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スパゲッティの惨劇(72)戸籍謄本が物語る母の生存 ~脳裡によみがえる「おなか痛い」

スパゲッティの惨劇(71)」からのつづき・・・ 

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横浜港 2020年3月 写真・ぼそっと池井多

by ぼそっと池井多

 

先日、パスポート申請のために、横浜にある本籍地の区役所へ戸籍謄本を取りに行って、発行された書面から両親がともにまだ生きていることを知った(*1)

そのため、心中には不穏な思いが駆けめぐっている。

 

 

母は、私が幼いときから何かにつけて、

「そんなことしたら、お母さん死んでやるからね」

と私は脅し続けた人である。

言うことを聞かせるためであった。

 

少なくとも、3日に1回はそう言っていた。

だから、母の「死んでやる」という言葉は、幼い私の暮らしに深く浸透し、生活の一部となっていた呪詛じゅそであった。

 

そもそも、「死ぬ」という行為を、「死んでやる」というように、それを見ている者へのあてつけにしてしまうところに、私の母の人となりがじわっと滲んでくる。

母が、私を思い通りにするために、母自身の「死」の可能性を脅迫の道具としてちらつかせたのは、このセリフ一つだけではない。

 

たとえば、まだ本ブログがYahoo!ブログにいた初期に書かせていただいた「南部迂回事件」なども、同じく母が自分の「死」の可能性を間接的にちらつかせることにより、無理を通し、私に煮え湯を飲ませた事件であった。

 

*2. 南部迂回事件

vosot.hatenablog.com

 

南部迂回事件は、私が大学生になってから起こったものであるが、同じく私の幼年期に、もっと母が頻繁にやっていたのは、

あ、おなか痛い!

といって、胃のあたりを抑えてかがんだり、うずくまったり、時には転がってせる、という行動である。

これなども、私から見れば、母はやはり「死」をちらつかせていたのであった。

 

 「あ、おなか痛い」

と母が言う時のなかには、ほんとうに「おなか痛い」時もあっただろう。

しかし、ほんとうに「おなか痛い」わけではなく、自分に都合の悪い言葉を私から聞きたくないために、たんに私をさえぎるためだけに、そう言っていた時の方がはるかに多いと思う。

いずれにせよ、母自身は言いたいことをすべて言って、今度は私が発言する番だとなると、決まって「おなか痛い」が始まるのである。

 

けれども、「おなか痛い」のが本当か演技か、という区別はあまり意味がないように思われる。

なぜならば、ほんとうに「おなか痛い」状態であっても、

「ちょっとごめんなさい、今ちょっとおなか痛くなっちゃったので、ちょっと待ってもらっていい」

などと言うことは可能である。

というか、尋常な者であれば、他者ひととのコミュニケーションはそうやって取るものだろう。なぜならば、それが人としての責任の取り方であるからだ。

自分に都合の悪いことは聞かない、というのは、無責任の極みである。そのくせ母は、これまた口癖のように私に対して、

責任を取れ! 

人は自分の言ったことには責任を取るものよ!

と言って、責めていたのである。

まだ幼稚園にも行かないうちから、母は私にそのように「責任」を要求した。

 

このように、ほんとうに腹が痛くても痛くなくても、「おなか痛い」で子どもである私の発言をさえぎる母は、他者には責任を求め、自身はとことん無責任な人間だったと思う。

 「おなか痛い」で終わらせること自体、「自分は責任を取らない」という宣言に等しかった。

自分が蒔いたトラブルの種を刈り取らないですませるために、「おなか痛い」を繰り出していただけである。

 

 

さて、ここまで母の「おなか痛い」が卑劣な手段ならば、私も母のこの脅迫に乗らなければよかっただけの話であると、読者の皆さまは思うであろう。

つまり、いくら母が「おなか痛い」と転げまわっても、

「嘘をつくな! また演技だろう。

いや、たとえ本当に『おなか痛』くても、あとでこちらの話も聞け」

と言って、巻き返しを図ればよかったのでは、と読者の皆さまは思われるのではないか。

 

ところが、私はそれができなかった。

私はつねに母の「おなか痛い」に屈した。

母がその言葉を繰り出すたびに、私は言いたいことをすべて飲みこんで耐えたのである。

飲みこんだ言葉は、やがて私のなかで黒く蓄積し、23歳のときに鬱病となって噴火したのだった。

 

なぜ私は屈したのか。

それは、「おなか痛い」の向こうに、母の「死」の可能性がちらついていたからだ。

私は、「おなか痛い」末に、母が死んでしまうのでは、と如実に心配した。

その背景には、母の母、つまり私の祖母が、私が5歳のときに胃がんで亡くなったことが関係している。そのとき祖母は63歳であった。

母自身も、祖母の死が私にそのような影を落としていることに感づいていたからこそ、祖母が病んだ胃のあたりをおさえて

「おなか痛い、おなか痛い」

とうめいて見せることにより、幼い私をおどかし、私の言葉をすべて封じたのだろうと思われる。

 

したがって、母の「おなか痛い」は、

「それ以上、文句をいうと、お母さん、死んでやるからね」

と言っているのと同じであった。

そのように母は、毎日のように自分の「死」をちらつかせることによって、私を脅迫しながら育てた。

それによって私は重度の強迫性障害になり、またひきこもりにもなっていったのである。

 

それでは、母はそんなに早く死んだのか。

63歳で亡くなった祖母のように、「おなか痛い」病気で早くに死んでしまったのか。

 

そうではない。

84歳にしてまだ生きている。

そのことが、先日、私が区役所のカウンターで手渡された戸籍謄本によって明らかになったわけである。

 

(母の誕生日に捧ぐ)

 

 

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 ・・・「スパゲッティの惨劇(73)」へつづく

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