VOSOT ぼそっとプロジェクト

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やっぱり今日もひきこもる私(229)ひきこもらされた都市 ~ 武漢とオラン(第15回「ひ老会」中止のお知らせ)

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コロナウィルス 写真・Public Domain Q


by ぼそっと池井多

 

クルマの名前みたいな新種の病気が流行し始めたということで、さまざまなイベントがのきなみ中止されていくと聞き、なにやらトイレットペーパーの買い占めに走る庶民の姿を見るようで、私はいささか鼻白んでいたものである。

そこで私は、

「3月7日に予定されている第15回『ひ老会』は、少人数で静かに集まる会でもあるし、予定通り開催しよう。

『不要不急のイベントは自粛せよ』とのことだけど、ひきこもりと老いを語ることは、けっして参加者にとっては『不要』ではないのだから」

と二日前まで考えていた。

さらに、すでに参加をお申込みいただいている方々から、

「どうですか。ちゃんと開催されますか」

「予定通り開催してください。行きたいです。」

「こんな時期だからこそ、孤立しない場が必要です」

といった数々の声をお寄せいただくにつれ、いよいよこれは予定通り開催するべきだと思っていたのであった。

しかし、あちこちの情報が耳に入ってくるにつけ、このような場面で開催することで反体制を気取るのは、かえって公共のためではないということがわかり、昨日やむなく第15回「ひ老会」中止のお知らせを各方面にお伝えした。

 

飲み会が、「濃厚接触」などという、なにやらエロティックな響きを持つ行為として、自粛の筆頭に挙げられているのは、酒飲みとしてはなんともつらいところである。

 

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今回の流行を見て、アルベール・カミュ『ペスト』を思い返した人は多いだろう。

とくに現代フランス文学に造詣の深い人ならば、まずはこの連想をしただろうと思うのである。

その作品では、すでに絶滅したと思われていたペストが、地中海沿岸のアルジェリアの都市オランで発生し、都市が封鎖される。

この世の孤島となった都市のなかで、さまざまな人間の行動が観察されるという小説である。

発表されたのは第二次世界大戦が終わった2年後のことだったから、当時はペストをファシズムの暗喩ととらえて解釈した人が多かった。

しかし、そのような高度な読み方をせず、病原菌を病原菌のままとらえたとしても、人間の習性が巧みに描かれている小説として味わえると思う。

そもそも今回のコロナ騒ぎで、始まりにおいて中国政府が武漢を封鎖したのは、中国政府の実力者の頭のなかに、この『ペスト』があったからではないか、とさえ私は想像するのである。

 

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現代のオラン 写真・Wikimedia

しかし、カミュ『ペスト』が描く都市オランは、20世紀に舞台を置いているとはいえ、中世ヨーロッパの港町のような構造をしている。

すなわち、町の外側と内側の境目が明確であり、

町そのものを世界からひきこもらせる

すなわち「封鎖」ということが可能である。人口は、当時でおそらく20万人ぐらいだったのではないか、と私は想像する。

人口1000万を超す現代都市、武漢とは、構造も規模もちがっていた。

 

また、港の外にクルーズ船を停留させ、それで病原菌の国内への侵入を防げると思った日本もマヌケであった。クルーズ船だけが感染経路という見方は現代的でないし、このクルーズ船だけを取っても、まったく防波堤になっていなかったわけである。

日本もまた「ひきこもらせる」作戦に失敗した。

 

こうして21世紀の病原菌に対して、「ひきこもらせる」ことにつぎつぎと失敗した私たちは、次の段階として自らが「ひきこもる」ことによって、いま感染拡大を阻止しようとしている。

「ひきこもり」という生活が社会貢献となる時代が来た

わけである。

わずか半年あまり前、犯罪者予備軍と呼ばれたころに比べて、なんという昇格であろうか。

 

 

 

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