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やっぱり今日もひきこもる私(253)コロナウィルスが変える人間の生活スタイル

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written by ぼそっと池井多

photo by Pixabay

 

 

 

東京では、1日の感染者数がついに200人を超えたという。

蔓延しているコロナウィルスは、人間の身体に抗体が作られさえすれば、それが免疫となって、感染の流行そのものが鎮まっていくものと考えられている。

だからこそ、集団免疫やワクチンの製造といったことが、今の時期を克服する希望として、しきりに唱えられるのだ。

 

 

ところが、4月13日にWHOの感染症専門家、マリア・ファン・ケルクホーフェ(Maria Van Kerkhove)博士が、

「たとえ感染しても、抗体はそんなに作られないかもしれない」

という記者会見を行なった(*1)時から、それらの希望に暗雲が垂れこめ始めた。

 

*1. WHO officials say it’s unclear whether recovered coronavirus patients are immune to second infection

CNBC  2020.04.13

https://www.cnbc.com/2020/04/13/who-officials-say-its-unclear-whether-recovered-coronavirus-patients-are-immune-to-second-infection.html

 

韓国では陰性から再陽性になった事例が、また中国では感染者からあまり抗体が検出されなかった事例が、それぞれ報告されたことなどが、ファン・ケルクホーフェ氏がそのように述べている根拠であるらしい。

 

これは何を意味するか。

 

たとえば一度、コロナウィルスに感染して、運よく軽症で収まり、やがて晴れて検査も陽性から陰性になったとしても、それで体内にコロナウィルスへの抗体がじゅうぶんに作られたとは言えず、再びコロナウィルスに感染するかもしれないし、つぎに感染した時にはもっと重症化するかもしれない、ということである。

 

「一度かかってしまえば大丈夫」

「ワクチンを打てば大丈夫」

といった希望がなくなった、ということである。

 

コロナウィルスに感染しようがしまいが、私たちは命ある限りコロナウィルスへの感染を恐れ続けなければならない、ということである。

 

いま私たちがやっているような、他者との接触を避け、他者が触ったかもしれないモノには触らないようにし、触ってしまった時には石鹸か消毒液で手を洗う、といった、……ちょっと前だったら、強迫性障害の患者ぐらいしかやらないであろう苦しい生活を、みんなが送らなければならない、ということである。

 

そのような状態が今後、未来永劫つづいていくとしたら、これですっかり人間生活は変わってしまうだろう。

握手やハグはもちろん、接触や接近といった行為そのものが、これからの私たちの社会から消滅するだろう。

まるで悪夢のようなSFではないか。……

 

羊飼いの登場

しかし、考えてみると、人間はこれまでも歴史の中で、たえず新しい感染症が現われるたびに、生活パターンを変えることで生き延びてきた。

 

たとえば、ここで私が思い起こすのが、羊飼いという職業である。

 

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狩猟生活から農耕生活に移行したころから人間が行なっている羊の放牧は、きっとヨーロッパでも、そのような太古の昔から盛んだったのだろう、と私たちは想像しがちである。

 

ところが、あれはどこで読んだか忘れてしまったが、どうやらそうでもないのである。

 

中世まで、ヨーロッパのような狭い土地では、こんにちでいう集約農業が主流であった。

たとえば古代ローマでは、貴族や市民が飲むワインを産出するために、おおぜいの奴隷がラティフンディウムと呼ばれるブドウ農場で働かされていたものである。

しかし、14世紀にペストがヨーロッパで大流行した折に、人口の大部分が死んでしまい、もはやそれ以前のような豊富な労働力を農業に割り当てることができなくなった。

そこで農業者の多くが集約農業をあきらめ、羊飼いなど少数の人手でまかなえるような粗放農業へ移行していったのである。

感染症によって、人間がそれまでの生活パターンを変えざるを得なかった一例である。

 

 

生まれながらにしてそこにない習慣

それでは、当時の人々はそれで絶望し、フラストレーションを抱えこんだであろうか。

もちろん、人口の大部分が死んでしまって、それまでの営みを続けられなくなった当初は、人々はおおいに嘆いたことだろう。

けれども、二、三十年も経つうちに、嘆く人ももういなくなったのではないだろうか。

そのくらいの年数が、おそらく当時の二世代に当たるだろう。すると、そのころに大人になる世代にとって、羊飼いという新しい生活パターンとは、なにも過去の生活の喪失の結果ではなく、自分たちが生まれた時からふつうにそこに在る何かだったはずである。

「人間、そういうものだ」

と思って生きていれば、嘆くこともない。

 

接触や接近のない人間社会

もしコロナウィルスが、私たち人間の生活を根本から変え、これから人間の習慣から握手やハグはおろか、接近そのものがなくなったとしても、これから生まれる子どもたちは、そういうことを過去の習慣の喪失や欠落の結果とは捉えないかもしれない。

「そういうものだ」と思って、生きていくかもしれない。

そこには、今とは異なる社会が広がっているだろう。それは、今の私が想像すれば、「まるで悪夢のようなSFみたいな社会」ということになるのだけれども。

 

 

 

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