、読者の皆さまはよくご存じかもしれない。

 

 

 

彼らにしてみると、極東の国へ「部屋から出てこない」ひきこもりを取材に来たのに、そのひきこもりがショスタコーヴィチやらドストエフスキーやらに関して、かなりマニアックな話を次から次へと繰り出してくるものだから、意外に思うと同時に、少し辟易したかもしれない。

 

・・・ロシアからやってきた取材クルーの話 その3へつづく

 

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