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やっぱり今日もひきこもる私(261)「医療従事者」賛美パフォーマンスの花盛りに思う

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ある日のニュース画像(イメージ)

by ぼそっと池井多

 

スローガン化した「感謝」と「激励」

医療従事者の方々への賛美パフォーマンスとでも呼ぶべきものが真っ盛りである。

 

コロナ禍によって医療現場は逼迫ひっぱくしている。その最前線では、命を危険にさらし働いて「くれている」医療従事者の方々がいる。

彼らを励まそう、あるいは彼らに感謝の意を表わそう、という運動が生まれる。それによって、多くのアーティストが楽器を演奏したり、歌をうたったり、絵を描いたり、街のシンボルをライトアップしたり、飛行機から何かを撒いたり、といったパフォーマンスを行なっている。

またメディアも、そういうイベントやパフォーマンスが行われると、ここぞとばかり番組で取り上げ、宣伝に務めている。

いまや「医療従事者に感謝」という主旨は、さまざまな意見がぶつかるなかで最大公約数的な安全さを持つ価値であり、東日本大震災のころに広められた「がんばろう東北」というスローガンのように、それをどこかに入れることによって、行動が肯定される空気が、いまの日本社会には醸造されている。

 

では、肝心な医療従事者の方々は、こういったパフォーマンスをどう見ているのだろうか。

私は少しアンテナを伸ばしてみた。

 

すると、SNSなどでは、否定的な意見が多いのである。

医療従事者と思われる方が発信しているアカウントからは、

「われわれを聖人扱いするな。ただ、いつもの仕事をこなしているだけ。」

「あんなことしてくれたって、うれしくも何ともない。」

「そんなことしている暇があったら、われわれに十分な休養と給料を与えてくれ」

といった、醒めた意見が多い。

 

それはそうだろうと思う。

私自身は「働いてない」人であるから、とてもではないが、最前線で働いている人の気持ちなど代弁できる立場にはない。

しかし、もしも私が医療従事者だったら、やっぱり市民的な盛り上がりを見せる医療従事者賛美パフォーマンの類は、白けた眼で遠くから眺めるだけだろうと思うのである。

あるいは、夜勤明けの睡眠不足の眼で見れば、白けの感情が昂じて、怒りすらおぼえるかもしれない。

 

それは、どういう怒りだろうか、と想像してみる。

きっと「そんなことで取り引きが成立したと思うなよ」とでもいうべき怒りなのではないか。

 

一般市民からしてみると、医療従事者の方々には働いてもらわないと困る。自分たちの命がかかっている。しかし、一般市民は手伝うわけにいかない。休憩を与える立場にもない。仕事を減らしてあげるわけにもいかない。

結局、「感謝」と「激励」しか差し出すものがない。そこで、それらを差し出し、取り引きは済んだと思っている。

けれども、当事者たちはそれらを欲していない。

取り引きは成立していないのである。

 

賛美パフォーマンスの異様な盛り上がりは、社会の空気という名の外濠そとぼりから埋めて、いつのまにかその取り引きが成立してしまったことにする作用を持つ。

それは、医療従事者の方々には不快なのではないだろうか。

 

 「押しかけアーティスト」の記憶

私は東日本大震災のあとの被災地に「押しかけアーティスト」と呼ばれる人たちが多くやってきたことを思い出した。

被災地へ行った、すべてのアーティストが「押しかけアーティスト」だったという気はない。

世俗的な人気というものは、こういう時に残酷である。

たとえ、「意識高い系」たちの間ではどんなにミーハーで商業主義的であっても、たとえばAKB48のような有名なユニットは、被災地の人たちもほんとうに来訪を楽しみにしているように見えた。

当たり前だ。被災者といえども、マジョリティは大衆である。

自分では「自分は良いアートをやっている」と信じて疑わない類の有名ではないアーティストたちは、ほとんど被災地の人々に待たれているわけではなかった。

そういうアーティストが被災地へやってきて、仮設住宅の集会所などでパフォーマンスをするとなると、仮設に入っている人たちは、わざわざ寒い中、外へ出てきて、足を運ばなければならない。

情の篤い東北の人は、こういうときに義理堅く出てきてくれるわけだが、必ずしも心中よろこんでいるわけではない。

そのような観客に囲まれて、多くのアーティストや自称アーティストたちが、

「皆さんのことを想って、作りました。聞いてください」

などと、すっかり自己陶酔して歌っていた。

そのうちに、ありがたくも私が知遇を得た仮設住宅などでは、いつしかこの類の来訪者を「押しかけアーティスト」と呼ぶようになっていった。

いま盛んに取り上げられる医療従事者賛美パフォーマンスをおこなうアーティストの姿が、あのときの「押しかけアーティスト」と重なって見えてしまうのである。なぜだろうか。

 

