VOSOT ぼそっとプロジェクト

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やっぱり今日もひきこもる私(243)コロナウィルスに揺らぐ街

by ぼそっと池井多

 

昨日は、東京でも新型コロナウィルスの感染者数が1日41名を記録し、にわかに緊迫感が高まった。

志村けんが重症だった、というのも大きい。人は、知っている人が病むと、はじめてその病気を実体として受け取るのである。

 

イタリアにいる私の「娘」(*1)、マリアテレサと連絡が取れなくなった。

コロナがイタリアに上陸してから、音信が途絶えたのである。

もちろん私からは何度かメールしているのだが、さっぱり返事が返ってこない。

マリアテレサは、イタリアの南の端、シチリアに住んでいるはずであり、そこはイタリア国内でもコロナ大流行の中心地ではないことになっている。

シチリアでまったく感染者が出ていないわけではないが、イタリア国内ではまだ少ない方である。

まるで地獄絵図のような光景が進行しているのは、イタリア北部のロンバルディアやその周辺だ。

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イタリアの州別感染者数 2020年3月25日 La Repubblica

しかし、ロンバルディアのすぐその南に当たるエミリアロマーニャの州都ボローニャには、マリアテレサの兄が住んでいる。今年の夏から、彼女はボローニャにある大学の医学部に進むことになっている。

そのような関係で、ここ数年マリアテレサボローニャシチリアを行ったり来たりの生活を送ってきた。

もしイタリアで都市封鎖や外出禁止が実施されたときに、彼女がボローニャを訪れている最中だったならば、そこで足止めを喰らったことになる。

しかし、たとえ足止めを喰らっていても、インターネットはつながっているはずなのだが、なぜ連絡が途絶えたのだろう……。

 

またボローニャには、1月に私を取材しに日本へ来た、マルティナとフランチェスコというカップルが住んでいる。

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マルティナとフランチェスコ

マルティナからは戦々恐々とした北イタリアの状況が、ときどきメールで書き送られてくる。

nypost.com

病院だけを見ると、まるで戦争中の野戦病院のようだが、街の中に銃弾は一つも飛び交っておらず、兵士たちがたたずむだけで、シュールな街景として閑散としている。

www.theguardian.com

 

東京も首都封鎖が語られ始めた。

いずれ東京もこのようになるのだろうか。

 

恐れの対象としての感染症

感染症は、つねに人類の歴史と共にあった。

ペスト、マラリア結核エイズ、はしか、インフルエンザ。

感染症の専門家ではない私たちでもよく知っている感染症が多く存在する。それらによって、ときには人口の3分の1が失われた国もあったらしい。

たしかこれは、アルベール・カミュ著『ペスト』の中に書いてあったエピソードだったと思うが、中世においては、ペストを恐れる人々が、自らの恐れを克服しようと、進んでペスト患者たちと交わり、ペストに罹患することによって、恐れを克服したのだという。

もちろん、それで恐れは克服できても、そのために死んでしまった人はたくさん居ただろう。

恐れの対象を客体から主体に取りこむことによって、恐れを克服しようとする、というのは、よく強迫の患者がおこなう症状でもある。

症状によって死んでしまえば、もうそれ以上、症状で苦しむことがないからである。

 

局所的に時計の針を逆に回す

今回のコロナことCOVID-19は、今までに存在したどの感染症と比較しても、感染と伝播のスピードが速い。その点、悪い意味で時代を画する、史上初だといえるだろう。

それは、ウィルスが生物学的に持つ属性というよりも、人間が社会的に織りなすグローバリゼーションの産物である。

人とモノの行き来が、かつてないほど盛んになったため、地球上の一つの小さな村で発生した感染症であっても、あっという間に人類共通の問題になってしまうのだ。

それに対抗するための「入国制限」「都市封鎖」などは、ようするにグローバリゼーションを一時的にストップし、局所的に歴史を逆戻りさせようという試みに他ならない。

それによって感染爆発の勢いは削がれるかもしれないが、ウィルスを死滅させるわけではないから、再び国や都市の境界を開いたときに、感染拡大は再開する。

ようするに、それまで医療資源を持ちこたえさせなくてはならない、ということだろう。

 

命を奪い、命を救う

いっぽうでは、コロナウィルスの蔓延によって、あらゆる分野の経済活動が抑制され、工場は稼働を停止し、物流のトラックは走らなくなり、大気汚染が改善された。

日頃あまり社会的に語られることはないが、大気汚染によって日々、多くの人の命が失われているという。それらの命がコロナウィルスによって救われたのである。

感染症は多くの人々の命を奪うけれども、多くの人々の命を救ってもいる。

www.newsweekjapan.jp

経済活動が抑制されれば、排出される二酸化炭素も止まる。あれほど騒がれている地球温暖化も、一時的にストップしているのにちがいない。

 

そうかと思うと、人々が不安に駆られてスーパーへ走り、食べ物をむだに買い占めしてしまうから、救急医療で尽力しているスタッフが、夜勤明けで街に出てきても食べ物にありつけない、といったニュースもあった。

headlines.yahoo.co.jp

さらにひどいことには、そのようにして買い占められた食糧の全部が人の口に入るわけではなく、どうせかなりの割合がゴミ箱に直行してフードロスとなるのだ、という人間社会の現実がある。

文明は、太古には存在しなかった救急医療というすばらしいシステムを生み出したが、また一方では多くの不要な消費行動をも生み出したのである。

はたして不要な消費なくして、救急医療が作られることは可能だったのだろうか。

 

災害と人生観

感染爆発は、私たちの文明生活の見直しを迫ってくる。

こういう時は、ときどき来る。

2011年、3.11東日本大震災)の時もそうだった。

2001年の9.11アメリカ同時多発テロ事件)は自然災害ではなかったが、やはり世界を揺るがした事件として、同じような側面があった。

そして、このように人々を根底から揺さぶる大事件が起こると、その直後に離婚したり、結婚したりする人が増えるのである。

「こんなことをしている間に、自分の人生は終わってしまう。

ぐずぐずと惰性で生きているのはもったいにない。」

という焦りに駆られ、

「自分はほんとうは何を求めているのか」

ということを、多くの人がまじめに考えるようになるからだろう。

 

そのように「ふつうの人」たちが自らの生活の前提を根本から疑うようになると、私のような「ひきこもり」は何となくうれしいのである。

安泰の暮らしをしていた市民たちの根柢が揺らぐと、そこから疎外されている異邦人が留飲を下げる。

「ほら、私たちはいつもそうやって足元を揺さぶられているのですよ」

と。

しかし、だからといって異邦人が安全地帯に避難して守られているわけではなく、コロナウィルスの脅威は市民へと等しく押し寄せてくるであろう。

 

 

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