VOSOT ぼそっとプロジェクト

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被災地の内と外(26)追悼のかたち ~ コロナ禍による儀式の中止

被災地の内と外(25)」からのつづき・・・

by ぼそっと池井多

 

 

今年は、コロナウィルスの影響で、各地で3.11の追悼式が中止や縮小になっているようである。

他の多くの催事は「延期」という選択肢があるわけだが、3.11のように日付にちなんでおこなうものは、延期すると意味がない。そこで「中止」という決定になるのだろう。

追悼式の中止にはさまざまな議論があったようだが、私は「○○記念日」のようなものは、それに関わる当人たちの心で遂行できるならば、べつに式典や儀式を必要としないのではないか、と考える者なので、追悼式が中止でもかまわないように思う。

それは、

「おおぜいが集まるとコロナウィルスの感染が拡大する。それを防止することのほうが追悼式を挙行するより大事だ」

といった現実的な理由に留まらない。

 

人が「式」を挙行するのは、なぜか。

それは、そこに「他者の目」が必要とされるからである。

たとえば「結婚式」は、古くは結婚とは家と家との契約の成立であった。それを多くの者に目撃させ、いわば公示するために、結婚「式」を上げ、披露「宴」を張ったのである。

「追悼式」も、

「ほら、私はこうやって哀悼の意をあらわしている」

と公示することが必要な政治家やパフォーマーのために行われている側面がある。

津波で家族や知人を失った無名の人々にとって、3.11とは、本来であれば他者に見せるよりも、自分の心の中でひっそりとあの日の情景を思い出したい日であるかもしれない。

となれば、追悼式などを挙行するよりも、各人が各人なりの「かたち」で、あの日を偲べばよいのだと思う。

 

 

去年の3.11には、私は岩手県の被災した沿岸にお邪魔していた。

陸前高田で佐々木善仁さんという、ひきこもりの息子さんを持っていたお父さんに長時間のインタビューさせていただいた。

あのとき収録させていただいた佐々木さんの言葉は、ゆうに本一冊になる分量であった。そのため、私は全篇を4つの章に分け、1回ずつHIKIPOSに連載してきている。

文字起こしをし、編集をするときに、これほど涙を流したインタビューは他にないといってよい。

なかでも、第3回にあたる章は、9年前の3.11という日に何が起こったかが生々しく語られるくだりであり、私はこれをあえて3.11という日に合わせて発信したいと願っていた。

なぜならば、それが私の追悼の「かたち」だからである。

 

それは、今日のHIKIPOSでリリースさせていただいた。

www.hikipos.info

 

 

 

 

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