当事者不在の盛り上がり

医療従事者は、仕事が忙しいし、休みの時間は一分でもしっかり休みたいから、必ずしも彼らを賛美するパフォーマンスを聞いているわけではないだろう。

結局、多くの医療従事者賛美パフォーマンスは、当事者である医療従事者のいないところで、行われているのである。

それはつまるところ、医療現場の最前線には何もできない一般市民の罪悪感を勝手にみそぐための祭りの場と化する。

さらに医療従事者を出汁にして、自分のアートを社会に売り出すアーティストと、そういうものに拍手喝采すれば自分も良い人になった気になれる能天気な市民たちが、知らず知らずのうちに利害を一致させ、お互いを盛り上げて遂行しているのである。

 

パフォーマンスをしている、あるアーティストが言っていた。

「イタリアでは医療従事者に感謝し勇気づけるために、よくモブ(*1)をやるんですけど、日本では社会の空気が自由ではないので、あまりおこなわれないですね」

 

*1. モブ

フラッシュ・モブ (flash mob)のこと。インターネット上や口コミで呼びかけた人々が申し合わせ、それぞれの家の窓を開け、ベランダに出て、歌を歌ったり拍手したりすること。元は、雑踏の中の歩行者を装って通りすがり、公共の場に集まり前触れなく突如としてダンスや演奏を行って、周囲の関心を引いたのち解散する行為をいう。

 

つまり、日本は社会的な土壌が遅れているから自分は理解されないけれど、もし西洋のように進んでいれば、自分の行為の正当性がわかるだろう、とでも言いたげであった。

 

そこで、私はたまたまイタリアには知り合いが多いため、インターネットで彼らに聞いてみた。

「イタリアでは、医療従事者を激励するためにフラッシュ・モブが盛んなようだけど、ああいうのをイタリアの医療従事者はどう思っているの」

すると結局、イタリアの医療従事者たちも、私がSNSで見かける日本の医療従事者と同じであり、必ずしも喜んでいるわけではない、あるいは喜んでいる余裕もない、ということがわかったのである。 

しかし、それにしては、イタリアでは現在もまるで連日のように医療従事者を励ますフラッシュ・モブが行われているように、日本のメディアでは報道されている印象がある。

この点はどうなのか、聞いてみた。

すると、

「3月下旬など外出禁止令が出た直後は、住民たちの鬱憤もたまっていたし、迫りくるコロナの波へ感じていた恐怖を振り払うために、人々は窓の外へ出てフラッシュ・モブを行なうことが各都市で流行った。あれは、家にいながら、自分が他の住民たちと連帯できる時間だった。でも、今はもう行なっていない」

とのことであった。

つまり、「イタリアでは多く行われている」というのも、メディアによる誇張だったわけである。

また、医療従事者のためというよりも、自らが孤立から逃れるためにやっていた要素が多い、というのである。

 

 「表現」と「社会参加」。二つの欲望

私はべつに、「医療従事者に感謝してはいけない」とか、「激励しても意味がない」とか言っているわけではない。

 

語っているのは、アートと社会問題の関係性である。

 

べつにアーティストでなくても、人には「表現したい」という欲望がある。

しかし、表現したいことをストレートに出しても、名前が売れていなければ、なかなか人は見たり聞いたりしてくれない。観客がいない。そこで、なんとか「売り出したい」と思うものである。

 

いっぽうで人は、「社会に参加したい」という欲望も持つ。

社会参加とは何か。

私は、

「部屋の中にひきこもっているだけでも、立派な社会参加になる」

と申し上げているのだが、「社会に参加したい」と願ってやまない人の多くは、そういうファンダメンタルな論を聞く耳を持たない。

そして、政治的な発言をしたり、デモに参加したり、署名運動を起こしたりといった直接行動をすることだけが社会参加だと考えがちである。そういう人々が一般市民のマジョリティを形成しているのである。

 

この二つの欲望が掛け合わせたときに、アーティストにとっては、

「社会問題にかこつけて、自己の表現を売り出す」

という方法が考え出される。

自分のアートを鑑賞してくれること、あるいは、作品を買ってくれることが、いかにも観客にとって社会問題を解決し、社会に参加することであるかのような理屈をひねり出すことが可能である。

これは傍から見れば、自らの表現を受容させるために、社会問題を利用しているのにすぎない。あるいは、社会問題を出汁にして、自分の作品を市民に買わせているのである。

社会問題の影には、必ず「困っている人」や「追い詰められている人」がいるから、この手のアーティストやパフォーマーは、自分の作品を世に出すために、それら「困っている人」や「追い詰められている人」を利用しているともいえる。

 

そのようなことは、人間社会のなかで昔から行われてきたのだろうと思う。いま盛んな医療従事者賛美パフォーマンスの流行も、その一つになりつつあるように見えてならない。

「売り出したい! よしっ、それじゃあ医療従事者を讃えてみるか!」

というように。

そういうパフォーマンスに、私は素直な気持ちで喝采を送れないのである。

 (了)

 

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