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やっぱり今日もひきこもる私(237)「地域で支えるひきこもり」運動の危険性 その4 「見守る」と「監視する」

 by ぼそっと池井多

 

話としては、「やっぱり今日もひきこもる私(224)」の続きである。

すなわち、そこでは

『地域で支えるひきこもり』運動の危険性 その3

ということをお話ししていたのであった。

vosot.hatenablog.com

 

「地域で支えるひきこもり」ということを唱えている人は、ある種の性善説に立っていると思う。

すなわち、

「近所の人はみんな良い人で、あなたのことを心配している」

という前提に立っているのである。

 

「そんなことはない。近所にだって悪い人はいる」

ということを言いたいわけだが、そんな端的な指摘にまとめきれるほど、状況はシンプルではない。

その「悪い人」というのが、見るからに「悪い人」であったならば、かえってそんなに声を大にして指摘しなくてもよいはずだ。

なぜならば、誰が見ても「悪い人」がいるならば、それは言わなくてもわかることだからである。

問題は、少しも「悪い人」に見えない近所の人が、「良い人」の仮面をつけた「悪い人」であったり、あるいは社会的には「良い人」かもしれないが、それがひきこもりにとっては「悪い人」として機能する、というところにある。

 

人は、いくら心配そうな顔をして近づいてきても、その心の中までは見えない。

まあ、かわいそうに

と涙のひと粒やふた粒を流していても、心の中では

他人の不幸の味

とばかりに歓喜に踊っているかもしれない。

 

たとえば、私の母はそういう人であった。

 

「あなたのことが心配なの。

どういう生活をしているのか、教えて」

などとマザーテレサのような顔をして近づいてきたとしても、心の中では

自分の日常生活が単調で退屈だから、

近所にスキャンダルを探しているのよ!

ようするに、単なる好奇心

あんたのことが知りたいの

と野次馬根性が心に渦を巻いているかもしれないのである。

 

たとえば、私の母はそういう人であった。

 

 

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「支援してあげる」

「助けてあげる」

という「ありがたいお気持ち」も、結局は、

「私は、かわいそうな人たちを助けてあげるほど、よい人なの。そのことを確認するために、あなたには素材になってもらうわ。

私は人を助けるほど、よい人生を歩んでいる。

ああ、私って、なんて良い人なの。もう、うっとりしちゃう

という、自らの優位性をこっそりと確認するための手続きであったりするのだ。

 

だって、私の母はそういう人だったもん。

 

とどのつまりは、ひきこもり関係のことについて、まるでお題目のようにあちこちで唱えられるようになってきた

地域で見守る

というフレーズも、ひきこもりには

地域で監視する

と響いてくるのである。

 

こういうことを言うと、

「それは、お前の人間性がひねくれているからだ。

世の中の人は、そんな悪い人ばかりではない。

もっと、人の良いところを信じるようにしなさい」

などと、頼んでもいないのに説教を始める人もいる。

 

なるほど、私は「ひねくれて」いるのかもしれない。

しかし、それが私なのである。私の内面的な現状なのである。

 

でも、ひねくれているから、「ひきこもり」なのである。

「ひきこもり」を何とかしようとしている支援者たちは、まずこの「ひねくれている」現状を批判するのではなく、受け容れなくてはならないと思う。

 

ああいう母に育てられてきた私は、どうしてもそのようにしか他人、……とくに「オバサン」を見られない。

これは私のみならず、一般的に人にとって「母」とは、この世界でいちばん最初に出会う「他者」であり、いわば「他者」の代表が「母」である。

その法則が、私にも適用されているのだ。

 

さらに、私はその人間観を是正しようと、長年、精神医療にかかったわけだが、精神科医齊藤學(さいとう・さとる)の運営する麻布などという患者村に通っていたものだから、そこにたむろしているオバサン患者たちが、みんな私の母のように性悪な内面構造を持っていることを、骨身に染みるまで知らされたものである。

 

こうなると、いまさら私は、

「近所のオバサンたちは、みんな天使のようにやさしく無私な人たち」

などと考えることができない。

 

そんな近所のオバサンたちに「地域で見守る」などとやられた暁には、私の背中には寒気が走るどころかブリザードが吹き荒れるであろう。

 

以上は、私という一人のひきこもり当事者の人間観にすぎないが、多かれ少なかれひきこもりになっている者は、過去においてひどい人間関係にさらされ、人間不信におちいっているのである。

こういうひきこもりたちに対して、

「地域で見守る」

などということを考え始めている全国の支援者は、ひきこもりについて何もわかっていないまま発進しようとしている、と言わざるを得ない。

 

 

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