VOSOT ぼそっとプロジェクト

ぼそっとつぶやくトラウマ・サバイバーたちの生の声...Voice Of Survivors Of Trauma

やっぱり今日もひきこもる私(283)「8050問題」は孤立死ではない

by ぼそっと池井多

 

ひきこもりを問題として抱えた家庭において、親も子も高齢化してしまったときに「8050問題」というが、いったい誰が決めたのか、ひきこもり界隈ではこれを

「はちじゅう・ごじゅう・もんだい(80-50問題)」

と読んではいけないことになっている。

 

「はちまる・ごーまる・もんだい(8・0・5・0問題)」

と読まなければ、おバカ扱いされる。

 

 

ところが、英語では

「Eighty Fifty Issue (80-50 Issue)」

と訳されており、

「Eight Zero Five Zero Issue (8・0・5・0 Issue)」

などというと、おバカだと思われる。

 

この矛盾はどこから生じたのかを考えるに、どうもひきこもりの専門家には、逆説的にカタカナ言葉を使いたがる人が多いからではないか、という結論に達した。

 

コロナの「感染爆発」を「オーバーシュート」と言いたがった人々のようなものである。

 

カタカナ言葉を使いたがる人というのは、往々にして外国語の知識が浅く、コンプレックスの裏返しとして何でも横文字ふうに言いたがる傾向がある。

 

こういう論客たちが言い始めたことだから、「8・0・5・0もんだい」が「80・50 Issue」となって定着し、誰も疑問に思わないまま今日に至っているのではないか。

 

 

 

 

なぜ、こんなつまらないことが気になったかというと、最近は海外のメディアから「Eighty Fifty Issue」について取材や問い合わせを受けることが多くなってきたからである。

 

なかには前半の「Eighty」を「1980年代」に由来するものと勘違いしているメディア人もいた。

「日本では、1980年代からひきこもりが出現し始めた」

という俗説があるため、それと関連づけて憶えたものらしい。

 

それは極端な勘違いだが、よくあるのが

「8050問題とは、孤立死のことである」

という誤解である。

 

たしかに、ひきこもりを問題として抱えた親子が、親が80代、子が50代に至り、共倒れのかたちとなって餓死してしまった事件はいくつか起こっている。

 

しかし、「8050問題はそういうものだ」と考えるのは著しい誤解である。

 

孤立死は、べつにひきこもりを問題として持つ家庭でなくても起こる。

 

ようするに、福祉サービスなど、社会システムとつながりを持たないサバルタン(*1)的な住民の誰にも起こることであって、本質的にはひきこもりと直接的な関係はない。

 

*1. 「サバルタン的当事者とは何か」

vosot.hatenablog.com

 

にもかかわらず、そのような誤解が広まっている背景には、日本のひきこもり問題の専門家の一部が、さかんに

「8050問題とは、孤立死のことである」

などというイメージを意図的に広め、危機感を煽っているからだと思われる。

 

社会的問題の所在を訴えるために、危機感を煽るというのは、メディア人がよく使う手であるが、煽ったために誤ったイメージが広まっていくのであれば、そういうことをするのはメディア人失格であるといえよう。

 

逆に、そういう誤解が広まれば、孤立死が8050問題だと思われることになり、孤立死に対する社会的な施策も方向が狂っていくことになってしまう。

 

あくまでも、孤立死孤立死

8050問題は、もっと広汎な事象をふくんでいる。

 

 

 

 

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