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やっぱり今日もひきこもる私(234)戸籍謄本を取るというハードル

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横浜港。私の本籍地がある両親のマンションから
毎夜見えるはずの光景。写真・ぼそっと池井多

 

 by ぼそっと池井多

前回「やっぱり今日もひきこもる私(233)」で述べたような、パスポート申請というハードルは、以前として高く私の前にそびえている。

vosot.hatenablog.com

 

申請のためには、今度は戸籍謄本または戸籍抄本を持ってこい、というのである。

 

本籍地をめぐる物語

私の場合、住民票ならば住んでいる東京郊外にあるが、本籍は横浜にある。本籍がある住所に、私は一日も住んだことはない。そこは2004年から両親が住んでいる住所である。

両親は、まだ生きているのかどうかわからないが、もし生きていれば「両親の住所に私の本籍がある」ということになる。

 

彼らと最後に会ったのは、家族会議を催した1999年のことである。

「いっしょに家族療法につながってほしい」

という私の願いを聞き入れず、彼らは私との音信を断った。

実権を持っている母親の指示によるものであったことは明らかであった。子どもであった私を虐待した過去から、そうやって彼らは逃げ始めたのである。

その後、2002年に私から電話をかけ、コンタクトを図ったが、私からの電話には出なくなり、まちがって電話に出ても、相手が私だと知れると何もしゃべらなくなった。

その当時、彼らはまだ名古屋に住んでいた。ところが、弟が結婚して横浜市民となっていたので、私がまったく知らない間、2004年に両親は横浜に引っ越し、弟夫婦と同じマンションの別の階に近居するようになったのである。

そのときに、どういうわけか私の本籍も、勝手にそのマンションへ移したものらしい。

それまで私の本籍は、父方のゆかりの地である東京都足立区の北千住に置かれていた。母親はそれを私の許可なく、自分たちが住んでいる横浜の住所に移したようなのである。

「本人の許可なく、親が勝手に本籍を移すことなどできるのか」

と、それを2005年に知った私は役所に問いただしてみたが、やりようによってはできる、とのことであった。

私はアタマに来て、いっそのこと自分の本籍だけ東京・足立区に戻してやろうかとも思ったが、北千住は父方の地として何度も足を踏み入れていたものの、私自身が住んだ経験もない。どうしても本籍が北千住でないと困る、ということもなかった。

もし、そうであれば、ここは一つ、私の本籍地を自分たちの住所にかかえこんで、うちの母親と父親はこれから何をどうするつもりなのか、見定めてやろうという気になった。

私のコンタクトからは逃げ回っているくせに、私の本籍をかかえこむとは矛盾のようにも見える。そこに彼らの葛藤があるのだろう。

こうして私は、自分の本籍を、まったく住んだこともない横浜の地に置きっぱなしにすることにしたのである。

 

書面からわかるかもしれないこと

それが今回のような次第で、その本籍地に関する書類を取りに行かなくてはならなくなった。

その書類を取る、ということは、同じ住所に住んでいる親が、まだ生きているか、もう死んでいるか、という情報が同時に私の目に入ってくることではないか。

ここで私は少なからず動揺をおぼえたのである。

 

数日前に、「スパゲッティの惨劇(71)」で、

「親の死に目に会えない」とはどういうことか

について考えたくなったのも、この一件と関連している。

vosot.hatenablog.com

 

 

戸籍謄本ないしは戸籍抄本を取ることによって、親がすでに死んでいるとわかった場合、私が「親の死に目に会えなかった」ということが確定するからである。

 

……いや、問題は「親の死に目に会えなかった」ことではないかもしれない。

では、何が問題か。

 

「すでに親がこの世には存在しない」とわかることからくる、独特の欠如感、空虚感をおぼえる予感が、冷たく小さな波動のように、その一枚の紙きれから伝導してくることを、私は恐れているのではないか。

とくに、父親である。

私の父は、母の私に対する虐待に間接的に加担していたとはいえ、もし母がいなければ、父単独では子どもを虐待するような人ではなかった。悪意の塊のような母とちがって、父はごくふつうの優しい人であったのだ。

父は、私にとって厳然たる父親像として機能することなどまったくなかったし、彼はもう私のことなど思い返すこともないだろうし、このさき彼が生きていても、父は私にとって父として存在することは絶えてないだろう。けれど、やはり私にとっては、あのような父しか父として存在しないわけである。

戸籍謄本を取ることによって、その父がもうこの世にいないことがわかったら、私はうっすらとした悲しみと空虚に包まれるであろう。

ところが一方では、戸籍謄本を取ることによって、まだ父は生きていると確認されたところで、

「それじゃあ、まだ生きているうちに、父に会いに行こう」

とはしないことだろう。

母を飛び越えて父に会うことは、うちの池井多家においては不可能であり、そこまで困難を乗り越えて父に会えたとしても、父はもう高齢のため私を認識しないかもしれない。

いや、ほんとうはボケていなくても、もっと父が若いころでさえ、さんざん「ボケたふり」をして、私の話をちゃんとは聞いてくれなかった父である。いまさら私と正直に胸筋を開いてすべてを語ろうとはしないことは見え見えである。

 

それでも、ここまで父の死を知ることを恐れている私は、やはり最後の最後まで父との対話を求めているのだろうか。

たぶんそうだと思う。

 

……。

……。

 

戸籍謄本を取りに行くのは、こわい。

 

 

 

 

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