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やっぱり今日もひきこもる私(282)"「ひ老会」から見た居場所づくり" を振り返る

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 by ぼそっと池井多

 

前回「やっぱり今日もひきこもる私(281)」で、

「ひきこもり界隈にコロナ禍が始まる前のような盛り上がりが、全般的に感じられない」

などと書かせていただいたが、それではコロナ禍が始まる直前はどのようなことをやっていたかと思い、資料を引っ張り出してきた。

 

次の映像は、今年2月21日に東京で行われた、厚生労働省がKHJ全国ひきこもり家族会連合会に委託しておこなった調査事業の報告会「未来の居場所づくり」シンポジウムから、私の発表部分を抜き出したものである。

 


制作:KHJ全国ひきこもり家族会連合会(2020)

 

そのシンポジウムが行われたことは、本ブログでも「やっぱり今日もひきこもる私(225)」などでお知らせさせていただいた。

 

私たちチームぼそっととしても記録映像を撮ったのだが、定点カメラで固定撮影だったので、上記のKHJが作った映像ほど出来は良くなかった。

上記の映像は、2つのカメラで撮影したものを、のちにコンマ1秒のずれもなく重ね合わせて編集している、という優れものである。

 

ひ老会』から見た居場所づくり」というテーマを与えられたので、このような発表となったが、結果として従来の居場所論をひっくり返してしまっている。

 

2月21日というと、ぼちぼち「新型コロナウィルス」などということが日本でも言われるようになり、会場でもマスク姿の方がちらほら見られたころである。

しかし、まだこのような大規模イベントは大手をふって開催されたし、客席の椅子もべったり隣をひっつけて今日でいう3密の状態であったし、講演者もマスクをつけていなかった。

 

私の記憶では、ここから10日ほどの間に、東京の社会は激変していくことになる。

もう、このときと同じ論調で「居場所づくり」などと言っていられなくなった。

だからといって、「当事者よ、スマホを持て!」などと檄を飛ばせばよいものでもない。

 

しかし、

「居場所はつくるものではなく、できるもの」

「居場所は与えるところではなく、感じるところ」

といった考え方は、今でもそのまま通用するだろう。

 

どこか外に居場所をつくるということが困難になったこの時代、

「自分がひきこもっている場所こそが居場所」

という発想に切り替えるのもよいと思う。

 

 

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