VOSOT ぼそっとプロジェクト

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やっぱり今日もひきこもる私(252)オンライン飲み会の味気なさ

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by PhotoAC


by ぼそっと池井多

 

あれは、四半世紀ほど前のこと。

1990年代中ごろ、「インターネット」という代物が世の中に出てきたということで、同世代の飲み会で、

「いったいどういうものか」

という話題で盛り上がっていた。

 

なんでも、自宅に居ながらにして、国内外どこのパソコンにも接続できるものだという。

電子メールなるものが飛び交っていて、航空便などよりもずっと早く海外へも配達されるのだという。

やがて、テレビ電話のようなシステムが開発され、インターネットで会議ができるようになる、というようなことも言われた。

 

私は、ITだのパソコンだのといったことは、当時から弱かったので、インターネットの仕組みはよくわからなかったが、それでも友人たちが語る特色を聞いて、すぐさまこう言ったものだ。

「そのうち、インターネットで、飲み会ができるようになるかもしれない」

 

すると、酒席を占めていた友人たちはどっと笑った。

私が、「たんなる冗談を言った」と思って、「ウケて」くれたのである。

 

ウケたからには、私の予言をまじめに捉えたわけではない。

まじめに捉えなかった理由は、インターネットによる飲み会が、技術的に不可能だと思ったためではない。たとえ、そんなことが技術的に可能になっても、人間が人間であるかぎり、そんなことはやらないだろう、と考えたのだ。

それほどまでに「飲み会」は人間的な行為であり、「インターネット」は、非人間的な代物であった。……少なくとも、当時の感覚からすればそうであった。

 

 

あれから25年。

コロナ禍のもと、昨日どこだかの党を除名された国会議員のように、ド派手な歓楽街へ出かけ超「濃厚接触」を楽しんで飲み会やっている者もいるが、慎ましやかな庶民のあいだで今、飲み会といえば、ON-NOMIオンノミと略称されるオンライン飲み会が主流になりつつある。

 

もちろん、コロナ禍が最後のプッシュをしたわけだが、それ以前に、日本人がオンノミへ移行するには、いくつかの段階が超えられてきたように思う。

 

まずは、飲み会につきまとっていた「お酌」の習慣をスキップしたことである。

私が若い頃は、酒は差しつ差されつ呑むものとされ、自分で注いで自分のペースで呑む「個人主義的」な飲み方は、「盗み酒」などと人聞きの悪い言い方をされて、嫌われた。

「手酌」は、マナー違反だったわけである。

私はこれが苦手であった。

「そとこもり」をしたときに、海外では手酌が基本であった。日本に帰ってくると、それをやってはならないということで、大いに不自由を感じたものである。

 

今でもまだ地方では、酒は差しつ差されつ呑むのが礼儀とされているコミュニティがあるだろうが、少なくとも私と交流がある東京の「当事者層」はそうではない。手酌が主流である。

これがオンノミへ移行する下準備の一つを果たしたのではないか。

 

 

さらに、飲み会における人と人との物理的な接触がなくなった。

今は、へたに一緒に呑んでいる人の身体に触ると、それが女性であれば、すぐセクハラなどと言われてしまう。

男性であっても、飲み会のときに

「おい」

などと、まるで私の学生時代のように肩に手をかけようものなら、たとえ「ふざけて」であっても、とたんに冷たい目で見られることになる。

だから、一緒に呑んでいても、手は、まるで見えない紐で縛っているように、自分の膝に固定しておかなくてはならない。

これも、オンノミの準備段階であった。

 

 

このように時代は、人間たちが、かつての人間的行為である「飲み会」までもインターネットを介して行なうようになるのに向けて、段階的に社会の土壌を整えてきたのである。

 

しかし、モニター画面に映った相手の姿を見ながら盃を傾けるのは、なんとも味気なく、かえって欲求不満になってしまう。

そんなことをするくらいなら、いっそのこと、どっぷりと自分だけの世界にハマって独り酒をしていたい、と思うのは、やはり私が昭和のオヤジだからであろうか、はたまた、ひきこもりだからであろうか。

 

 

 

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