VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

スパゲッティの惨劇(70)「最も個人的なことは、最もクリエイティブなこと」

スパゲッティの惨劇(69)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多

 

近年の私は、映画やビデオを見る機会がないので、じっさいに彼の作品を見たことはないのだが、韓国の映画監督ポン・ジュノが、なにやらすごいらしい。


アメリカ、フランス、イタリア、ドイツといった映画大国ではない国から、まだ若い監督でありながら、今年のアカデミー賞で、脚本賞、国際長編映画賞、監督賞、作品賞という4つのオスカーを総なめにしたのだという。


しかし、私が関心を惹かれたのはむしろ、彼の受賞の言葉であった。


「本当にありがとうございます。私が映画の勉強をしていた時に、本で読んだ言葉で、今も大切にしている言葉があります。


最も個人的なことは、最もクリエイティブなことだ


という言葉です。

これは、マーティン・スコセッシの言葉でした。
私は、彼の映画を見て勉強したんです。一緒に監督賞にノミネートされただけで嬉しい」(*1)


*1.【アカデミー賞2020】『パラサイト』ポン・ジュノ監督が受賞スピーチで「あなたから学んだ」 。尊敬の念を込めた相手は?
HUFFPOST 2020.02.10

www.huffingtonpost.jp

 

その場にいたマーティン・スコセッシがかつて言ったとのことだが、なかなか目を見開かされる言葉である。
私はここに、当事者発信の原点を嗅ぎ取る。

 

人は表現を始める当初において、他人とちがうことを「言ってしまっていいのか」という恐れを抱くことがある。


すでに世間でステレオタイプなイメージができあがっているときに、それに合わせていないと自分の存在が肯定されない、あるいは承認されないのではないか、と恐れるのである。


いかに自分は他者とちがうか。

いかに自分は周囲と異なるか。

いかに自分は「異邦人」であるか。

 

そういうことを言葉にしたら、その瞬間から自分はこの世界に存在できなくなってしまうのではないか、という危惧をいだく。


ところが、それこそがまさに人が言葉にすべきことであり、それをあえて言葉にすることが当事者発信であり、マーティン・スコセッシに言い方を借りれば「最もクリエイティブなこと」なのである。

 

逆にいえば、もし自分が他人と同じであったなら、わざわざ語ったり発信したりする必要がないのだ。

 

私の場合、ひきこもりが社会的問題と言われ始めた二十年ぐらい前によく言われていたような、「両親が建てた家の二階のいちばん奥の部屋」でひきこもっていた年月はなかった。私がひきこもりを始めたのは、実家を離れてからであり、大学の寮の一室などであった。


そこで初めの頃は

「これでは、自分はひきこもりと言えないのではないか」
などと思い、「ひきこもり」と自称するのをためらっていた。


さらに、親からの虐待を口にするのにも、昭和の男尊女卑の空気のなかで、当時は子ども仲間のあいだで「自分は父親から殴られた」といった話はよく聞いたけれども、息子が母親から精神的虐待を受けておかしくなった話は、ついぞ語られることがなかった。

 

もし語れば、

「お前は男だろう。そのくらい我慢しろ」

「お前は男だろう。母親の一人や二人ぐらい何とかできないのか」

などと責められるのが落ちであった。


こんなことだから、母親から受けた虐待も「語ってはいけない」かのように思っていた時代があった。ところが、まさにそこに凄惨だけれど稠密な物語が埋まっていたのである。


もっと言えば、私の場合、ひきこもったきっかけというのが「大学卒業」「優良企業に就職内定」という、世間的に見たらとうてい「失敗体験」とは考えられず、むしろ「成功体験」と目される事件であったために、これもまた「語ってはいけない」かのように思いこむようになったのである。

 

……。

……。

 

このように私には、「語ってはいけないかのように思っていた」ことがたくさんあり、それらに縛られているうちは語れなかった。つまり当事者発信は始まらなかったのである。


逆にいえば、私の当事者発信は、これらの呪縛から解き放たれ、自分がいかに「同類の人たちと同じでない」かを語り始めたときから始まったのだ。


80年代ふうの語を用いれば、差異化がナラティブの始まりだということだ。

 

「最も個人的なことは、最もクリエイティブなこと」


マーティン・スコセッシが言い、ポン・ジュノが心の支えとしたこの言葉が、韓国からアカデミー賞4冠という快挙の原動力となったというのも、十分うなずけることである。

 

私の場合は、上記のようなことが私の独自性であったが、人は誰でも、周囲とはちがうために理解されない、と思っていることがあるだろう。

ところが、そこを、

「周囲とちがうからこそ語る」

と肚(はら)を据えたときに、当事者発信という「最もクリエイティブなこと」に着手することになるのだと思う。

 

 ・・・「スパゲッティの惨劇(71)」へつづく

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